まいぱん日記

身近なあれこれ、植物のことなど

ロシアのおばあさんの復活祭の思い出

2006年04月23日 | 全体
  
   ロシアのおばあさんの復活祭の思い出

 春の最初の兆しは「ヒバリ」――干しブドウの眼をつけた、鳥の形をしたおいしい白パン――でした。わたしたちのところではそれを「四〇人の殉教者」の日、三月九日に焼きました。その時期はまだ寒いとはいえ、春はひそかに近づいています。
 
もっともっと面白かったのは、三月二五日の聖母福音祭に小鳥を外に放す習慣でした。世界の救世主がすぐに誕生されるとの報せが世界じゅうに喜びをもたらすしるしとして、これは行われました。わたしたちは乳母と鳥の市に行きました。そこでは通りにずっと商い人が座り、かれらの周辺には小鳥、この地方のどうということのない灰色の小鳥を入れた小さな籠がたくさん置かれていました。
 わたしたちは小鳥を長いこと選んで、「放す」のにどれを買ったらいいか、いい争いました。「弱々しくて小さくて、この哀れなのを選んだら、きっとスズメにつつき殺されちゃう。」「とっても元気に飛びはねている、これがいいよ。」
 やっと選び終わると、わたしたちは籠を手に街の公園に向かいました。ある年のことをわたしは特によく覚えています。わたしたちが籠を開けたのに、小鳥は飛び出さず、羽を逆立てて座っていて、動かないのです。わたしたちはそれを見ても、どうしたらいいか分かりませんでした。すると不意にどこか木の上で、小鳥が大きな声でさえずりました。わたしたちの囚われの鳥は羽ばたきをすると、開いた戸口に注意ぶかくぴょんぴょんと近づきました。ふたたび、木の上で小鳥がさえずると、灰色ちゃんはさっと翼を振り、矢のように、まっすぐ大木の天辺へと飛び立ったのです。その飛翔には大きな喜びがあって、天使が処女マリアにもたらした奇跡の報せを祝うことのすばらしさを小さなわたしでさえも理解したほどです。
 
 わたしの記憶のなかでは、鳥の市と猫柳の市が結びついています。もちろん、この市ではそれをもって教会の終夜祷に行くために、束にくくった猫柳を買いました。その束には紙の天使の飾りが結びつけてあって、その天使は「猫柳のケルビム」と呼ばれていました。わたしたちは、もちろん、猫柳の枝で遊び、遊びのための唱えごともありました。

  白い猫柳、仕事でたたく、
  赤い猫柳、用もなくたたく、
  猫柳、ぴしり、泣くまでたたく。

 猫柳以外に市では、復活祭のためのあらゆるものが売られていました。クリーチ(復活際に焼く円筒形の甘いパン)とパースハ(カッテージチーズを主な材料とするピラミッド型のレアチーズケーキ)に飾るための紙の花、切り抜いた飾りをつけた木のパースハ用の木型、わたしたちにとってもっとも楽しみなのは、ほかの時期にはどこにも売っていないおもちゃでした。そうしたおもちゃのひとつは「アメリカ住民」と呼ばれていました。それはガラス製の、両端を閉じた筒で、その中を小さなガラスの「住民」がぷかぷか泳いでいるのです。筒の下の方にはうすいゴムを張った穴がありました。ゴムを押すと、「住民」は筒の底に落ちてきて、放すと上がっていくのです。
 止めピンのついた小さなおもちゃのおサルさんも売られていて、それは外套とか帽子につけることができました。緑、青、黄色、羽毛やビーズのついたもの、手に熊手を持っているもの――たくさんのおサルさんをわたしたちはコレクションしていました。
 
 さて、夜になるとわたしたちは猫柳の束を手に教会へ行き、勤行の間灯したロウソクを持って立っていました。猫柳を清める時がくると、神父さんは教会の中をずっと回り、みな猫柳とロウソクを高くかかげ、聖水のしぶきを受けようとするのでした。祈祷者たちの頭上にそれはそれはたくさんの猫柳が持ち上げられるのでした。
 
 受難週間の木曜日(復活大祭前の木曜日)にわたしたち子どもは卵をタマネギの皮や細かくちぎった色物の布の端切れ、店で買った特別な「マーブル模様の」小さな紙で染めました。でも、一番見事なのは筆で色づけした卵です。よごれた手をアンモニア水で洗うと、強烈な臭いで目から涙が出るほどでしたが、指には結局いろんな色がついたままでした。そのいろんな色のついた指でわたしたちは教会へ行って、ロウソクと小さな本を握り、本に従って読み上げられる福音書をたどり、主がいかに苦しみ、召されたかのお話を心から理解したのでした。
 そのあと、風で消えないようにロウソクの火を紙と手で守りながら、家に持ち帰りました。それで家の灯明に火をともし、扉の上の十字架を煤けさせるのでした。今こそ復活大祭までいくらも待たなくてもいい時がきたのです。

 わたしと弟がまだ小さかったころ、わたしたちは教会の夜の勤行に連れて行ってもらえませんでした。わたしと弟は自分たちで一連の儀式を家でとり行い、そのことを大人たちは何も知らないと思っていました。
 わたしたちは家の料理女に「自分用の」小さなクリーチとパースハを頼んで手に入れ、自分で色つけした卵のうちのいくつかも取っておきました。子供部屋に自分たち用の食卓を用意し、ベッドに入るとき、目覚時計を夜中の一二時一〇分前にセットしておきます。ベッドからとび起き、換気用の小窓を開け、寒さに身をすくめながら、鐘の最初の音を待ち構えていた様子をよく覚えています。ついに高らかに鳴り響きます。ゴーン、ゴーン、ゴーン…… わたしと弟は灯明をともしてあるイコンの前に立ち、大きな声で「キリストは死者より復活し給えり!」を歌い、そのあと三度キスを交わし、自分たちのご馳走の席に着くのでした。

 さて、次の日には美しく飾られた復活祭の大きな食卓が設(しつら)えられ、親戚じゅうが集まり、三度ずつキスを交し合い、おたがいに卵を交換します。木製、チョコレートや貴石のもの、小さな美しい卵――銀、金、エナメル塗り、女の子が鎖につけたり、ネックレスとして首にかける輪のついたもの――もありました。
 おそらく、わたしたちは「最高の祭日」の意味を理解するにはまだ幼すぎたでしょうが、その喜びは感じたのでした。(『最高の祭日』モスクワ、1993)

   以前に復活祭のお話を訳したことを思い出して、探したら
   見つかったので、のせておきます。
   革命前、良家の子どもたちの復活祭風景です。卵のことも出てきますね。
   絵はペテルブルグの画家ナターリア・チャルーシナさん。
   この4月にカット用に描いていただいたものです。
   ケーキはクリーチ。母も昨日、食べました~。
   
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復活祭のたまご

2006年04月23日 | 全体
4月23日はロシア正教の復活祭です。(暦の関係でほかのキリスト教とは日付がちがいます。)
復活祭といったら、卵。染め付けたり、絵を描いたりした卵を教会にもっていって清めてもらいます。

モスクワにいらっしゃるありょははさんが、「復活祭の卵セット」を送ってくださいました。それで作ったのがこれです。
輪になったセロファンのようなものにゆで卵をはめ込んで、2,3秒熱湯に浸けると、できあがり。とってもふしぎ。まさに、びっくりたまご。

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ラブちゃん

2006年04月21日 | わんこ紹介
ご近所のヒゲクマさんが預かりをされていたラブちゃんがこちらで再募集されています。
まだ、びびり屋さんみたい。でもそれがまたいじらしくて、かわいいんですよね。
ラブちゃんのすべてを暖かく受け入れてくれて、ゆっくり安心して過ごせるお家が見つかりますように!
また会いたいな、ラブちゃん!
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ブタの骨

2006年04月20日 | マイ
スーパーでブタの骨を売っていたので、買ってみました。
こびりついている脂を削り取って、大きなおなべにお湯を沸かし、そこで煮てから、乾燥させました。
ガムにはまるで興味のないマイですが、これはずーっとかじります。
ずいぶんと大きな骨なので、途中で取り上げました~。
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モグラ その2

2006年04月19日 | マイ
川原でいつもミニチュアダックスを連れてお散歩しながら、ゴミ拾いをされている方がいて、ときどきお話します。

じーと土手を眺めているマイを見て、その方「たたずんで何してるんですか」。
「モグラを探しているんですよ。」
「そうなんですか。モグラといえば、この間そこの公園の手前で死んでいたので、埋めたんです。」
母、ドッキリしながら、「すみません、それ、この子が捕まえたんですけど、私、驚いて逃げてしまったんです。翌日見たらいなかったので、穴に戻ったのかと思ってました。埋めてくださったんですか、ほんとに申し訳ないです。」
「割と小さかったから、親子で外に出てきて、お母さんモグラとはぐれて、戻るところが分からなくなって、死んだのかと思ってました。モグラ、初めて見れました~。鼻先がとがっていて、手がグローブをはめているみたいなんですね。」

逃げ出す母とちがって、さすが、人間ができてるだけでなく、探究心まである方ですね。
でも、探求心は母も負けないかも。ゴミ拾いはしないけど、拾われるゴミで一番多いのはなんですか*、なんて質問しちゃったり、家に帰って、モグラっていったいどんな生き物なんだろう?とネットでお勉強もいたしました。

ここらにいるのはアズマモグラで、冬眠はしない。主食はミミズ。4時間起きて、4時間寝る―8時間サイクルの生活、などなど。
おもしろかったのは、モグラの地下トンネルには水飲み場も、トイレも、食物貯蔵庫も、産室&育児室(♀の場合)もあるということです。お腹の黄色いのは分泌液のためらしい。アルビノでオレンジモグラっていうのも生まれることがあるそうです。モグラを見せる動物園まであるんですね。
すごーく時間的によゆうのないときだったのに、ロシアのサイトまでけっこうしっかり見てしまいました。中部ロシアの一般的なモグラは、イギリスのモールちゃんと同じヨーロッパモグラ。厳寒でも冬眠は日本と同じでしません。
ロシアでは毛皮にするために、モグラ捕獲を職業とする人たちがいたそうです。
モールの毛皮はベルベットのような手触りで、滑らか・・・・、なんだそうですよ。ロシアでもガーデニング愛好者には嫌われもので、寄せ付けないようにするには穴に臭いのきついものを置く、とくに腐ったニシンの頭は効くとありました。人間が参っちゃいそうですね。

モグラの生活を手っ取り早く知りたい方は、ここをどうぞ。

モグラの姿って、どんな?という方は、こちらに写真があります。

   *川原のゴミで一番多いのは、たばこの吸殻だそうです。
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モグラ

2006年04月18日 | マイ
           地面に桜の花びらが敷き詰められた13日のマイです。

             

この日よりすこし前、マイは今見ている土手のあたりで、地面に顔を突っ込んだと思ったら、モグラをくわえていました。
「だめだめ」とリードを引っ張った拍子にモグラはこの舗装道路にすっ飛びました。(つかまえたあとはあまり執着しないんです。)道路のちょうど真ん中あたりでモグラは土手と反対の川のある方にのそのそ歩き出しました。
「そっちは地面が砂利だらけで固いよ~」と親切に言ってあげてるのに、聞く耳もたずで、相変わらずのそのそ。かわいそうなので、棒を拾って、転がして、元の穴のところへ。モグラは、あっという間に姿を消しました~。
慣れとは恐ろしいもので、モグラの姿を見ても、割と平気になってきました。
モグラのお腹って、黄色いんですよ。
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ももちゃんが逝った日

2006年04月17日 | ももちゃん便り
ももちゃんが亡くなった日のマイの散歩コースの桜です。


この桜を少し離れて見ると
            

ここを前に進むと                                         

さらに遠く
            

そして、マイはモグラさがし。

              ももちゃん、お空に行くとき、桜の花が見えましたか?
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ももちゃん便り(16)

2006年04月12日 | ももちゃん便り
ムク父さんが、ご自身の日記のコメントで、もものことを「昭和の時代の律義者で愛すべき頑固オヤジ」と言って下さいました。
ももにピッタリで、わんこ好きな方は、会ったことがなくても性格が判るのですね。
ももには、「手術が終われば、頭痛いのがなくなるから、頑張るんだよ」ってばかり言っていました。
もも、本当に、律儀に約束守ったね。

ももを迎えに行って、「気がついてやれなくて、ごめんね」って謝ったら、先生が搾り出すような声で言ってくれたね。
「この子は、人に迷惑をかけないように生きてきた子だから、症状を表に出さないようにしてた」って。
「こんなに軽い症状で、こんなに大きな腫瘍を持った子はいなかった」って・・
母さん、これ聞いて、ももが不憫で不憫で仕方なかったけど・・・・

でも、そうだったね。
引越しのダンボールが届いた日、ももは散歩で元居た竹林に行って、獣道をどんどん奥に入って・・・壊れた物置小屋に着いたら、小屋の周辺に丹念にオシッコかけて、中に入ったと思ったら、背中向けてお座りしたね。
「僕には、ここがあるから大丈夫です」って言ってたみたいで、母さんが、「ももも一緒に行くんだよ」って言ったら、
満面の笑みで、小屋から飛び出してきて、さっさと家まで帰ったね。

でもさ、もも、思うけど・・・人に迷惑かけないようにって・・・最後、先生にすっごく迷惑かけたよ。ももは長時間に渡って手術してもらってから、2昼夜もついててもらったでしょ。そういうときは、踏ん張らきゃいけなかったんだよ。本当に今からでも良いから、先生にお礼とお詫びをするんだよ。お前は律儀な子なんだからね。

他にも言いたいことたくさんあるけど、ムク父さんが言ってくれたから、母さんはこれだけにしておくね。

(ももの症状から推測される脳腫瘍の大きさは、1.5センチ程度なのだそうです。
 症状は、3月22日、4月3日に載せて頂いた写真を参考にして下さい。)
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モモちゃん便り(15)いつでも遊びにおいで

2006年04月10日 | ももちゃん便り
応援を下さった皆さん、本当にありがとうございます。
手術が延期になり、硬直や失神が定期的に起こり始め、大丈夫かなという状況の中、励まして頂いたこと、感謝しています。

昨日、ももが好きだった場所を廻ってから 荼毘にふしました。
ももは、好きなワンコに会うと、シッポをヘリコプターの用にグルングルン回してました。
そのワンコの家の前を、車でゆっくり通ると、外飼いのワンコは、小屋から飛び出してきてシッポを振ってくれました。
ももがいるのが判ったのかなと思うと、涙が止まりませんでした。

ペットの葬儀屋さんが、「ご病気でしたか?」と聞かれたので、「脳腫瘍でした」と答えると、頭のお骨を裏返して、「脳には、何もありませんよ」と。
(脳腫瘍は、黒く、燃え残るのだそうです。)
「手術で、取りましたから」と答えると、「頭の骨も、傷がありませんけど・・・」と言われるので、
「首から、取ってもらっています」と答えると、「本当に、上手な先生でしたね。本当にすごいですよ。」と言って下さいました。
「もう、頭が痛いこともなく、走れるよ・もも・・良かったねぇ~本当に良かったぁ~」


もも、天国でも一人でフラフラしてたら、駄目だよ。母さんは、それだけが心配だよ。

パンちゃんにお願いしているから、ちゃんとくっ付いているんだよ。お友達がたくさんいるから、仲良くしてもらってね。
気が向いたら、いつでも、遊びにおいで、ももの好きなおやつおいて置くからね。

              写真は、ももに会いに来てくれた お友達
            
                     
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ももちゃん便り(14)9日1時に

2006年04月09日 | ももちゃん便り
昨日、ももと帰宅後ももの横で熟睡でした。病院では専門医も憔悴しきった顔をされていて最後まで手を尽くして下さった様子が伺えました。反対の声がある中、手術に踏み切って下さったことにお礼を言うことが精一杯でした。
手術は本当に上手くいき 管も全部外れて 順調だったのですが、合併症の腎不全をおこしてしまい力尽きました。
今日 もう1日一緒にいて明日の1時に送ってあげようと思います。
(4.8)
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迷子のななちゃん探しに協力してくださる方を募集しています!

2006年04月08日 | 全体
                          
    ポスター貼り、郵送作業をして下さる方を募集しています。
                      ↓  
          【緊急HELP!迷子になった《なな》を探しています】


 ななちゃん、目撃情報がまったくないのだそうです。
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ももちゃん便り(13)もも、亡くなりました

2006年04月07日 | ももちゃん便り
(3:01)
1度持ち直したのですが、1時に心停止し2時まで蘇生していただきましたが、 戻りませんでした。
今から迎えに行きます。 昨日 悪化したとき病院に行けば良かったと悔やまれますが、ももは頑張ったと思います。

(6:18)
1時間ほどで自宅です。 寝ているように穏やかな顔してます。
2、3日コメントも残せないかもしれませんので、応援下さった沢山の方々にありがとうとお伝え下さい。
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ももちゃん便り(13)容態が少し悪くなりました

2006年04月06日 | ももちゃん便り
14時30分、15時45分の2回、呼吸停止と心拍数低下が起こったので、現在、定期的に強制呼吸をしている状況だそうです。
また、午前中は、オシッコが出ていたのですが、14時から出なくなり、利尿剤を使っても反応が悪いため、腎機能低下の可能性があるそうです。
腎機能低下は、利尿剤の組み合わせが難しく、今、現在も、薬を試行錯誤している状況だそうです。
今後も先に処置をしたいので、事後報告になりますが、ご理解下さいとのことでした。
先生方、今日も徹夜かもしれません。最善を尽くして頂いています。

もも、人は、手助けしかできないからね。だから、ここは、何が何でも、踏ん張って、生きることにしがみつくんだよ。
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ももちゃん便り (12)

2006年04月06日 | ももちゃん便り
病院は、いつも沢山の犬、猫、付き添いの人で混雑していますが、当日は、ももの他に内科に緊急で来たワンコが1匹と卵巣手術のワンコが1匹だけでした。
スタッフ総出で、できる限りの準備をして頂き、本当に有難く思いました。
ももは、病院の雰囲気がいつもと違う様子に、怯えて、興奮していました。
専門医が、「ももちゃん興奮してる?」とももに聞くと、ジロリと睨んだらしく「そんなに睨まないでよ」と言われてました。

ももを預けてから、手術の説明をお聞きしました。
「昨日、MRの画像を見ながら、スタッフと最終打ち合わせをしたのですが、前にも話しましたように 膜を巻き込んだ部分は、腫瘍が残ります。
また、画像を詳細に見ると、腫瘍が、脳の太い血管(脳低動脈のことだと思います)に巻きついています。できれば、取りたいのですが、動脈を傷つけたら駄目なので、状態によっては、ここも残ります。
その他、腫瘍の近くに触りたく部分があります。細心の注意を払いながら行いますが、状態によっては、触らざるを得ない場合がでます。できる限りのことをさせて頂くつもりですが、ご理解下さい」とのことでした。
主人が、「危険度はどれくらいですか」とお聞きしたら、
「危険度と言われると、難しいのですが、我々が危険度を考えるとき、死ということを考えます。どんなに手を尽くしても24時間以内に命がないという場合を100として、交通事故のように突発的なことで命を落とす場合を1とすると、ももちゃんの場合は、真ん中よりも上と言いますか、80くらいと言いますか、普通よりは、危険度は高いことは確かですが、様々な方法を用いて、できる限り安全に行えると思います」と言われました。
私が、「手術しないと、夏が越せないと思うので、危険でも手術をお願いします」と言うと、
「夏が越せないではなく、夏はないだと思いますよ」と言われ、「やっぱり、そうですね」と笑いながら答えると、主人も「まあ、そうだな」と笑い、緊張していた空気が和みました。
空気が和んだところで、
専門医が「手術しても夏が越せる保証はないのですが、手術と放射線治療の利点を組み合わせて、できる限りのことをします」と言って下さいました。
「他に何かありますか?」と聞かれたので、
「ももは、5年間野良をしていたので、人を威嚇します。決して噛みませんが、威嚇してひるんだ隙に、脱走しますのでお願いします」と話しましたら、
「えっ!あっ・・でも・・威嚇できれば、最高の結果です」と言って笑って下さいました。

病院を出てから、主人が「気になるんだけど、手術しても、夏が越せる保証がないって・・・」と言い、
私が、「たぶん、腫瘍が髄膜腫というタイプで、犬の髄膜腫は、手術だけの場合、平均7ヶ月くらいだったと思う。
放射線治療と組み合わせて、平均16ヶ月だったような・・でも、48ヶ月以上のわんこもいたし、平均は、治療指針の目安にはなるけど、人は手助けしかできないから、結局は、ももの力だと思うよ。」と言ったら、
「まあ、そうだよな。ももだから、ねばり、しがみつくから、大丈夫だよな」と言ってました。

沢山の方の応援で、ももは、頑張っています。
手術で、触りたくないところを触らざるを得なかったので、先生方は、まだまだ緊張が続く日々になりそうです。ももはこの運を絶対に逃がさないと思います。

昨日、まっすぐ、帰宅しても落ち着かないので、途中、錦帯橋を回って帰宅しました。
            
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モモちゃん便り(11)無事終わりました!

2006年04月06日 | ももちゃん便り
おはようございます。

手術は、無事終わりました。術後、MR検査をして、多少、取りきれないところがあったそうですが、
まずは、最初の目的は、達したそうです。終わったのは、深夜の2時過ぎでした。
先生方、今日も外来診察があるのですが・・徹夜に近いですね。
ももは、興奮すると予後が悪いので、今、うつらうつらの状態を維持させているそうです。

まずは、これだけお伝えします。
応援、ありがとうございます。


*よかったですね! うれしく、明るい気持ちでこれから退院手続きにいってきます。(まいぱんまま)
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