7月はじめ 近場で集まれる人ということで昼に7人(男性3人、女性4人)で小学校のクラス会をしました。
今回もそうですがずっと世話役をしてくれている人がいて、還暦や古希など区切りのときを含め 50代からでしょうか、割合ひんぱんにやってきました★
コロナでやれなくなって、今回は5年ぶりでした。
「わたし、もう82歳になっちゃった」と口火をきったのは4月生まれのMさん。「早生まれはいいなぁ」とうらやましがられ、しばし得した気分になりましたが、同級生ですから おっつけ同じですね。
82歳と81歳は飲んで食べて、お店の方もおじいさん、おばあさんのクラス会をあたたかくみてくださって、時間を超過して盛り上がりました。
私たちは入学してから卒業までの6年間クラス替えなしで 同じ中学校に進んだので、みな親しくてクラス会はいつも盛会でした。私はひとりだけちがう中学に行ったこともあって、最初のころは少しばかり外野的存在でしたが、回を重ねるごとに小学生だったころ以上にクラスメートたちに親近感をいだくようになっていきました。
なかでも忘れがたい3人のクラスメートがいます。クラスきってのいたずら坊主で先生たちももてあましていた鼻垂らしのNくんは、いまや会社ではみなに頼られ、家庭では娘たちのよきお父さんになっていて、クラス会ではみなに親しみをもたれ、愛される存在になっていました。やっぱりいたずら坊主だったSくんは毎回クラス会に参加する女性の数だけ車にバラの花束を積んで、群馬から泊まりで駆けつけるのでした。農協関連のお仕事をしていてクラス会前には奥さまと一緒にバラ選びをするとか。押しつけがましくなく自分でも楽しんでいる様子に私たち女性群もSくんが運んでくる花束を楽しみにするようになったのでした。
「いいやつは早く逝っちゃうよな」と何度きいたでしょうか。もうふたりはクラス会にくることはありません。女のクラスメートに比べて男の人は知っている範囲でもう10人ちかく亡くなっています。
なかでもつよく印象に残っているのはOくんのことです。がんで余命数か月だったのに車いすで奥さんと成人の息子さんに付き添われて、千葉からわざわざ最後のクラス会に参加したのです。貧しく恵まれなかった小学生時代を送っていたOくんはその後、ひとりだちし一家を構え、よき妻と子供に恵まれたのでした。クラス会はかつての同級生たちにそれを報告し、自分でも確認する場でもあったのでしょう。クラス会の途中で息子さんの押す車いすで奥さんに付き添われなごりを惜しみながらOくんたちはエレベーターに消えていきました。それからしばらくして亡くなったのですが、あのときの幸せそうなOくんを私は今も胸にしまっています。
そしてずっとクラス会をつづけてきてくれたKくんとOちゃんに感謝しています。
バラ チャイコフスキー