チェンマイに8カ月滞在の目的の一つが、タイ北部諸窯のルーツ探しである。タイ芸術局第8支所やチェンマイ大学、国立図書館、市立図書館、市内の多くの書店を廻ったが、謎は解けずに残ったままである。
持論は、そのルーツは雲南に在ると思っているが、そこに辿り着けずにいる。今回の滞在で端緒でもつかめれば・・・と考えていたが、完全に空降りに終わった。
古い話ではあるが、バンコク大学発行の"Southeast Asian Ceramics Museum Newsletter Sep-Oct 2006"に「近世のミャンマー青磁生産」についての記事を読んだ時は、雲南に一歩近づいたと感じたが、その先がさっぱり繋がらない。
その記事を極大雑把に紹介しておく。ミャンマー・セラミックス協会のミョー・タンティン氏は2003年11月2日マンダレーからモンクンを訪ねた。そこから約5マイル北のホーナー村で作陶している窯を探し出した。窯は昇焔と横焔が合わさったような特徴を持っている。そして17世紀と思われる7つの古い窯址を見た。
以上が大雑把な概要である。ここで窯は下図のようであったと報告されている。それによると、窯天井はラクダの瘤のように高くなっているが、北タイの横焔式単室窯と似ている。全長は約7.2m幅、高さ2.7mと記載されていた。
そこで焼成されていた陶磁は、北タイの青磁の味わいである。これを見ても何らかの関連を感じさせるが、17世紀とランナーの14-16世紀のどのような関連があるのだろうか?
しかしながら、その先が繋がらない。雲南府から景洪にかけての情報がない。あるにはあるが饅頭窯のようでもあり、北タイの窯様式とは異なっている。
(時代に1~2世紀の開きと、窯形状がややことなるが、チェンマイとモンクンは何となくつながりそうだ。ルアンプラバーンのバン・サンハイには横焔式単室窯址があり、窯形式は繋がる。そこから先の景洪や昆明と繋がる証拠がない。)
まだまだ調査不足であろうが、ルーツを雲南に求めることに無理があるかもしれない。更なる追求が必要だが、パヤオ文化センターで買い求めたタイ語書籍に、気になる写真が掲載されていた。
<続く>