あ、写真撮るの忘れたなぁ~
美鞠が、ビクトリア州で行う障碍児の絵の展覧会に出品する事になり、値段を付けてくれと言われたのだけど、あんな1時間もしないで描いた絵に値段がつくのかね?って事で、悩みに悩んだあげく、材料費の倍+お茶代ってことで、$48という中途半端な値段にしてみました。
美鞠の絵は、すごくシンプルなんだけど、見てるとにやけて来るような色使いで、とても幸せな気持ちになるのが良いですよねぇ。
マナの世界の絵、描かせてみるかなぁ。。。
いつもカラーペンだったのだけど、絵の具を使ってキャンパスに描かせると、また、感じが変わって面白い。
アナログで描いた絵を、HPで使うって、どうやってやるんだろうなぁ。
写真撮って加工かなぁ。
いのち。。。
あたしの回りに居る人は、誰もが愛情たっぷりで、愛が無い人は綺麗に疎遠になってくれます。
自分勝手なへ理屈で、自分を被害者にもり立てて、他人を思い通りに動かして喜べないから、どうしようもないですよね。
今朝もまいこさんと話しをして、彼女の息子さんの絵を見せてもらって、ほっこりして来ました。
傍若無人だよねぇ。。。自閉症軍団は(笑)
自分の事しか見えて無いから。
自分が幸せだったら全てオッケーで、他人が自分の幸せを乱したら、その人が「悪い」から。
とんでもない自分勝手な子供たちだけど、でも、彼らだって、10年も愛されて育つとね、親の愛が解って親が大事になるわけです。
愛してくれた人を大事にしようって気持ちが芽生えるんですよねぇ。
そんな子供たちを何人も見て来ました。
やっぱね、どんな障碍を持ってても、愛されてる子は成長が目覚ましく、3歳4歳で「無理です」って言われてた事も、15、6歳になると奇跡のように達成してしまっています。
愛が奇跡を産むんですよねぇ。
子供とはいえ、1つの命ですからねぇ。
親だって、1つの命。
1人の人間と、1人の人間の、命のぶつけ合いが子育てなんでしょうね。
家族が居るだの、学校がどうのとか、そういうものの前に、母と子、父と子、の一対一の命のぶつかり合いがあるわけで、そこで正しい化学反応が起こってないと、表面に出て来る結果がみじめになっていくんでしょう。
愛されて無い子もたくさん見て来ました。
親は「愛してるのに」と言うけど、やっぱり、親が基本的に自分勝手なんでしょうね。
ちょっと時間やお金や労力を、子供にゆずっただけで愛してるつもりになっている。
それ程度なら、学校の先生だって、近所のおばちゃんだってできるわけです。
昨日、愛してる人と、愛して無い人の差を明確に見る機会があって、いやはや、愛のエネルギーの深さを改めて見てしまった。
アイシテル波動は、祈りが含まれます。
Aさんから、Bさんへ、温かい温度を共なった、ほっこりとしたエネルギーが流れています。
それは、その人の笑顔が見たい、いつも笑顔でいてもらいたい、その人の大事な人が笑顔でいてくれたら良いな、という祈りですね。
良くしてくれるし、自分を必要としてくれるし、自分と居ると楽しそうだし、自分を大事にしてくれるし。。。でも、なにか違う?? って人には、こんな祈りが無いんですわ。
多分、この2人のケースは、行動は同じだろうと思います。
一緒に映画に行ったり、食事をしたり、電話で話しをしたり、メールのやり取りをしたりと、いろいろ友達じゃ?恋人じゃ?なんて思うような行動を取って来るから、普通の人は混乱して解らなくなってしまう。
だけど、愛が無ければ、必ず、そこに見返りを求める言動があるはずだから、それで気付くはずなんですがね。
素直な人は、これだけ思ってくれるんだから、それくらい良いかぁ~ と、考える事も止めてしまうのでしょうね。
あたしは懐疑的だから、人の笑顔や好意や素晴らしい褒め言葉なんて信用しません。
行動しか見ない。
言葉と行動が合わなければ、黄色マークですね。
気楽に対応する人カテゴリーに入っちゃいます。
そんな人に好かれる事自体恥じだし、気持ち悪いから、嫌われても良いです。
波動が波動を呼びますからね。
類は友を呼ぶ。
なんだかんだ言って、ご縁が途切れないのは、表面的にどうであろうと(障碍があるとか無いとかも含めて)、魂的に同じレベルなんですよね。
昨日、なんだかんだと話していて、ホントに、日本に戻ったら会いたい人達って、10年くらい長い付き合いで、しょっちゅうメールのやり取りするわけじゃないけど、なんだか、途切れないんですよねぇ。
そう言う人って、何年も前にリーディングした時の印象とか、鮮明に覚えてますよねぇ。
魂の仲間って言いましょうか、同じ時代で同じ時期に産まれて来た戦友って言いましょうか、この時代に産まれて来た良かったなぁ~ 嬉しいなぁ~と、ほっこりしていました。