~北野武の巻~
第一夜:北野武のキャリアを我流紹介
第二夜:北野武への手紙
きょうは、その第二夜。
拝啓、北野武様。
自分は『元気が出るテレビ』や『ひょうきん族』の直撃世代であり、実際に毎週欠かさず観ていましたが「芸人」ビートたけしのことが「大」好きだったわけではありません。
もちろん嫌いということはなかったです、
しかし明石家さんまのほうが「より」好きでしたし、「さんまとからむ」ビートたけしのことを好きだったような気がします。
さらにいえば、このふたりの後輩にあたるダウンタウンのほうが芸人としては好きでした。
自分が映画にのめり込む時期と、ビートたけしが北野武と名乗る時期が重なったこともあり、芸人としてではなく映画監督として評価するようになったのです。
受け手の勝手な思いですが・・・
笑わせなくていい、革新的な映画で驚かせてくれ! と。
芸人として、そして映画監督として、あなたの言動に感心したことは沢山あります。
フライデー襲撃事件は、ただただ漢として格好いいと痺れました。
バイク事故会見での「顔面マヒナスターズ」発言は、あなたのキャリアで最高のギャグだと感動しました。
『その男、凶暴につき』(89)の「(拳銃は)通信販売で買った」という台詞は、まちがいなくあなたの発想で書いたものでしょう。
大幅な改変で脚本を担当した野沢尚と揉めた作品ですが、プロの脚本家では生み出せない台詞ですから。
『ソナチネ』(93)の、「あんまり死ぬの怖がってるとな、死にたくなっちゃうんだよ」も同様です。
ところで『3-4X10月』(90)も『ソナチネ』も、自分は初日に観にいきましたが客席はガラガラでした。
ガラガラの劇場でも幸福でしたよ、いまでも観返すほど自分にとっての宝物なのです。
しかし興行戦争の視点で捉えれば、大駄作『稲村ジェーン』(90)に惨敗したのは事実であって。
不思議な世の中です、高視聴率を誇るバラエティの「主」が映画を撮ったらコケるというのは。
バイク事故からの復帰後―。
『キッズ・リターン』(96)の初日、テアトル新宿はどの回も満員御礼でした。
感慨深かったですねぇ。
観る前から誰もが知っていた最後の台詞「まだ始まってもいねぇよ」を聞いて、元気を出したかったひとが多かったのかな・・・などと思いました。
98年、『HANA-BI』でベネチア金獅子賞受賞。
映画監督としての風向きが大きく変わったのは、このあたりからです。
「賞を取ると傑作になる」と皮肉をいう識者も居ましたし、
津川雅彦も「自分だけ賞を取って、役者も育てない、経済にも貢献しない、そんな映画とんでもない」と発言。
バランス感覚を失った状態で東条英機を演じたあなたが、なにをいう!? と自分は腹を立てましたが、と同時に、北野武が自由に映画を撮れなくなるのではないか、、、そんな不安を抱くようになりました。
「権威よ死ね」みたいなスタイルでキャリアを展開していたひとが、実際に権威になってしまった。
フランスにおける北野映画の持ち上げかたは、少し異様にも思いましたもの。
だからこそあなたは、式典で妙な格好をしたりおどけてみせたりしたのでしょう、しかしそれがうまくいっているようには思えず、率直にいうと痛々しかった。
2005年―『TAKESHIS’』を発表、タイトルからも想起出来るように「フェリーニ、やってみました。」ということなのだと思います。
『監督・ばんざい!』(2007)も『アキレスと亀』(2008)もそうで、自分は勝手に「迷走期」と位置づけています。
「この路線がつづくのだったら、劇場にいくのやめようかな」と思っていたほど、自分は冷めていました。
が、3つとも(興行批評の両面で)コケて「オイラの柄ではなかった」とちゃんと気づいてくれました、そうして『アウトレイジ』のシリーズ(2010~2017)を創ってくれたのです。
師匠? でもあるオオシマもいってましたものね、「監督だって人間だから。得手不得手があるんだよ」と。
あなたのようなひとにも、不得手があった。
あなたはすでに権威でもあるから、王様にハダカだ! といえるものは少ないと思います。
迷走がずっとつづき、暴走へと変わる可能性だってあったはず。
大きくなるほど、えらくなるほど、失敗を認めるわけにはいかなくなってくるものだと思います。
しかしあなたは失敗を認め、還るべき場所へときっちり帰還を果たした。
格好いいです、すごく格好いい。
誰もが出来ることではないですよね。
そういうことが出来るおじいちゃんに、自分はなりたいです―。
敬具。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『D・A・T・E』
第一夜:北野武のキャリアを我流紹介
第二夜:北野武への手紙
きょうは、その第二夜。
拝啓、北野武様。
自分は『元気が出るテレビ』や『ひょうきん族』の直撃世代であり、実際に毎週欠かさず観ていましたが「芸人」ビートたけしのことが「大」好きだったわけではありません。
もちろん嫌いということはなかったです、
しかし明石家さんまのほうが「より」好きでしたし、「さんまとからむ」ビートたけしのことを好きだったような気がします。
さらにいえば、このふたりの後輩にあたるダウンタウンのほうが芸人としては好きでした。
自分が映画にのめり込む時期と、ビートたけしが北野武と名乗る時期が重なったこともあり、芸人としてではなく映画監督として評価するようになったのです。
受け手の勝手な思いですが・・・
笑わせなくていい、革新的な映画で驚かせてくれ! と。
芸人として、そして映画監督として、あなたの言動に感心したことは沢山あります。
フライデー襲撃事件は、ただただ漢として格好いいと痺れました。
バイク事故会見での「顔面マヒナスターズ」発言は、あなたのキャリアで最高のギャグだと感動しました。
『その男、凶暴につき』(89)の「(拳銃は)通信販売で買った」という台詞は、まちがいなくあなたの発想で書いたものでしょう。
大幅な改変で脚本を担当した野沢尚と揉めた作品ですが、プロの脚本家では生み出せない台詞ですから。
『ソナチネ』(93)の、「あんまり死ぬの怖がってるとな、死にたくなっちゃうんだよ」も同様です。
ところで『3-4X10月』(90)も『ソナチネ』も、自分は初日に観にいきましたが客席はガラガラでした。
ガラガラの劇場でも幸福でしたよ、いまでも観返すほど自分にとっての宝物なのです。
しかし興行戦争の視点で捉えれば、大駄作『稲村ジェーン』(90)に惨敗したのは事実であって。
不思議な世の中です、高視聴率を誇るバラエティの「主」が映画を撮ったらコケるというのは。
バイク事故からの復帰後―。
『キッズ・リターン』(96)の初日、テアトル新宿はどの回も満員御礼でした。
感慨深かったですねぇ。
観る前から誰もが知っていた最後の台詞「まだ始まってもいねぇよ」を聞いて、元気を出したかったひとが多かったのかな・・・などと思いました。
98年、『HANA-BI』でベネチア金獅子賞受賞。
映画監督としての風向きが大きく変わったのは、このあたりからです。
「賞を取ると傑作になる」と皮肉をいう識者も居ましたし、
津川雅彦も「自分だけ賞を取って、役者も育てない、経済にも貢献しない、そんな映画とんでもない」と発言。
バランス感覚を失った状態で東条英機を演じたあなたが、なにをいう!? と自分は腹を立てましたが、と同時に、北野武が自由に映画を撮れなくなるのではないか、、、そんな不安を抱くようになりました。
「権威よ死ね」みたいなスタイルでキャリアを展開していたひとが、実際に権威になってしまった。
フランスにおける北野映画の持ち上げかたは、少し異様にも思いましたもの。
だからこそあなたは、式典で妙な格好をしたりおどけてみせたりしたのでしょう、しかしそれがうまくいっているようには思えず、率直にいうと痛々しかった。
2005年―『TAKESHIS’』を発表、タイトルからも想起出来るように「フェリーニ、やってみました。」ということなのだと思います。
『監督・ばんざい!』(2007)も『アキレスと亀』(2008)もそうで、自分は勝手に「迷走期」と位置づけています。
「この路線がつづくのだったら、劇場にいくのやめようかな」と思っていたほど、自分は冷めていました。
が、3つとも(興行批評の両面で)コケて「オイラの柄ではなかった」とちゃんと気づいてくれました、そうして『アウトレイジ』のシリーズ(2010~2017)を創ってくれたのです。
師匠? でもあるオオシマもいってましたものね、「監督だって人間だから。得手不得手があるんだよ」と。
あなたのようなひとにも、不得手があった。
あなたはすでに権威でもあるから、王様にハダカだ! といえるものは少ないと思います。
迷走がずっとつづき、暴走へと変わる可能性だってあったはず。
大きくなるほど、えらくなるほど、失敗を認めるわけにはいかなくなってくるものだと思います。
しかしあなたは失敗を認め、還るべき場所へときっちり帰還を果たした。
格好いいです、すごく格好いい。
誰もが出来ることではないですよね。
そういうことが出来るおじいちゃんに、自分はなりたいです―。
敬具。
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明日のコラムは・・・
『D・A・T・E』