「テレビ観ないんだよね」とか「テレビ観ないから分からない(知らない)」というひとに、ときどき出会う。
ほんとうだべか? と、ちょっとだけ思う。
そりゃ自分だって、連続のテレビドラマは滅多に観ない。
ただそれは何遍もいっているように「映画を追うのに精一杯だから」という意味であって、テレビを下に見ているとかそういうのはない。
敢えて上だとか下だとか書いたのは、「観ないんだよね」と発するひとの一部が、テレビを(なにかと比べて)下に捉えているように感じたから。
帰宅してから、ふだんやることを順番に書き出してみる。
手を洗う。
「とりあえず」テレビをつける。
「とりあえず」パソコンを起動させる。
風呂を沸かしながら、洗濯物を取り込む。
(このとき、テレビのニュースかネットのYoutubeを流す)
新聞を読む。
コーヒー飲みながらメールのチェック。
風呂に入る。
酒呑みながら、録画していたテレビ番組を観る。
こんな感じか。
この「とりあえず」テレビをつけるというひと、多いと思うのだけれども。。。
地震などの災害が起こった際は、とりあえずNHKにあわせない?
スポーツの大きな試合がおこなわれる日って、やっぱりテレビつけない?
『天空の城ラピュタ』(86)がテレビ放映される日、Twitter上に「バルス」の文字が溢れまくるっていうよね?
つまりネットのヘビーユーザーでさえ、テレビを無視出来ないってことでしょう。
だから「テレビなんか観ないし…」と、なぜか優位に立つかのように発するひとの気持ちが、ぜんぜん分からないのだった。
そして。
映画表現だって、テレビというメディアを無視するわけにはいかない。
以下、映画のなかで描かれる「テレビの世界あるいはテレビを通した映像」。
『アンストッパブル』(2010)
旦那の頑張りをテレビで目撃した妻は、関係を修復することに決める。
ちょっと単純だが、死を賭して戦う姿を見ればね、誰だってこころを動かされるでしょうよ。
『アルマゲドン』(98)
流れは『アンストッパブル』と同じだが、その流れを作ったのは本作だったのかもしれない。
『模倣犯』(2002)
天才モリタがメディア論を展開した失敗作・・・だと思っていたのだが、早過ぎる野心作だったのかもしれない。
いまいちど、観返す必要があると(最近になって)思うようになった。
『アイアムアヒーロー』(2015)
「異変」を最初に伝えるのは、やはりテレビなのだった。
『ダイハード』(88)
コイツの報道によって、犯人ハンスにマクレーンとホリーの関係性を知られてしまう。
『身代金』(96)
身代金を要求するほうもされるほうも、テレビやネットを駆使する。
個人的にこの映画を観て、時代は変わりつつあるんだな・・・と実感した。
『トゥルーマン・ショー』(98)
メディアの持つ暴力性をシニカルな視点で捉え、高度な文明批評を展開した快作。
そしてやっぱり、
『ネットワーク』(76…トップ画像)を外すわけにはいかないでしょう。
40年前に発表されたこの映画は、未だ多くの映画人にとって最良のテキストとなっている。
テレビの可能性と危険性の両方を「ほぼ完璧」に描いてしまっている、じつにおそろしい作品だから。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『そういや凶作の年を知らない』
ほんとうだべか? と、ちょっとだけ思う。
そりゃ自分だって、連続のテレビドラマは滅多に観ない。
ただそれは何遍もいっているように「映画を追うのに精一杯だから」という意味であって、テレビを下に見ているとかそういうのはない。
敢えて上だとか下だとか書いたのは、「観ないんだよね」と発するひとの一部が、テレビを(なにかと比べて)下に捉えているように感じたから。
帰宅してから、ふだんやることを順番に書き出してみる。
手を洗う。
「とりあえず」テレビをつける。
「とりあえず」パソコンを起動させる。
風呂を沸かしながら、洗濯物を取り込む。
(このとき、テレビのニュースかネットのYoutubeを流す)
新聞を読む。
コーヒー飲みながらメールのチェック。
風呂に入る。
酒呑みながら、録画していたテレビ番組を観る。
こんな感じか。
この「とりあえず」テレビをつけるというひと、多いと思うのだけれども。。。
地震などの災害が起こった際は、とりあえずNHKにあわせない?
スポーツの大きな試合がおこなわれる日って、やっぱりテレビつけない?
『天空の城ラピュタ』(86)がテレビ放映される日、Twitter上に「バルス」の文字が溢れまくるっていうよね?
つまりネットのヘビーユーザーでさえ、テレビを無視出来ないってことでしょう。
だから「テレビなんか観ないし…」と、なぜか優位に立つかのように発するひとの気持ちが、ぜんぜん分からないのだった。
そして。
映画表現だって、テレビというメディアを無視するわけにはいかない。
以下、映画のなかで描かれる「テレビの世界あるいはテレビを通した映像」。
『アンストッパブル』(2010)
旦那の頑張りをテレビで目撃した妻は、関係を修復することに決める。
ちょっと単純だが、死を賭して戦う姿を見ればね、誰だってこころを動かされるでしょうよ。
『アルマゲドン』(98)
流れは『アンストッパブル』と同じだが、その流れを作ったのは本作だったのかもしれない。
『模倣犯』(2002)
天才モリタがメディア論を展開した失敗作・・・だと思っていたのだが、早過ぎる野心作だったのかもしれない。
いまいちど、観返す必要があると(最近になって)思うようになった。
『アイアムアヒーロー』(2015)
「異変」を最初に伝えるのは、やはりテレビなのだった。
『ダイハード』(88)
コイツの報道によって、犯人ハンスにマクレーンとホリーの関係性を知られてしまう。
『身代金』(96)
身代金を要求するほうもされるほうも、テレビやネットを駆使する。
個人的にこの映画を観て、時代は変わりつつあるんだな・・・と実感した。
『トゥルーマン・ショー』(98)
メディアの持つ暴力性をシニカルな視点で捉え、高度な文明批評を展開した快作。
そしてやっぱり、
『ネットワーク』(76…トップ画像)を外すわけにはいかないでしょう。
40年前に発表されたこの映画は、未だ多くの映画人にとって最良のテキストとなっている。
テレビの可能性と危険性の両方を「ほぼ完璧」に描いてしまっている、じつにおそろしい作品だから。
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明日のコラムは・・・
『そういや凶作の年を知らない』