城端曳山祭一番の見どころは華麗な曳山の行列です。
5月5日の朝、8時半に宿を出発し、城端の古刹真宗・城端別院善徳寺へ。
曳山と庵屋台(いおりやたい)が善徳寺前で集合し、9時30分から町内を巡行します。
曳山と庵屋台の行列順序は毎年交代するそうですが、平成23年は次の順番でした。
かつて、この順番を巡っていろいろあったようなので、公平に記録します。
一番山 西上町・「竹田山」(たけだやま、安永年間(1772-1781年)小原治五右衛門作。
御神像は恵比須、寛政7年(1795年)荒木和助作)
庵唄(いおりうた)・・・手鏡に (恵友会)
二番山 東下町・「東耀山」(とうようやま、享保年間(1716-1736年)の作を改修。
御神像は大黒天、安永7年(1774年)荒木和助作)
庵唄・・・雪巴 (宝槌会)
三番山 出丸町・「唐子山」(からこやま、享保年間(1716-1736年)の作を改修。
御神像は布袋、宝暦12年(1762年)荒木和助作。
弘化3年(1846年)、小原治五右衛門改作)
庵唄・・・五月雨 (布袋同志会)
四番山 西下町・「諫鼓山」(かんこやま、享保年間(1716-1736年)の作を改修。
御神像は堯王、享保元年(1716年)木屋仙人作)
庵唄・・・沖の瀬に (諫鼓共和会)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/d0/23e1d19ccf49184e795d8a06a4141302.jpg)
(御神像 堯王・・・飾り山)
五番山 東上町・「鶴舞山」(つるまいやま、安永年間(1772-1781年)小原治五右衛門作。
御神像は寿老人、安永2年(1773年)荒木和助作)
庵唄・・・宇治茶 (松声会)
六番山 大工町・「千枚分銅山」(せんまいぶんどうやま、明治31年の大火で類焼、
明治39年浅野喜平・辰次郎作。
御神像は関羽・周倉、寛政8年(1796年)荒木和助作)
庵唄・・・辰巳 (冠友会)
(御神像 関羽・周倉・・・飾り山)
順番に善徳寺前から出発するのですが、最初からびっくりしたのは方向転換でした。
高さ約六メートルの山車の上には羽織袴を来た人が数人乗っていて、
立ち位置を変えたり、身を乗り出したり、重心のバランス係です。
曲がり角に来ると、頭(号令係?)が重心の掛け方を支持します。
山車の重心をかける側の長押(引手?)に約十人くらいの男衆が一斉に飛び乗ると、
車輪の前が少し持ち上がるので、「ソレッ!」と車を横に回します。
その時に「ギュウギュウ」と車のきしる音が響きました。
この音が特徴で、城端の曳山は「ギュウ山」とも言われているそうです。
「ソレッ」という掛け声に合わせて約二十人の男衆が力を合わせて
山車を廻す時の様子が印象に残っています。
男衆は決して若くなく、五十代、六十代の方が多いようでしたが、
その方たちは涼しい顔をして廻していました。
若者の方が顔をゆがめて、とても苦しそうでした。
長年の馴れなのか、苦しくてもそれを見せない心意気なのか・・・?
私たちは見れませんでしたが、出丸町で狭い場所のUターンがあり、
曳山の一番の見せ場だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/21/8ee7beaf765a2bd479e49ebb48232fb2.jpg)
もう一つの見どころは、江戸の料亭を模したという、
風雅な庵屋台(いおりやたい)と、そこで唄われる庵唄(いおりうた)です。
町のあちこちに「庵唄所望」と書かれた紙が貼られていました。
ご祝儀をだして所望すると、庵唄を自分の家で聞くことができます。
六つの町の庵屋台が所望する家の前に止まり、
各町の庵唄を書いた短冊を白扇に載せて渡してから、庵唄を披露します。
座敷には親類縁者が集まり、きれいな着物を着ている女の方もいました。
座敷には座れませんが、傍で聞くこともでき、宵山とはまた違う味わいです。
たしか、曳山会館に庵唄所望の特設会場があったように思います。
曳山会館に庵唄を書いた短冊が売られていたので、
「宇治茶」の短冊を記念に買ってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/0e/9470be1425f7cbf3bfecb7064c7c7438.jpg)
曳山祭は夜まで続き、出丸町での見事な(たぶん)Uターンの後に
提灯をつけた「提灯山」となり、これも圧巻だそうです。
そして、車を「ギュウギュウ」と軋らせる音と、
庵屋台の囃子が重なって聞こえる「帰り山」は
何とも言えない情感が漂うそうです。
残念ながら、14時に城端を出て17時の便で帰宅した私たち旅人には
祭りのクライマックスの「提灯山」と「帰り山」を味わえなかったのですが、
十分に満足して帰宅したのでした。
(金沢・南砺の旅 前へ) (この項トップへ)![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_love.gif)
(写真は宵山でバッテリーが切れ、肝心の本祭がありません・・・)
追記・・・城端曳山祭は「城端神明宮祭の曳山行事」として
平成14年(2002年)に重要無形民俗文化財に指定されました。
5月5日の朝、8時半に宿を出発し、城端の古刹真宗・城端別院善徳寺へ。
曳山と庵屋台(いおりやたい)が善徳寺前で集合し、9時30分から町内を巡行します。
曳山と庵屋台の行列順序は毎年交代するそうですが、平成23年は次の順番でした。
かつて、この順番を巡っていろいろあったようなので、公平に記録します。
一番山 西上町・「竹田山」(たけだやま、安永年間(1772-1781年)小原治五右衛門作。
御神像は恵比須、寛政7年(1795年)荒木和助作)
庵唄(いおりうた)・・・手鏡に (恵友会)
二番山 東下町・「東耀山」(とうようやま、享保年間(1716-1736年)の作を改修。
御神像は大黒天、安永7年(1774年)荒木和助作)
庵唄・・・雪巴 (宝槌会)
三番山 出丸町・「唐子山」(からこやま、享保年間(1716-1736年)の作を改修。
御神像は布袋、宝暦12年(1762年)荒木和助作。
弘化3年(1846年)、小原治五右衛門改作)
庵唄・・・五月雨 (布袋同志会)
四番山 西下町・「諫鼓山」(かんこやま、享保年間(1716-1736年)の作を改修。
御神像は堯王、享保元年(1716年)木屋仙人作)
庵唄・・・沖の瀬に (諫鼓共和会)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/d0/23e1d19ccf49184e795d8a06a4141302.jpg)
(御神像 堯王・・・飾り山)
五番山 東上町・「鶴舞山」(つるまいやま、安永年間(1772-1781年)小原治五右衛門作。
御神像は寿老人、安永2年(1773年)荒木和助作)
庵唄・・・宇治茶 (松声会)
六番山 大工町・「千枚分銅山」(せんまいぶんどうやま、明治31年の大火で類焼、
明治39年浅野喜平・辰次郎作。
御神像は関羽・周倉、寛政8年(1796年)荒木和助作)
庵唄・・・辰巳 (冠友会)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/bb/38b278094b6f012dd2b0f183344216d8.jpg)
順番に善徳寺前から出発するのですが、最初からびっくりしたのは方向転換でした。
高さ約六メートルの山車の上には羽織袴を来た人が数人乗っていて、
立ち位置を変えたり、身を乗り出したり、重心のバランス係です。
曲がり角に来ると、頭(号令係?)が重心の掛け方を支持します。
山車の重心をかける側の長押(引手?)に約十人くらいの男衆が一斉に飛び乗ると、
車輪の前が少し持ち上がるので、「ソレッ!」と車を横に回します。
その時に「ギュウギュウ」と車のきしる音が響きました。
この音が特徴で、城端の曳山は「ギュウ山」とも言われているそうです。
「ソレッ」という掛け声に合わせて約二十人の男衆が力を合わせて
山車を廻す時の様子が印象に残っています。
男衆は決して若くなく、五十代、六十代の方が多いようでしたが、
その方たちは涼しい顔をして廻していました。
若者の方が顔をゆがめて、とても苦しそうでした。
長年の馴れなのか、苦しくてもそれを見せない心意気なのか・・・?
私たちは見れませんでしたが、出丸町で狭い場所のUターンがあり、
曳山の一番の見せ場だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/21/8ee7beaf765a2bd479e49ebb48232fb2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/22/fc3646d84e9ad0d980085d3ade964a0a.jpg)
もう一つの見どころは、江戸の料亭を模したという、
風雅な庵屋台(いおりやたい)と、そこで唄われる庵唄(いおりうた)です。
町のあちこちに「庵唄所望」と書かれた紙が貼られていました。
ご祝儀をだして所望すると、庵唄を自分の家で聞くことができます。
六つの町の庵屋台が所望する家の前に止まり、
各町の庵唄を書いた短冊を白扇に載せて渡してから、庵唄を披露します。
座敷には親類縁者が集まり、きれいな着物を着ている女の方もいました。
座敷には座れませんが、傍で聞くこともでき、宵山とはまた違う味わいです。
たしか、曳山会館に庵唄所望の特設会場があったように思います。
曳山会館に庵唄を書いた短冊が売られていたので、
「宇治茶」の短冊を記念に買ってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/0e/9470be1425f7cbf3bfecb7064c7c7438.jpg)
曳山祭は夜まで続き、出丸町での見事な(たぶん)Uターンの後に
提灯をつけた「提灯山」となり、これも圧巻だそうです。
そして、車を「ギュウギュウ」と軋らせる音と、
庵屋台の囃子が重なって聞こえる「帰り山」は
何とも言えない情感が漂うそうです。
残念ながら、14時に城端を出て17時の便で帰宅した私たち旅人には
祭りのクライマックスの「提灯山」と「帰り山」を味わえなかったのですが、
十分に満足して帰宅したのでした。
(金沢・南砺の旅 前へ) (この項トップへ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_love.gif)
(写真は宵山でバッテリーが切れ、肝心の本祭がありません・・・)
追記・・・城端曳山祭は「城端神明宮祭の曳山行事」として
平成14年(2002年)に重要無形民俗文化財に指定されました。