某日―。
動物を愛する映画ファンのために、「劇中で犬が死ぬかどうか」だけを教えてくれるサイトを知る。
なるほど、
「観たいけど、犬や猫が死ぬと聞いて辛そうだから観れない」と話す友人が居るから、こういうサイトが有難がられるのはよく分かる。
しかし、そのいっぽうで・・・。
某日―。
SNSで「映画事故」というハッシュタグがトレンド入り。
『RRR』(トップ画像)が大絶賛されているから観てみたら、あまりの暴力描写の多さにショックを受けた云々。
あぁそうか、「映画のなかで起こった事故」という意味のタグではなく、知らずに観たために心理的動揺を受けたという意味の事故なのか!!
この気持ちも、分かるっちゃあ分かるが・・・。
上記二件に触れたときに想起したのが、美術家・会田誠の公開講座における裁判だった。
以下、新聞記事より引用。
「京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の公開講座で、講師からわいせつな作品を見せられ精神的苦痛を受けたとして、受講した女性が大学側に約330万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が4日、東京地裁(伊藤繁裁判長)であった。判決は、わいせつな作品を受講生に見せたことを「セクハラにあたる」と認定。大学側に対し、講義内容を事前に告知するなどの義務を怠ったとして、約35万円の賠償を命じた。
判決によると、大学側は2018年、ヌードをテーマに講師を招いて全5回の講座を都内で開催。その中で、美術家の会田誠氏は四肢を切断された全裸の少女の絵などを、写真家の鷹野隆大氏は全裸の男性の写真などを1~2時間にわたりスクリーンに映した」
この報道を受けたコメントに、「会田誠も知らんで美術を学ぼうとするのか!」みたいなのがあって自分も苦笑交じりにそう感じちゃったところがあるのだけれど、美術に興味を持ち始めたばかりのひとであれば、あり得ることなのかもな、、、とも思ったり。
自分で「これがトラウマになった」と発することが出来る時点で、それはまだ真のトラウマではないかもしれないし、発することが出来るということは、すでにそのトラウマを乗り越えたといえるのかもしれない。
たぶん真のトラウマって、トラウマであることさえ自覚出来ないほど心身が傷つくことだと思っている。
ということを前提としたうえでいうと、、、
映画や小説の体験って、傷つくことも含まれているものではなかったのか?という。
それで映画が嫌いになったとするならば、残念だが「それも、あり。」なのかなと。
べつに突き放しているわけではなく、そのひとにとって「その映画」が必要なかっただけのこと。
いうじゃない、趣味って「必要なものを取り入れる」だけ「の、ものではない」って。
必要か不必要かを自分のなかで評価しながら、自分だけのオールマイベストが生まれてくるものなのでは?
宇多丸さんのラジオ番組で、町山智浩や吉田豪、高橋ヨシキら「いいトシこいた大人たち」(^^;)が、「トラウマ映画」についてヤイノヤイノ語る面白い企画があった。
女優のハダカ目当てで観たら『沙耶のいる透視図』(86)がひどかった。
とか、
『戦国自衛隊』(79)で「男同士でも、あるのね」ということを知った。
とか、
『ゴジラ対ヘドラ』(71)とか『日本沈没』(73)とかショック描写のある映画を「愛情を持って腐して・笑」いた。
こういうもんだと思うんです、
映画館は無菌室ではないので毒や菌を浴びることを前提としないと!
だって、見世物小屋精神から生まれたものなのだから!!
※ちなみに『太陽を盗んだ男』(79)の猫ちゃんは、死んでません^^
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『今年の黄金週間は^^』
動物を愛する映画ファンのために、「劇中で犬が死ぬかどうか」だけを教えてくれるサイトを知る。
なるほど、
「観たいけど、犬や猫が死ぬと聞いて辛そうだから観れない」と話す友人が居るから、こういうサイトが有難がられるのはよく分かる。
しかし、そのいっぽうで・・・。
某日―。
SNSで「映画事故」というハッシュタグがトレンド入り。
『RRR』(トップ画像)が大絶賛されているから観てみたら、あまりの暴力描写の多さにショックを受けた云々。
あぁそうか、「映画のなかで起こった事故」という意味のタグではなく、知らずに観たために心理的動揺を受けたという意味の事故なのか!!
この気持ちも、分かるっちゃあ分かるが・・・。
上記二件に触れたときに想起したのが、美術家・会田誠の公開講座における裁判だった。
以下、新聞記事より引用。
「京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の公開講座で、講師からわいせつな作品を見せられ精神的苦痛を受けたとして、受講した女性が大学側に約330万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が4日、東京地裁(伊藤繁裁判長)であった。判決は、わいせつな作品を受講生に見せたことを「セクハラにあたる」と認定。大学側に対し、講義内容を事前に告知するなどの義務を怠ったとして、約35万円の賠償を命じた。
判決によると、大学側は2018年、ヌードをテーマに講師を招いて全5回の講座を都内で開催。その中で、美術家の会田誠氏は四肢を切断された全裸の少女の絵などを、写真家の鷹野隆大氏は全裸の男性の写真などを1~2時間にわたりスクリーンに映した」
この報道を受けたコメントに、「会田誠も知らんで美術を学ぼうとするのか!」みたいなのがあって自分も苦笑交じりにそう感じちゃったところがあるのだけれど、美術に興味を持ち始めたばかりのひとであれば、あり得ることなのかもな、、、とも思ったり。
自分で「これがトラウマになった」と発することが出来る時点で、それはまだ真のトラウマではないかもしれないし、発することが出来るということは、すでにそのトラウマを乗り越えたといえるのかもしれない。
たぶん真のトラウマって、トラウマであることさえ自覚出来ないほど心身が傷つくことだと思っている。
ということを前提としたうえでいうと、、、
映画や小説の体験って、傷つくことも含まれているものではなかったのか?という。
それで映画が嫌いになったとするならば、残念だが「それも、あり。」なのかなと。
べつに突き放しているわけではなく、そのひとにとって「その映画」が必要なかっただけのこと。
いうじゃない、趣味って「必要なものを取り入れる」だけ「の、ものではない」って。
必要か不必要かを自分のなかで評価しながら、自分だけのオールマイベストが生まれてくるものなのでは?
宇多丸さんのラジオ番組で、町山智浩や吉田豪、高橋ヨシキら「いいトシこいた大人たち」(^^;)が、「トラウマ映画」についてヤイノヤイノ語る面白い企画があった。
女優のハダカ目当てで観たら『沙耶のいる透視図』(86)がひどかった。
とか、
『戦国自衛隊』(79)で「男同士でも、あるのね」ということを知った。
とか、
『ゴジラ対ヘドラ』(71)とか『日本沈没』(73)とかショック描写のある映画を「愛情を持って腐して・笑」いた。
こういうもんだと思うんです、
映画館は無菌室ではないので毒や菌を浴びることを前提としないと!
だって、見世物小屋精神から生まれたものなのだから!!
※ちなみに『太陽を盗んだ男』(79)の猫ちゃんは、死んでません^^
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明日のコラムは・・・
『今年の黄金週間は^^』