1964年の東京オリンピック。52年前のそのとき、私はアルバイトをしてました。
都庁に就職した先輩がオリンピック関係の部署についたと知った私たちサークル仲間は、さっそく先輩のもとへ押しかけました。ただただアルバイト代が高いとの理由から、ずうずうしくも語学を生かしたアルバイトさせろって談判して、私たちは都内各所の外国人向けの案内所にもぐりこんだのでありました。(そういえば、当時ボランティアなんて、聞いたことありませんでした。)
そんなこんなで52年前の東京オリンピックのとき、私は千駄ヶ谷駅すぐ近くの案内所にいました。
心配するほどのこともなく、ロシア人なんて来ないやと安心していたら、きました! 中央アジア系のおじさん(おじいさん?)のロシア人。
そのひとが「プランがほしい」っていうんです。当時勉学中の私の知識では「プランは計画」。ばかの一つ覚え。
冷や汗かいて頭の中?の私ににこりともせずおじいさん「プラン、プラン、プランをくれ」 ????
少ししておじいさん、「これだ」って並べてあるこの地域のかんたんな地図を指さす。おー、これも「プラン」なのか。
「どーうぞ」と安堵しつつ私は、その「プラン」をおじいさんに渡したのでありました。