2014年1月16日午後6時から東京農工大学は「中村修二教授 ノーベル物理学賞受賞 特別講演」を東京都府中市で開催しました。東京農工大学によると、中村さん(米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)のノーベル物理学賞受賞後の正式な国内での講演会は、これが初めてだそうです。
特別講演会のタイトルは「青色LEDの開発歴史と、青色が照らす地球の未来」です。
講演会場になった府中の森芸術劇場は定員が2000人ですが、会場は満員になりました。その内の「約600人は高校生(さらに加えて約100人は高校生をアテンドする高校教員)だ」と、東京農工大学学長の松永是さんは説明します。
登壇した中村さんは講演の冒頭から、例のやや甲高い声で、怒りを伝えます。今回の2014年ノーベル物理学賞を中村さんが受賞することが発表された2014年10月8日に発行された日本の大手新聞紙が一面で報じた受賞理由は「赤崎勇さんと天野浩さんが青色LEDの基盤技術を、中村修二さんがその量産技術を開発したと報じた 」と、受賞理由を間違えていることを怒っていると伝えます。テレビもほぼ同様の解説をしたと、怒ります。
日本の大手マスコミがそろって同じ間違いをした原因を、中村さんは、「学術系の識者が間違った見解を持っているから」と解説します。新聞やテレビなどの大手マスコミは、当時の当該コメントを、東京大学などで半導体の構造を決める結晶構造を研究開発している有名教授に求めました。その有名教授たち(講演会では具体的な個人名を指摘)は「赤崎勇さんと天野浩さんが青色LEDの基盤技術を発見・発明し、中村修二さんがその量産技術を開発した」という内容のコメントをしたと、伝えます。
その証拠として、10月当時に、日本応用物理学会のWebサイトに載った、赤崎さん、天野さん、中村さんの受賞理由となった発見・発明の具体的な内容の解説を示す、某教授の受賞を祝う見解を“証拠”として見せつけます。
中村さんは「ノーベル物理学賞の受賞対象の範囲には、製品化の量産技術は含まれていない」と解説します。実際に、ノーベル財団がWebサイトに公表しているノーベル物理学賞の受賞対象のWebサイトを示します。「発見(Discovery)と発明(Invention)と書かれています」と解説します。
ここからは中村さんの今回の受賞理由についての、本人による解説です。まず、中村さんは日亜化学工業に勤務していた時に、米国のフロリダ大学に一度、留学した時に、博士号を持っていなかった(修士号を持つ)ので、当該研究室の学生たちから、研究員の実験をサポートする“テクニッシャン”扱いされ、当時も怒りました。中村さんは「テクニッシャンは実験に参加しても学術論文に名前も載せてもらいない扱い」と解説します。この留学当時、その研究室の博士課程の学生に「これまで書いた学術論文を教えてほしい」と聞かれ、「論文は書いたことがない」と伝えると、研究仲間にも入れてもらえなかったそうです。
このため、中村さんは博士号を取得しようと、その研究テーマとして当時から着目されていた青色LEDの研究開発を目指します。青色LEDの開発を始めた1989年当時は、青色LEDの半導体構造をつくる材料として、候補材料は3つありました。第一候補は炭化ケイ素(SiC)で1970年代に基本となるpn接合ができ、少し光っていましたが、明るい青色LEDができないという状況でした。第二候補はセレン化亜鉛(ZnCe)で、当時は世界中の研究者が本命材料と考えていました。第三候補は窒化ガリウム(GaN)でしたが、結晶欠陥の少ない結晶を作製するのが難しく、これを研究対象にする研究者はほとんどいませんでした。
当時の状況を中村さんは説明します。中村さんが日本応用物理学会の講演の大会に行くと、青色LEDの窒化ガリウム系のセッションは、赤崎さん、天野さん、中村さんなどの学会発表を約10人が聴講する程度の不人気のセッションだったそうです。窒化ガリウム系のセッションは発表件数が少なく、すぐに終わるので、その後はセレン化亜鉛のセッションの部屋に行くと、聴講者が500人以上で、立ち見の方が多かった人気のセッションでした。
長くなったで、この続きは次回に続きます。
特別講演会のタイトルは「青色LEDの開発歴史と、青色が照らす地球の未来」です。
講演会場になった府中の森芸術劇場は定員が2000人ですが、会場は満員になりました。その内の「約600人は高校生(さらに加えて約100人は高校生をアテンドする高校教員)だ」と、東京農工大学学長の松永是さんは説明します。
登壇した中村さんは講演の冒頭から、例のやや甲高い声で、怒りを伝えます。今回の2014年ノーベル物理学賞を中村さんが受賞することが発表された2014年10月8日に発行された日本の大手新聞紙が一面で報じた受賞理由は「赤崎勇さんと天野浩さんが青色LEDの基盤技術を、中村修二さんがその量産技術を開発したと報じた 」と、受賞理由を間違えていることを怒っていると伝えます。テレビもほぼ同様の解説をしたと、怒ります。
日本の大手マスコミがそろって同じ間違いをした原因を、中村さんは、「学術系の識者が間違った見解を持っているから」と解説します。新聞やテレビなどの大手マスコミは、当時の当該コメントを、東京大学などで半導体の構造を決める結晶構造を研究開発している有名教授に求めました。その有名教授たち(講演会では具体的な個人名を指摘)は「赤崎勇さんと天野浩さんが青色LEDの基盤技術を発見・発明し、中村修二さんがその量産技術を開発した」という内容のコメントをしたと、伝えます。
その証拠として、10月当時に、日本応用物理学会のWebサイトに載った、赤崎さん、天野さん、中村さんの受賞理由となった発見・発明の具体的な内容の解説を示す、某教授の受賞を祝う見解を“証拠”として見せつけます。
中村さんは「ノーベル物理学賞の受賞対象の範囲には、製品化の量産技術は含まれていない」と解説します。実際に、ノーベル財団がWebサイトに公表しているノーベル物理学賞の受賞対象のWebサイトを示します。「発見(Discovery)と発明(Invention)と書かれています」と解説します。
ここからは中村さんの今回の受賞理由についての、本人による解説です。まず、中村さんは日亜化学工業に勤務していた時に、米国のフロリダ大学に一度、留学した時に、博士号を持っていなかった(修士号を持つ)ので、当該研究室の学生たちから、研究員の実験をサポートする“テクニッシャン”扱いされ、当時も怒りました。中村さんは「テクニッシャンは実験に参加しても学術論文に名前も載せてもらいない扱い」と解説します。この留学当時、その研究室の博士課程の学生に「これまで書いた学術論文を教えてほしい」と聞かれ、「論文は書いたことがない」と伝えると、研究仲間にも入れてもらえなかったそうです。
このため、中村さんは博士号を取得しようと、その研究テーマとして当時から着目されていた青色LEDの研究開発を目指します。青色LEDの開発を始めた1989年当時は、青色LEDの半導体構造をつくる材料として、候補材料は3つありました。第一候補は炭化ケイ素(SiC)で1970年代に基本となるpn接合ができ、少し光っていましたが、明るい青色LEDができないという状況でした。第二候補はセレン化亜鉛(ZnCe)で、当時は世界中の研究者が本命材料と考えていました。第三候補は窒化ガリウム(GaN)でしたが、結晶欠陥の少ない結晶を作製するのが難しく、これを研究対象にする研究者はほとんどいませんでした。
当時の状況を中村さんは説明します。中村さんが日本応用物理学会の講演の大会に行くと、青色LEDの窒化ガリウム系のセッションは、赤崎さん、天野さん、中村さんなどの学会発表を約10人が聴講する程度の不人気のセッションだったそうです。窒化ガリウム系のセッションは発表件数が少なく、すぐに終わるので、その後はセレン化亜鉛のセッションの部屋に行くと、聴講者が500人以上で、立ち見の方が多かった人気のセッションでした。
長くなったで、この続きは次回に続きます。