20年10月1日生まれ・2000年7月1日死去、享年79歳。
アメリカ出身。
仏頂面の印象が強いマッソーは、その見た目を「逆に」活かしたコメディなどで活躍、
また良質なアクション映画にも多数出演していて、自分よりちょっとだけ上の世代のひとに、とくに人気がありました。
ここに紹介するのは、大の仲良しだったジャック・レモンとオスカー授賞式のプレゼンターとして登場した動画。
控えめにいって最高でしょ、これ^^
(要約@まっき~)
レモン「―映画監督にもいろいろ居て、独裁者みたいなのも居れば、とっても親切なひとも」
マッソー「チビ、ノッポ。若造、年寄り。いろんな人種も居て。人間の描写には定評があるのにカメラ音痴だったり。カメラの技術は完璧なのに俳優のコンディションに気が回らないヤツが居たり」
レモン「今夜、そんなひとたちが一堂に会しました」
<経歴>
コロンビア大学卒業、専攻はジャーナリズム。
戦時中は空軍に従軍、除隊後、本格的に映画界に参入。
映画俳優デビュー作は、55年の『ケンタッキー人』。
『群衆の中の一つの顔』(57)、『逢う時はいつも他人』(60)、
オードリー主演の『シャレード』(63)、
同時期に『博士の異常な愛情』(64)が公開されたためにインパクトは弱くなった…ものの、核を真正面から扱った野心作『未知への飛行』(64)、
そして66年、『恋人よ帰れ!わが胸に』でオスカー助演賞に輝く。
『おかしな二人』(68)、
いまのことばでいうとポップでライトなエロ映画、、、ということになるのか、突然変異的に誕生した奇妙な映画『キャンディ』(68)、
イングリッド・バーグマン、ゴールディ・ホーンが共演した良質なコメディ『サボテンの花』(69)、
『ハロー・ドーリー!』(69)、『おかしな求婚』(71)、盟友ジャック・レモンが初監督した『コッチおじさん』(71)、
70年代アクション映画の名作と名高い『突破口!』(73)、
これまたファンの多い傑作『サブウェイ・パニック』(74)、
『大地震』(74)、『フロント・ページ』(74)、
そして仏頂面がよく活きた『がんばれ!ベアーズ』(76)で好演し一般層にまで名前が浸透する。
『わたしは女優志願』(82)、『ポランスキーのパイレーツ』(86)、
わずかな出演場面ながらインパクトを残す『JFK』(91…そういえばジャック・レモンも顔を出したのはストーン監督のサービスか?)、
『わんぱくデニス』(93)、『ラブリー・オールドメン』(93)、『おかしな二人2』(98)などなど、70代に突入しても健在ぶりをアピール、、、
しかし2000年7月1日、心筋梗塞により帰らぬひとに。
享年79歳、遺作は『電話で抱きしめて』(2000)でした。
「味のある顔」という表現が適切かどうか分かりませんが、そりゃあ監督さんが起用したくなるでしょうよ、という個性の持ち主だったと思います^^
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『令和版・海外俳優列伝(39)ウディ・アレン』
アメリカ出身。
仏頂面の印象が強いマッソーは、その見た目を「逆に」活かしたコメディなどで活躍、
また良質なアクション映画にも多数出演していて、自分よりちょっとだけ上の世代のひとに、とくに人気がありました。
ここに紹介するのは、大の仲良しだったジャック・レモンとオスカー授賞式のプレゼンターとして登場した動画。
控えめにいって最高でしょ、これ^^
(要約@まっき~)
レモン「―映画監督にもいろいろ居て、独裁者みたいなのも居れば、とっても親切なひとも」
マッソー「チビ、ノッポ。若造、年寄り。いろんな人種も居て。人間の描写には定評があるのにカメラ音痴だったり。カメラの技術は完璧なのに俳優のコンディションに気が回らないヤツが居たり」
レモン「今夜、そんなひとたちが一堂に会しました」
<経歴>
コロンビア大学卒業、専攻はジャーナリズム。
戦時中は空軍に従軍、除隊後、本格的に映画界に参入。
映画俳優デビュー作は、55年の『ケンタッキー人』。
『群衆の中の一つの顔』(57)、『逢う時はいつも他人』(60)、
オードリー主演の『シャレード』(63)、
同時期に『博士の異常な愛情』(64)が公開されたためにインパクトは弱くなった…ものの、核を真正面から扱った野心作『未知への飛行』(64)、
そして66年、『恋人よ帰れ!わが胸に』でオスカー助演賞に輝く。
『おかしな二人』(68)、
いまのことばでいうとポップでライトなエロ映画、、、ということになるのか、突然変異的に誕生した奇妙な映画『キャンディ』(68)、
イングリッド・バーグマン、ゴールディ・ホーンが共演した良質なコメディ『サボテンの花』(69)、
『ハロー・ドーリー!』(69)、『おかしな求婚』(71)、盟友ジャック・レモンが初監督した『コッチおじさん』(71)、
70年代アクション映画の名作と名高い『突破口!』(73)、
これまたファンの多い傑作『サブウェイ・パニック』(74)、
『大地震』(74)、『フロント・ページ』(74)、
そして仏頂面がよく活きた『がんばれ!ベアーズ』(76)で好演し一般層にまで名前が浸透する。
『わたしは女優志願』(82)、『ポランスキーのパイレーツ』(86)、
わずかな出演場面ながらインパクトを残す『JFK』(91…そういえばジャック・レモンも顔を出したのはストーン監督のサービスか?)、
『わんぱくデニス』(93)、『ラブリー・オールドメン』(93)、『おかしな二人2』(98)などなど、70代に突入しても健在ぶりをアピール、、、
しかし2000年7月1日、心筋梗塞により帰らぬひとに。
享年79歳、遺作は『電話で抱きしめて』(2000)でした。
「味のある顔」という表現が適切かどうか分かりませんが、そりゃあ監督さんが起用したくなるでしょうよ、という個性の持ち主だったと思います^^
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明日のコラムは・・・
『令和版・海外俳優列伝(39)ウディ・アレン』