「―ウチのが、迷惑かけてないですか。大丈夫ですか」
「…えっ、はい、大丈夫です」
「牧野さんには、いろいろお世話になっていると聞いてます」
「…えっ、いや、そんな」
「これからも、仲良くしてやってください。よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ」
あぁびっくりした。
妙な表現になるが・・・隣人を見たことがない。
隣人が「存在している」ことは知っている。
けれども、いちども会ったことがない。
もちろん名前も知らない。
ただドアの向こうから、壁の向こうから発せられる生活音を聞いたことはある。
そのことで、入居があったことを知る。
それが1年前のこと。
自分の生活リズムが一般的ではないから、かもしれない、、、1年経っても顔をあわすことがなかった。
向こうからしても同じことだろう、
先住民(とは、いわないよね)が居ることは知っているが、どんなひとかも知らんと。
ただ、たまに大きめの音量でAVを流していることだけは知っていると。
そんな関係性だから、隣人のお母様らしきひとに階段の途中で話しかけられたとき、ちょいと動揺してしまった。
お母様(らしきひと)の見た目から想像するに、隣人は自分と同世代かもしれない。
会ったこともないのだから世話なんかしているわけはないが、お母様(らしきひと)の丁寧なあいさつに触れて、彼もきっとよいひとなんだろう、いつか会えればいいな―と思ったのだった。
下の階のおばちゃんとは冗談いいあえる仲なのに、顔も知らないのはおかしな話なんだ。
現代的っちゃあ現代的かもしれないが、ちょっと寂しいものね。
※隣人がサイコパス系―というのは、映画の世界では「よくある話」。
黒沢清が本領発揮した本作は、そのなかでもトップクラスなんじゃないかな。
ほんとうのことをいえば、西島秀俊に「そっちの役」を試してほしいけど。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(237)』
「…えっ、はい、大丈夫です」
「牧野さんには、いろいろお世話になっていると聞いてます」
「…えっ、いや、そんな」
「これからも、仲良くしてやってください。よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ」
あぁびっくりした。
妙な表現になるが・・・隣人を見たことがない。
隣人が「存在している」ことは知っている。
けれども、いちども会ったことがない。
もちろん名前も知らない。
ただドアの向こうから、壁の向こうから発せられる生活音を聞いたことはある。
そのことで、入居があったことを知る。
それが1年前のこと。
自分の生活リズムが一般的ではないから、かもしれない、、、1年経っても顔をあわすことがなかった。
向こうからしても同じことだろう、
先住民(とは、いわないよね)が居ることは知っているが、どんなひとかも知らんと。
ただ、たまに大きめの音量でAVを流していることだけは知っていると。
そんな関係性だから、隣人のお母様らしきひとに階段の途中で話しかけられたとき、ちょいと動揺してしまった。
お母様(らしきひと)の見た目から想像するに、隣人は自分と同世代かもしれない。
会ったこともないのだから世話なんかしているわけはないが、お母様(らしきひと)の丁寧なあいさつに触れて、彼もきっとよいひとなんだろう、いつか会えればいいな―と思ったのだった。
下の階のおばちゃんとは冗談いいあえる仲なのに、顔も知らないのはおかしな話なんだ。
現代的っちゃあ現代的かもしれないが、ちょっと寂しいものね。
※隣人がサイコパス系―というのは、映画の世界では「よくある話」。
黒沢清が本領発揮した本作は、そのなかでもトップクラスなんじゃないかな。
ほんとうのことをいえば、西島秀俊に「そっちの役」を試してほしいけど。
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(237)』