本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

強いAppleの原型。 : 知のコングロマリット#101

2010-03-20 12:26:43 | 知のコングロマリット
スティーブ・ジョブズ-偶像復活
ジェフリー・S・ヤング,ウィリアム・L・サイモン
東洋経済新報社

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CH5. The NeXT Step
新しく創業したNeXT社でもまだジョブズは革新的なハードの開発に精を出したがとても、成功したとは言えない結果に終わる。ただ、そこで開発したキューブという機器により、ディズニーとの接点を見いだすことになる。
そこで、ジョブズ率いるNeXT者はマシン1000台の契約を取り付け、カラーマシンに関しては、アートの領域であるとして、突っぱねられることになる。

CH6. Show business
転んでもただでは立ち上がらない、まさにスティーブ・ジョブズの才覚の一つであろう。
彼の才覚として、
a.小さなグループを率い、憤慨させては不可能を可能に押させ、「宇宙に衝撃を与えるほどのもの」を作ること
b.優れた人材を見つけ、信太激励をして、虎穴に入らせてしまうこと
ということがあるが、彼はその後徐々に上記才覚を発揮し始めることになる。正しい方向に。

ディズニーとの出会いも助け、ジョブズはようやくハードウェアだけではなく、
「大切なのはハードウェアでも、ソフトウェアでもなく、ユーザー、顧客がどのよう馬体券をするのかというコンテンツである」という結論に至るようになる。

~ピクサーとの出会い
ジョブズが路頭の中にいるとき、エド・キャットルムがクリエイティブを率い、ジョージ・ルーカスがパトロンをしていたピクサーの前進となるコンピュータアニメ集団と出会うことになる。このことが、彼を後にハリウッドとの接点を持たせ、再度スターダムに駆け上るきっかけを与えることにある。
このアニメーター集団の抱えていた最大の課題としては、技術力自体はすばらしいものがあったものの「ストーリーやキャラクター作りの才能を持つ人物、観客を感動させる力を持つ人材が身近にいない」ということがあった。
そんな中、現在までのピクサー作品でも活躍をしているディズニー出身ディレクター、ジョン・ラセターとの出会いにより、転機を迎えることになる。
そこに、ジョブズも加わり、
「ストーリーを語ること。本当の映画を作ること。
 世界初のアニメーション映画をセットからキャラクターまですべてをコンピューター合成で作る」
ということをミッションに、その後トイストーリー、バグズライフ、ウォーリーなどヒット作品を作るということに繋がっていく。

ピクサー自身も最初から順風満帆というわけではなかった。だが、ソフトの価値にも目を向けだしたジョブズは、レンダーマンというCG業界のスタンダードとなるソフトを開発したり、 ラセターなどの映画製作のパトロンを買って出たりというように、彼の新しい組織観を構築する実作業に入りつつあった。
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ジョブズ荒野へ。 : 知のコングロマリット#100

2010-03-20 11:33:20 | 知のコングロマリット
スティーブ・ジョブズ-偶像復活
ジェフリー・S・ヤング,ウィリアム・L・サイモン
東洋経済新報社

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Ch4. Learning to Fail 敗北を学ぶ

スティーブ・ジョブズがいよいよ、有名は「自分で創業した会社をクビになるという」前代未聞の事態に追いやられていく。
この頃からApple社内では新任社長のジョン・スカリーを初め、これまでジョブズを救ってきた人々の間で、Appleがうまくいかないのは、ジョブズの独走のせいだという雰囲気が蔓延しだす。
きっかけとしては、上記雰囲気に対し、本当にAppleにふさわしい経営者はだれかということが話題になりだし、スカリー自身が独自性を発揮しようと考えだしたということが大きな天気のようだ。

ジョブズは取締役会により社内で権力を駆使できない立場に徐々に追いやられていくことになる。

[ジョブズが当時を振り替えりのコメント]
「ミック・ジャガーもいってるケッド『いつも欲しいものが手に入る訳ではない。時には必要なものが手に入るんだ』」

[ジョブズの新しい道の模索~新しい組織観の構築]
「全員、いとりひとりが会社の運命を決められるような小さな会社、楽しく仕事ができるような小さな会社を作りたい」
「僕が得意なのは、才能のある人材を集め、何かを作ることです。
 僕が何かをつくr場所がアップルにないのなら、過去2回したことをもう一度するだけです」

[退陣当時のジョブズのAppleに対する想い]
「アップルとの関係は初恋のようなものだ。初恋の女を忘れられないように、僕はアップルのことを忘れられないだろう。
 コンピューターというものが人類最高の発明だということを忘れてしまったら、そのときこそ、僕のアップルのなくなる日 
 だ。」
→こうして、ジョブズはアップルを去り、想いを託したNEXT社の創業となる。
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Jobs危機とたゆまなき行動。 : 知のコングロマリット#99

2010-03-20 11:11:25 | 知のコングロマリット
スティーブ・ジョブズ-偶像復活
ジェフリー・S・ヤング,ウィリアム・L・サイモン
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Ch3. Let's be Pirates

1979年当時のSteve Jobs

ジョブズはこの頃から、Apple,でのウォズニアク初のマシンからの思念的独立を果たすため試みを幾度となく試すようになる。マシンの開発としては、ほぼ壊滅といっていい状況が続く。
ITカンパニーとしての飛躍を夢見て、ゼロックスの研究所の見学を通じて、安価なパソコンの開発と言うビジョンの原型も獲得をするようになるのもこの頃である。
この頃から、Apple自体も組織として官僚化していき、実質創業者であるスティーブ・ジョブズが疎ましく思われるようになり、アメリカ的発想の中、会長職へと追いやられていく。

ゼロックスでの見学を経て、ジョブズは社内外への起死回生を夢見、「マッキントッシュプロジェクト」を立ち上げ、パーソナルコンピュータ市場への安価なマシンの開発に乗り出す。

[マイクロソフトとの回向]
ジョブズはなんとしても小型化マシン開発プロジェクトを成功させたいという想いから、当時ライバル視していたマイクロsふとに基幹アプリケーションの開発を外注することに。

[IBMとの比較を用いた有名なプレゼンテーション]
「最後はAppleかIBMだ。我々が大きなへまをやらかし、IBMが勝ってしまったら、コンピューターの暗黒時代が20年くらいは続くんじゃないかと思う」

[ジョブズのチーム育成]
Appleでは1982年頃から研修合宿を実施しており、チームバリューとして「驚くほどのコンピューターを作り、世界をあっと言わせること」が重要で、それ以外のことが重要ではないという価値観が共有されるようになっていく。
当時のジョブズ主導でのこの合宿では、同じく社内での主要なポジション奪取を狙ったメンバーに対し、
a.「海賊になろう」
b.「週90時間喜んで働こう」
c.「海賊になろう!」と書かれたトレーナーをチームメンバーに配る
など今のAppleの強みとも繋がる部分が構築されていく。

最高の商品を作るためにチームで圧倒的指導力を持ったリーダーのもとで形にしていくというスタイルだ。

ただ、この頃からAppleをより大きな、より影響力のある会社にしたいというジョブズの想いはまさに、裏目に出る。
ペプシコーラの主張をしていたジョン・スカリーをCEOへと招聘したことだ。
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Steve Jobsの発想の原点 : 知のコングロマリット#98

2010-03-20 10:48:54 | 知のコングロマリット
スティーブ・ジョブズ-偶像復活
ジェフリー・S・ヤング,ウィリアム・L・サイモン
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自分を本気で変えようと思うと、ただ行動をとるしかない。よく準備されながら。
Ch2. A company is born

リード大学時代から続いているジョブズのパーソナリティが形作られていく過程として大きく二つの傾向がある。
a.ビジネス志向
b.禅への傾倒

リード大学時代からジョブズは行動をとり続けていた。自分がビジネスをするならどの分野がいいかということに対して。
ジョブズが重視したスタイルとして、「内なる意識を通じた」
a.体感や直感、自己実現に重きを置く禅への興味を持つ
b.質問に対し、その瞬間に心に浮かんだものを使い反論するというテクニックの習得
ということがその後の事業人生に影響を与えている。

このようなパーソナリティから、ジョブズはビジネスを構築していき、Apple,と開発を行っていく。
この当時からのジョブズのスタイルとしては、自分の能力の限界を認識した上で、天才を集結し、プロジェクトリーダーとして事業を構築していくということであった。

ジョブズのビジネスマンとしての3つの原型は、
a.セールスマンとしての製品に対する愛着と、伝道師の様な情熱
b.目的に向かって突き進む狂言的な性分
c.事業を成功させるというハングリー精神
がある。

この創業当時ジョブズの価値観を変えたものとして、インテルのイメージ広告とのである。
大物マーケティング人物のマッケンナ氏との出会いにより、ビジネスにおいてのマーケティング的観点、広告的視点を獲得することになる。

1977年3月:Apple本格的創業
ウォズニアクがヒューレットパッカードを辞職し本格参加。
国際家電ショーでのプレゼンテーションでも業界に対してインパクトを与える。

[ジョブズの組織観]*当時
Aクラスの人間だけで会社を作れば、みんなAクラスの人間を雇おうとするが、そこにBクラスが一人紛れ込むと、そいつが同じBクラスを集め始める。瞬く間に会社がBクラス、Cクラスだらけになってしまう。

創業当時のAppleはジョブズの上記のような考えもあり、彼自身が首にされてしまうまでずっと、共通していることだが、あまり事業としてうまくいっているとは到底言いがたかった。
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3月19日(金)のつぶやき

2010-03-20 01:09:53 | 知のコングロマリット
04:40 from TwitBird iPhone
本音でいえばボロボロだ。なにもしたくない。
11:53 from web
危機的な状況なのにたいしてやるきでない。つらい。
20:16 from TwitBird iPhone
理由は秘密だが、気合がはいった。
by Masaomisoda on Twitter
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