~ジョディ・フォスターの巻~
第一夜:ジョディ・フォスターのキャリアを我流紹介
第二夜:ジョディ・フォスターへの手紙
きょうは、その第一夜。
62年生まれの56歳。
ハリウッドを代表する俳優でありプロデューサーであり、映画監督。
3歳から子役として「大」活躍、自分の生まれた74年にスコセッシと出会い、『アリスの恋』に端役で起用され好評を受ける。
転機は76年。
静かなるホラー『白い家の少女』や、出演者のほとんどが10代というかわいいギャング映画『ダウンタウン物語』、そして「わが」神映画『タクシードライバー』に出演。
とくに『タクシードライバー』のインパクトは凄まじいものがあった。
10代の娼婦アイリスに扮し、主人公トラビス(デ・ニーロ)のズボンを下ろそうとする。
尤も米映画は当時から日本のそれに比べればきちんと法整備されており、実際の「性的な」撮影はジョディの姉がボディダブル(代役)として務めている。
若き実力者として絶賛を浴びたものの、映画関係者の誰もが想像し得なかった事件が起こり、スキャンダルに巻き込まれることになった。
81年3月30日―。
ジョン・ヒンクリー・ジュニアという男が、レーガン大統領(当時)を銃撃。
未遂に終わったが、ヒンクリーは「ジョディへの愛の証明」のために事件を起こしたと供述、当時イェール大学の学生だったジョディはメディアの追及から逃れるためフランスに雲隠れしなければならなかった。
要人暗殺には政治的理由がからんでいるのが常なのに、それがなかった。
ジョディに見惚れ、映画に影響を受けたひとりの孤独な男が、映画の主人公と同様に要人暗殺を企てたのだった・・・。
ジョディのキャリアがこれに影響を受けないはずがない、俳優として伸び盛りであろう20歳のころの作品は(だからなのか)悉く外れスランプに陥った。
復活は84年のこと。
『ホテル・ニューハンプシャー』で主人公の姉を奔放に演じ、再評価を受ける。
その演技は、なんとなくだが、すべてのことから吹っ切れたように見えた。
88年、『告発の行方』でレイプ被害者を熱演しオスカー主演賞を受賞。
91年、『羊たちの沈黙』で2度目の主演賞に輝く。
また同年には『リトルマン・テイト』で監督デビューも果たしたが、天才児とシングルマザーの関係を描くという、いかにもジョディらしい題材だった。
90年代後半からは・・・
大作に出演するいっぽうで小規模な作品をプロデュースまたは監督し、独自のキャリアを築きあげていく。
なお未婚のまま子どもをふたり産んだあと、
同性愛者であることが報じられ、後年それを「ほぼ」認めたのだとか。
14年―写真家のパートナーと同性婚、
現在は俳優としてよりも制作業に重きを置いているようで、テレビシリーズの監督なども手がけている。
それではあす、ジョディへの手紙を展開してみよう―。
※まだ10代であることは、こうしたシーンを観ればよく分かる
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『『拝啓、〇〇様』(18)』
第一夜:ジョディ・フォスターのキャリアを我流紹介
第二夜:ジョディ・フォスターへの手紙
きょうは、その第一夜。
62年生まれの56歳。
ハリウッドを代表する俳優でありプロデューサーであり、映画監督。
3歳から子役として「大」活躍、自分の生まれた74年にスコセッシと出会い、『アリスの恋』に端役で起用され好評を受ける。
転機は76年。
静かなるホラー『白い家の少女』や、出演者のほとんどが10代というかわいいギャング映画『ダウンタウン物語』、そして「わが」神映画『タクシードライバー』に出演。
とくに『タクシードライバー』のインパクトは凄まじいものがあった。
10代の娼婦アイリスに扮し、主人公トラビス(デ・ニーロ)のズボンを下ろそうとする。
尤も米映画は当時から日本のそれに比べればきちんと法整備されており、実際の「性的な」撮影はジョディの姉がボディダブル(代役)として務めている。
若き実力者として絶賛を浴びたものの、映画関係者の誰もが想像し得なかった事件が起こり、スキャンダルに巻き込まれることになった。
81年3月30日―。
ジョン・ヒンクリー・ジュニアという男が、レーガン大統領(当時)を銃撃。
未遂に終わったが、ヒンクリーは「ジョディへの愛の証明」のために事件を起こしたと供述、当時イェール大学の学生だったジョディはメディアの追及から逃れるためフランスに雲隠れしなければならなかった。
要人暗殺には政治的理由がからんでいるのが常なのに、それがなかった。
ジョディに見惚れ、映画に影響を受けたひとりの孤独な男が、映画の主人公と同様に要人暗殺を企てたのだった・・・。
ジョディのキャリアがこれに影響を受けないはずがない、俳優として伸び盛りであろう20歳のころの作品は(だからなのか)悉く外れスランプに陥った。
復活は84年のこと。
『ホテル・ニューハンプシャー』で主人公の姉を奔放に演じ、再評価を受ける。
その演技は、なんとなくだが、すべてのことから吹っ切れたように見えた。
88年、『告発の行方』でレイプ被害者を熱演しオスカー主演賞を受賞。
91年、『羊たちの沈黙』で2度目の主演賞に輝く。
また同年には『リトルマン・テイト』で監督デビューも果たしたが、天才児とシングルマザーの関係を描くという、いかにもジョディらしい題材だった。
90年代後半からは・・・
大作に出演するいっぽうで小規模な作品をプロデュースまたは監督し、独自のキャリアを築きあげていく。
なお未婚のまま子どもをふたり産んだあと、
同性愛者であることが報じられ、後年それを「ほぼ」認めたのだとか。
14年―写真家のパートナーと同性婚、
現在は俳優としてよりも制作業に重きを置いているようで、テレビシリーズの監督なども手がけている。
それではあす、ジョディへの手紙を展開してみよう―。
※まだ10代であることは、こうしたシーンを観ればよく分かる
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明日のコラムは・・・
『『拝啓、〇〇様』(18)』