とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「大学入学共通テスト」マークシート問題モデル問題例2

2017-07-23 08:28:07 | 高校国語改革
 平成29年7月に大学入試センターから発表されたマークシート問題のモデル問題例についての感想を述べる。今回は例2について。

 例2の問題は2つの文章からの出題である。【文章1】は『平家物語』「忠度都落」からの1節で、【文章2】はそれを読んだ二人の人物による対談の一部である。【文章2】は高校生の対談ではなく、出版されている書籍からのものであり、著名な国語教師である黒澤弘光から、著名な理学博士である竹内薫氏が古典の読み方を教わる形で進む対談である。私はこの問題もおおむねいい問題であると考える。いくつかの点に分けて感想を述べる。

 1点目。難易度が適当である。題材が『平家物語』だったので、平安女流文学とは違い文脈がつかみやすい。最近センター試験の問題が難しくなる一方であったのでこの程度の難易度のほうがいい。ただしこのような難易度だと平均点が上がりすぎるという批判がおきそうである。そしていつの間にかどんどんむずかしくなっていくというのがセンター試験の歴史だった。そういう批判が起きてもこの難易度を維持できるのか。そもそも高校や大学がこのような難易度の問題に対して批判を言わずにいられるか、ここが大きなポイントである。

 2点目。文法や文学史が出題されている点も評価したい。文法に関しては、出題しないほうがいいという意見もよく聞かれるが、私はしっかりと10点ぐらい出題したほうがいいと考える。文法は日本語を客観視していくために大切な知識だからだ。同じように文学史も日本の文化の知識としてきちんと頭の中にいれておいたほうがいい。ただし、基本的な問題でなければならない。ガイドラインを作成し、そのレベルに達している生徒はだれもが正解を得られるような問題であるべきだ。

 3点目。【文章2】の対談はおもしろい。古典の読解の醍醐味を教えてくれる。国語教師として勉強になる。しかし、これをもとに問題を作成したのでは生徒の主体的な態度は育たない。生徒自身が発見すべきところが対談の中で言及されているからである。本来、生徒の自主的な態度は面接などで時間をかけて評価されるべきものであろう。それができず、センター試験で受験生を評価しなければならないことに最大の問題があるわけであるが、だとしたら、マーク型の問題でなんらかの工夫ができないのか。教育改革の根本が改善されないのではないかという懸念は残る。
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書評『アクティブラーニング入門2』(小林昭文著)

2017-07-22 07:07:30 | 読書
 「アクティブラーニング」という言葉は去年大ブレークした言葉です。大ブレークしてしまったから逆に今年少し敬遠されているような気がしますが、しかし授業改革の必要性が多くの教員が実感してるため、「アクティブラーニング」型の授業改善に対する異論が出てきているわけではない。教育改革の大きな流れが今進行中なのである。

 小林昭文先生は「アクティブラーニング」の伝道者である。自身が独自に行ってきた授業改革が、今日の大きな流れと合致していた著者は、自身の授業の方法を、理論的背景からこまかな実践テクニックにいたるまで書いている。自身で苦しみながら開発してきた方法であるから、参考にしようと考えている教員の疑問に、「痒い所に手が届く」ように答えてくれる。

 教師としてどういうことを学び、どのような苦労をすべきか、気づかされる本である。
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「大学入学共通テスト」マークシート問題モデル問題例1

2017-07-21 10:37:10 | 高校国語改革
 平成29年7月に大学入試センターから発表されたマークシート問題のモデル問題例についての感想を述べる。今回は例1について。

 例1の問題は短歌について書かれた二つの評論を読んで答える問題と、その評論を読んだ生徒が他の短歌を鑑賞している会話から出題した問題である。全体的に言えば大きな改善の見られる問題だと考えている。

 良い点について述べる。

1点目。センター試験では第1問が評論が出題されて、その評論がどんどん長文化し、難解になってきていて、もはや国語の読解の枠を超えていることが大きな問題であった。それについて例1の問題は改善されている。

2点目。短歌を題材とすることによって、国語の授業の中で近年軽視されつつあった詩歌についての重要性を再確認するきっかけとなっている。表現への意識も高くなるであろう。この点も評価できる。

3点目。さまざまな文章を挙げ、その中から必要な情報を見つけ出す能力、つまり情報収集能力を育てようとしているのが見え、問5のⅱの問題はいい出題だと思われる。

あまり良いと思われない点を述べる。

1点目。この問題を解くときにあまり論理性が必要とされないような気がする。ここでいう論理性というのは文章における論理展開という意味での論理性である。確かに文章である以上、その根本に論理があり、この例1の問題もその論理によって出題されてはいる。しかし、今日の言語活動を重視するという視点においては、接続詞や論理展開、根拠と意見などの目に見える論理を意識させる必要がある。その観点の出題が見られないのだ。

2点目。言語活動を推進するために生徒の会話を問題に入れているのだが、これと言語活動が結びつくとは考えられない。会話がリアリティがなさすぎるのだ。出題のための会話にしかなっていない。

3点目。「評価することのをねらいとする能力について」に記載されている、「テキストを構造化する力」というのはどういうものか分からない。この例1の問題でそれが問われていたのだろうか。

さっと見ての感想なので、自信をもって意見を表明しているわけではないが、今後、さまざまな意見を参考にしながら、もっと深く考え、必要に応じて意見を修正していきたい。そして国語の改革について少しでも貢献していきたいと考えている。
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「輿論」と「世論」(朝日新聞「折々のことばより」)

2017-07-20 18:09:30 | 折々のことば
朝日新聞の7月20日の「折々のことば」

戦時動員された与論、すなわち「ヨロンと読まれる世論」を、いかにして討議可能な輿論(よろん)に復員するか 佐藤卓己

ログイン前の続き輿論と世論(せろん)がよくごっちゃにされる。輿論はパブリック・オピニオン、人々の討議を経て形成される市民の意見で、世論はポピュラー・センチメンツ、つまり大衆の間に醸しだされる感情。世間の気分や空気を映しだす「世論調査」が輿論へとすり替わっていないかと、メディア史研究者は問い、輿論の復権を説く。

「世論」という言葉をなにげなくよく使っていたが、間違った使い方をしていたのではないかと反省させられる。輿論は世論に流されて、いつのまにかみんなが正しいと思いながら間違った方向を向き始めているのではないか。

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船越英一郎さんはすごい

2017-07-18 07:41:31 | TV
 きのうNHKの「夏バテ予防!スタミナ家族に副きたる!」という番組を見ていた。平野レミさんが、70分の生放送で14品の料理をつくるという番組である。平野さんは例のごとく暴走して料理を作りまくる。平野さんが暴走するのはいつものことなので驚きもしないが、その他の出演者がどう対応していいかわからず、番組がとっちらかってしまった。ギャーギャー叫んでいるだけの状態で番組はすすんでしまったのだ。その中にはNHKのアナウンサーもいたのにも関わらずである。

 ところが後半船越英一郎さんが加わると落ち着き始めた。船越さんはしっかりと仕切りはじめ、やっと平野さんの説明もわかり始めた。

 ギャーギャー叫ぶハプニング感を楽しんでいただけの視聴者にとってはつまらなくなってしまったかもしれないが、さすがに料理の番組であれは行き過ぎだった。船越さんのようなちょっと鼻につくかもしれないが、しっかりとリーダーシップのとれる仕切り屋は生放送では絶対に必要だと感じさせられた。

 船越さんは、最近別の点で取り上げられ大変だとは思うが、テレビで能力を発揮できる貴重な方だと思うので、がんばってほしい。
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