るいーず・ふれっ「ちゃ」ー→「ちゃ」いるど・ぷれい(チャイルド・プレイ)
ウシとカエルのパペット(操り人形)を使って漫才を披露する、パペットマペット(文末動画参照)が好きだった。
あんな風に器用に手を動かして「自然に見せる」ことが出来ないから、笑うよりも先に感心してしまうことが多いのだが。
だから自分の家にあるカーミット(=『セサミストリート』)のパペットは、ずっと動かないままでいる。
なにかの「力」―たとえばひとの手とか風とか―が働かないと動かないものが、自然に動くこと。あるいはAの方向にしか動かないものが、反対方向のBに動くこと。
それを我々は、怪奇現象、、、などという。
死体が動くとか。
ドアが勝手に閉まったりとか。
逆回転する時計とか。
人形の髪が伸びるとか瞬きしたとか。
怪奇現象は映画・ドラマの大好物であり、そういえば自分も学生時代、名画のモナリザが喋りだすというファンタジーなシナリオを書いたことがある。
『チャイルド・プレイ』(88)の「魂」を持った人形、チャッキーこと「チャールズ・リー・レイ」は、悪さをする前から可愛いとはいえず、これ欲しがる子なんか居るの? なんて思うのだが、無事に? アンディ少年にもらわれた。(買ってもらえた)
人形と化したチャールズの正体は、いわゆるシリアルキラーである。
ロマン・ポランスキー夫人を惨殺したチャールズ・マンソンのチャールズ、
ケネディ暗殺犯とされる(自分は・・・というか、もうほとんどのひとがそう思っていないはずだが)リー・ハーヴェイ・オズワルドのリー、
キング牧師を暗殺したことで知られるジェームズ・アール・レイのレイ―そんな3人の名前を合わせたサイテーなキャラクターであり、
もらってくれたアンディ少年の身体を乗っ取ろうとして、あの手この手を尽くす・・・。
「魂」を人形に埋め込む魔術はブードゥー教によるもの、、、というのが、米国映画によくある偏見のような気がするのだが、
これが日本でも大当たりし、沢山のシリーズが制作されることになる。
ホラーの不思議な法則というのか、それは、回を追うごとにユーモア性が強調される―というもので、
『13日の金曜日』シリーズ(80~)のジェイソンがまさにそうだし、
チャッキーにいたっては、4作目でとうとう嫁までゲットしてしまうのだ。(=98年の『チャイルド・プレイ/チャッキーの花嫁』)
怪奇現象は、ホラーだけの設定とはかぎらない。
ラブドール(昔でいうダッチワイフ)が魂を持ってしまった『空気人形』(2009)という切ない傑作もある。
なにが切ないってあなた、それは「動かないとされているものが、動く」物語に共通していることかもしれないが、
それ(=動くこと、感情を持つこと)を望んでいないひとも居る、、、いや、もっといえば、望んでいないひとのほうが多いという現実。
(『マネキン』(87)なんていう映画も、あったねぇ)
登場人物の多くが、彼・彼女に対し「元に戻れ」と思っている。
だからこの手の物語は、ホラーや恋愛に関係なく、最後の展開は「ほぼ」決まっている。
そう、燃やされたり壊されたりするのである。
うーん。
やっぱり、せつねぇ。。。
あすのしりとりは・・・
ちゃいるど・ぷれ「い」→「い」ちかわこん。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(20)』
ウシとカエルのパペット(操り人形)を使って漫才を披露する、パペットマペット(文末動画参照)が好きだった。
あんな風に器用に手を動かして「自然に見せる」ことが出来ないから、笑うよりも先に感心してしまうことが多いのだが。
だから自分の家にあるカーミット(=『セサミストリート』)のパペットは、ずっと動かないままでいる。
なにかの「力」―たとえばひとの手とか風とか―が働かないと動かないものが、自然に動くこと。あるいはAの方向にしか動かないものが、反対方向のBに動くこと。
それを我々は、怪奇現象、、、などという。
死体が動くとか。
ドアが勝手に閉まったりとか。
逆回転する時計とか。
人形の髪が伸びるとか瞬きしたとか。
怪奇現象は映画・ドラマの大好物であり、そういえば自分も学生時代、名画のモナリザが喋りだすというファンタジーなシナリオを書いたことがある。
『チャイルド・プレイ』(88)の「魂」を持った人形、チャッキーこと「チャールズ・リー・レイ」は、悪さをする前から可愛いとはいえず、これ欲しがる子なんか居るの? なんて思うのだが、無事に? アンディ少年にもらわれた。(買ってもらえた)
人形と化したチャールズの正体は、いわゆるシリアルキラーである。
ロマン・ポランスキー夫人を惨殺したチャールズ・マンソンのチャールズ、
ケネディ暗殺犯とされる(自分は・・・というか、もうほとんどのひとがそう思っていないはずだが)リー・ハーヴェイ・オズワルドのリー、
キング牧師を暗殺したことで知られるジェームズ・アール・レイのレイ―そんな3人の名前を合わせたサイテーなキャラクターであり、
もらってくれたアンディ少年の身体を乗っ取ろうとして、あの手この手を尽くす・・・。
「魂」を人形に埋め込む魔術はブードゥー教によるもの、、、というのが、米国映画によくある偏見のような気がするのだが、
これが日本でも大当たりし、沢山のシリーズが制作されることになる。
ホラーの不思議な法則というのか、それは、回を追うごとにユーモア性が強調される―というもので、
『13日の金曜日』シリーズ(80~)のジェイソンがまさにそうだし、
チャッキーにいたっては、4作目でとうとう嫁までゲットしてしまうのだ。(=98年の『チャイルド・プレイ/チャッキーの花嫁』)
怪奇現象は、ホラーだけの設定とはかぎらない。
ラブドール(昔でいうダッチワイフ)が魂を持ってしまった『空気人形』(2009)という切ない傑作もある。
なにが切ないってあなた、それは「動かないとされているものが、動く」物語に共通していることかもしれないが、
それ(=動くこと、感情を持つこと)を望んでいないひとも居る、、、いや、もっといえば、望んでいないひとのほうが多いという現実。
(『マネキン』(87)なんていう映画も、あったねぇ)
登場人物の多くが、彼・彼女に対し「元に戻れ」と思っている。
だからこの手の物語は、ホラーや恋愛に関係なく、最後の展開は「ほぼ」決まっている。
そう、燃やされたり壊されたりするのである。
うーん。
やっぱり、せつねぇ。。。
あすのしりとりは・・・
ちゃいるど・ぷれ「い」→「い」ちかわこん。
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