東京老人Tokyorojin

こごとじじい増山静男のブログです。

義母の受診

2012年01月18日 19時26分43秒 | 介護
1月18日

老人ホームから、今日病院に受診するとの連絡があり、病院に行った、
CTの結果脳溢血は起きていなくて、脳梗塞である、

入院するかどうか検討したが、
 手術はできない、
 血をさらさらにする薬を飲む、
 週2回点滴をする、

という治療で最善を尽くせるという結論となり、
老人ホームに戻すことになった、
病院では普通の病室がなく、31,500円の特別室しかないということだったので、
経済的にも大変なことになるのだった、
なお浅草のK君のお母様(97歳)は、現在32,000円の部屋に入っており
すでに1ヶ月を超えている、大変な金額がかかるものでる。

ポルトガル行きは大丈夫のようである、

兄とその妹

2012年01月18日 09時34分11秒 | 映画
昨日1月17日、22時からBS3で、

家のテレビはリモコンが不調で、本体で消さなくてはいけない、そこで、消しにいったのだがちょっと見てる画面が面白すぎてついおしまいまで見てしまった、佐分利信、三宅邦子、桑野通子、上原健といったメンバーである、監督は島津保次郎、昭和14年の作品である、

この映画のことについて知ろうと検索したら、素敵なホームページにぶつかった、「シネマ洋装店」というサイトで、桑野通子のファッションについても綺麗な絵が描いてある、ぜひごらんいただきたい、

この映画、彼のサイトでも述べているが、なんとも気楽な映画、結末がこうなるだろうというところが微妙にずらしてある、佐分利と三宅の家が、年寄りぬきで一軒構えているのも素敵(妹も同居しているが)そして、

保証人(お金持ち)のうち、なんとインターフォンがある、当時は真空管である、不安定な真空管式でそのいじは大変だっただろうな、佐分利は、会社で喧嘩して辞表をたたきつけるのであるが、保証人が次の仕事を紹介してくれる、それが、海外に行かないか、というもので、なんと、羽田から

飛行機で赴任するのだ、細君もつれて、妹も連れて、

当時の大日本航空は日本から遠く満州まで航路を持っていたのだ、昭和14年といえば、日本が戦争前一番よかった時代、戦争があるなんていうことはまったく感じさせない画面だった(奥さんたちが戦時歌謡を歌う場面はあったが)このまま戦争がなかったらやはり今と同じ世界一の国になっていたに違いない。




深夜の電話

2012年01月18日 08時44分00秒 | 介護
1月17日 8時半 老人ホームから電話があった、義母がろれつが回らない、昼、夜と介護で食べさせたが、ほんの少ししか食べないとのこと、もう少し悪くなったら救急車で病院に運ぶとのことであった、 とりあえず家内が行った、もしかしたら、ポルトガルにはいけないかなあ、2番目の嫁さんに電話すると、今とても乾燥しているから水分が不足しているのかもしれない、水分を補給すればとのことだった、 家内の話では水分を充分飲ませた後は、結構元気になり、くろあめも食べたという、話も少し回復したとのこと、もしかしたら、旅行にいけるかもしれない、