「批判殺到」、「炎上」、「騒然」・・・。
随分と刺激的なことばが並ぶが、かえって白けるなぁ。
見出しの話ね。
10年ほど前、自分も「ネットニュースの見出し」だけを作るアルバイトをしていたことがある。
向いていると思って面接を受けて(自分だけ)即決採用してもらった・・・のだが、1週間もつづけられなかった。
ユーザーが「勘違いをして」クリックするように、「煽りの見出しを作れ」という指示を守れなかったからである。
その際に「積極的に使え」といわれたことばが、冒頭の3つ。
10年後の現在、その傾向はさらに強くなった感があって、たとえば自分がスマホに入れているニュースアプリを起動させてみると・・・
「小栗旬がまさかの劣化? 騒然」
「神田沙也加を厳しく批判」
「『ノンストップ!』での発言に批判多数」
・・・みたいな見出しがワンサカ出てくる。
クリックしてみたら、なーんだ、そういうことか。みたいな記事内容なのがほとんどだったりするのだよね。
これの元祖は『東京スポーツ』の一面だろう。
しかしこれは20年以上前から展開している、いわば伝統芸であり、読み手も笑いながら「またバカやってらぁ」と本文を楽しみに読むという流れがあった。
これぞ「質のいい煽り」というもので、ネットの煽り見出しとは似て非なるところがあり、『東スポ』の一面を担当する記者さんは、安易に「殺到」やら「騒然」なんて使わないんだよ。
プロ野球における、芸能人の始球式がニュースとして「盛んに」取り上げられるようになったのは、ここ数年のことだろうか。
見出しで「ノーバン」ということばを目にしたひとも多いだろう。
「ノーバウンド」の略だが、野球好きは「ノーバン」ということばを多用することはない。
けれども「ノーパン」と勘違いし、クリックするひとも多いだろうからって、わざと見出しに入れるようになったのだった。
これは笑って済む話だが、強めのことばを当たり前のように使用するようになると、本文のスカスカ具合・どうでもいい感が際立つことになり、かえって信用を失うことになるのではないか・・・と柄にもなく憂いてみたのだが、
ユーザーも馬鹿じゃないからね、もう気づいていることだろう、送り手はこれじゃあダメだとさらに強めのことばを用意するかもしれない、
けれども、そんな手法はもう長つづきしないことを、じつは彼らだって分かっているのではないか、ただ時間の経過があまりにも早過ぎて「待っていてはくれない」ので、とりあえず煽っている、、、そんな感じがしている、きょうこのごろである。
トップ画像?
いや、ダレノガレちゃんは、この手の記事の主役になりがちだからね。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(221)』
随分と刺激的なことばが並ぶが、かえって白けるなぁ。
見出しの話ね。
10年ほど前、自分も「ネットニュースの見出し」だけを作るアルバイトをしていたことがある。
向いていると思って面接を受けて(自分だけ)即決採用してもらった・・・のだが、1週間もつづけられなかった。
ユーザーが「勘違いをして」クリックするように、「煽りの見出しを作れ」という指示を守れなかったからである。
その際に「積極的に使え」といわれたことばが、冒頭の3つ。
10年後の現在、その傾向はさらに強くなった感があって、たとえば自分がスマホに入れているニュースアプリを起動させてみると・・・
「小栗旬がまさかの劣化? 騒然」
「神田沙也加を厳しく批判」
「『ノンストップ!』での発言に批判多数」
・・・みたいな見出しがワンサカ出てくる。
クリックしてみたら、なーんだ、そういうことか。みたいな記事内容なのがほとんどだったりするのだよね。
これの元祖は『東京スポーツ』の一面だろう。
しかしこれは20年以上前から展開している、いわば伝統芸であり、読み手も笑いながら「またバカやってらぁ」と本文を楽しみに読むという流れがあった。
これぞ「質のいい煽り」というもので、ネットの煽り見出しとは似て非なるところがあり、『東スポ』の一面を担当する記者さんは、安易に「殺到」やら「騒然」なんて使わないんだよ。
プロ野球における、芸能人の始球式がニュースとして「盛んに」取り上げられるようになったのは、ここ数年のことだろうか。
見出しで「ノーバン」ということばを目にしたひとも多いだろう。
「ノーバウンド」の略だが、野球好きは「ノーバン」ということばを多用することはない。
けれども「ノーパン」と勘違いし、クリックするひとも多いだろうからって、わざと見出しに入れるようになったのだった。
これは笑って済む話だが、強めのことばを当たり前のように使用するようになると、本文のスカスカ具合・どうでもいい感が際立つことになり、かえって信用を失うことになるのではないか・・・と柄にもなく憂いてみたのだが、
ユーザーも馬鹿じゃないからね、もう気づいていることだろう、送り手はこれじゃあダメだとさらに強めのことばを用意するかもしれない、
けれども、そんな手法はもう長つづきしないことを、じつは彼らだって分かっているのではないか、ただ時間の経過があまりにも早過ぎて「待っていてはくれない」ので、とりあえず煽っている、、、そんな感じがしている、きょうこのごろである。
トップ画像?
いや、ダレノガレちゃんは、この手の記事の主役になりがちだからね。
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(221)』