国語の評論文で「言語論」をしています。言葉とそれを指し示す内容は同時に生まれるということを説明する具体例として「辛い」という言葉で説明しています。以下の通りです。
「辛い」という言葉について考えてみましょう。
「辛い」というのはもちろん味の概念です。若い時私は「辛い」という味について特に何も考えずに、単なるひとつの味だと認識していました。しかし改めて考えてみると、コショウの味と、唐辛子の味は全く違います。ラーメンに唐辛子をかける人はあまりいませんし、そばにコショウをかける人もあまりいません。それぞれの味には特徴があるのです。だんだん「辛い」の意味は実はひとつの味ではないというのが分かってきました。
英語では「辛い」が2語あります。「hot」と「spicy」です。カレーを食べたとき唐辛子系の「hot」な辛さが最初に来て、あとから「spicy」な辛さが追ってくる経験をしたことがある人も多いと思います。その時、同じ辛さでもいろいろあることに気づきます。
中国語では3種類あるそうです。「辣(ラー)」と「麻(マー)」と「辛(シン)」です。「辣(ラー)」はトウガラシなどの熱を伴う辛味。「麻(マー)」はサンショウなどの痺れる辛味だそうです。では「辛(シン)」は何なのでしょう。ユズやシナモンといった、あまり痛覚を刺激せず、日本語的な辛味の範疇に収まらない味だということです。
「辛い」という味は、一見不快な味でありながら、その刺激がくせになり積極的に食べたくなるような味の総称のようです。本当ならば全く違う、一緒の範疇に入らないような味が、ひとつの「辛い」という言葉によって結びつけられていると言っていいのです。
「辛い」という言葉を考えてみると、「言葉」があってはじめて「モノ」が存在するということがわかってくるように思われます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます