Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(207)

2017-05-29 00:10:00 | コラム
るー「と」→「と」りせつ

帰省した際、父親とテレビを観ていたら、菅官房長官の会見が。

「Win-Win(ウィンウィン)の関係」と発言したことに、父親が「こういうひとまで使うことばかねぇ」とヒトコト。

まぁ、気持ちは分からないでもない。

20年くらい前だろうか、やはり一緒にテレビを観ていて、あるスポーツ選手が「リベンジしたい」と発言したときも、やっぱりよい顔をしなかった。

曰く「軽い感じがして…」

これまた、分からなくはないけれど。

だからたぶん、父親にとっては「トリセツ」という造語というか略語も顔をしかめるんじゃないだろうか。

「取り扱い説明書」のこと。

2010年代の頭には使っていたひとが居た「ような気がする」が、一気に浸透したのは西野カナが同名曲を歌ってからだろう。



顔は好きだけどね。
歌も上手だが、さすがに歌詞の内容に共感することはないよ。

自分が「分かる~!」といっても、気持ち悪いだけだろうし。。。


さて、映画におけるトリセツ。

最初に結論をいうと・・・

トリセツを守らない・破る、ことによって映画は動き出す。


(1)光に当ててはいけない

(2)水をかけたり、濡らしてはいけない

(3)真夜中に食べ物を与えてはいけない


『グレムリン』(84)における「モグワイのトリセツ」だが、映画が俄然面白くなるのは、これらを守らずにモグワイが「グレムリン化」して以降である。





映画にかぎった話ではないよね。

見てはいけないのに見てしまった『鶴の恩返し』、玉手箱を開けてしまった『浦島太郎』もそうだから。


トリセツを充分理解していたはずなのに、対象とする「モノ」が、それ以上の能力を有していた―のは、『2001年宇宙の旅』(68)のHAL。

まさか読唇術まで備えていたなんて、人間たちは想像もしていなかっただろう。





で、自分は果たして「一般的なトリセツ」に目を通しているのかって話。

最近は、ぜんぜんだね。

スマホの1台目を購入した際は「トリセツほしい!」とも思ったが、最近の家電やAV機器などは、ボタンさえ押しつづければ「最終的には、やりたいことが出来る」構造になっているから。


面白い流れだったので「許す」が、あんなところにトリセツが記されているのかな・・・と思ったのは、『ビバリーヒルズ・コップ2』(87)のクライマックス。

ビリーがトリセツを読みながらロケットランチャーをぶっ放すシーン。


※1分過ぎに登場





銃器に詳しくないので分からんのだけれど、どうなんでしょう?


とりせ「つ」→「つ」き。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(208)』
コメント (1)
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