思い出の曲というのは、誰にでもあると思う。
もちろん、私にもある。
それは、QueenのThe show must go onだ。
独立して仕事をやっていこうと決めた日。
その日だけは、日常生活で、したことのないことをしようと思った。
だが、色々と考えたが、いいアイディアが浮かばない。
何かないか、と自由が丘の街を2時間近く、うろついた。
午後6時過ぎ、歩き疲れて、もうどうでもよくなった、と投げやりになった頃、ある看板を見つけた。
「ボヘミアン」というバーの看板だった。
なぜ、それが気になったのか、自分でもわからない。
ただ、その看板を見た私は、ほとんど発作的にバーのドアを押していた。
スタンドバーだ。
バーに一人ではいるのは、初めてだった。
一人でなくても、バーに入ったことは、数えるほどしかなかった。
入ってから、失敗した、と思ったが、客が誰もいなかったので、小さく息を吐いて心の中で胸を撫で下ろした。
カウンターの向こうに、バーテンがいた。
私の嫌いな大橋巨泉に風貌が似ていたので、心の中で舌打ちをした。
私が入ってきても、男はほとんど無関心で、「いらっしゃい」とも言わず、会釈もしなかった。
回れ右をして、ドアを蹴飛ばして帰ろうかと思ったが、それではまるでヤクザさんのようだ、と思い止まって、I.W.ハーパーのロックを頼んだ。
緊張のせいで、声が震えていたかもしれない。
やけくそで、、I.W.ハーパーを一気に呷った。
そのとき、耳に入ってきたのが、クイーンの曲だった。
それまでも音楽は流れていたと思うが、全く耳に入ってこなかった。
酒を飲んで緊張が少し解けたので、聴覚が機能したということだろう。
The show must go on
私の魂は蝶の羽根のように彩られ むかしのおとぎ話のさなぎが
いま羽化するように 私は決して死なない
友よ 私は飛べるんだ
ショーは続けなければならない そう
私はこんな風に 余裕の笑顔で向かっていくんだ
私は絶対にあきらめない
これからもショーを続けていくんだ
そして この名をトップに挙げさせてみせる
やりすぎだと言われても構わない
私のこの決意は、変わらない
このショーを続けるんだ
私は ショーを続けなければいけないんだ
フレディー・マーキュリーの声が、I.W.ハーパーとともに、私の全身に入り込んできた。
俺のショーは、始まったばかり。
これからが、俺のショーの始まりだ。
I.W.ハーパーのお代わりを頼んだ。
クイーンの曲が続く。
「キラー・クイーン」「アンダー・プレッシャー」「マイ・ベスト・フレンド」
そして、「ボヘミアン・ラプソディ」。
それを聴いたとき、ああ、看板の「ボヘミアン」は、これから取ったのか、と思った。
大橋巨泉似のバーテンに、「これ・・・・ですよね」と聞いたら、彼は無表情に「放浪者の狂詩曲」と言ったあとで、「オレ、狂った放浪者だからさ」と味のある笑顔でウインクされた。
少しだけ居心地の悪さを感じたが、その笑顔は、悪くなかった。
そして、私が「俺も明日から放浪者のようなもんだな」とつぶやくと、バーテンが「ショーは始まったばかりだ」と言って、また「The show must go on」をかけてくれた。
3杯目のI.W.ハーパー。
そして、2回目の「The show must go on」。
ショーは、続けなければならない。
私がそう言うと、バーテンが「人生というショーは、死ぬまで続くものですよ」と言った。
普段の私だったら「気障なことを言いやがって」と思っただろうが、そのときは何故か大きく頷いていた。
いま、私のショーが続いているかどうかは、わからない。
生きているのだから、続いているのだとは思うが、あまり実感がない。
13年前の感覚を思い出そうと思って、先日「ボヘミアン」に行ってみたが、そこは小さな居酒屋に変わっていた。
「狂った放浪者」は、どこへ行ったのか。
そう思ったが、俺だって「狂った放浪者だ」と思ったら、少し笑えてきた。
自由が丘からの帰りに、ドン・キホーテでI.W.ハーパーを買って、今それを飲んでいるところだ。
台風の気圧を肌で感じながら、昼間からI.W.ハーパーを飲む。
それは、「狂った放浪者」に相応しいことのように思える。
俺のショーは きっと まだ・・・・・続いている。
もちろん、私にもある。
それは、QueenのThe show must go onだ。
独立して仕事をやっていこうと決めた日。
その日だけは、日常生活で、したことのないことをしようと思った。
だが、色々と考えたが、いいアイディアが浮かばない。
何かないか、と自由が丘の街を2時間近く、うろついた。
午後6時過ぎ、歩き疲れて、もうどうでもよくなった、と投げやりになった頃、ある看板を見つけた。
「ボヘミアン」というバーの看板だった。
なぜ、それが気になったのか、自分でもわからない。
ただ、その看板を見た私は、ほとんど発作的にバーのドアを押していた。
スタンドバーだ。
バーに一人ではいるのは、初めてだった。
一人でなくても、バーに入ったことは、数えるほどしかなかった。
入ってから、失敗した、と思ったが、客が誰もいなかったので、小さく息を吐いて心の中で胸を撫で下ろした。
カウンターの向こうに、バーテンがいた。
私の嫌いな大橋巨泉に風貌が似ていたので、心の中で舌打ちをした。
私が入ってきても、男はほとんど無関心で、「いらっしゃい」とも言わず、会釈もしなかった。
回れ右をして、ドアを蹴飛ばして帰ろうかと思ったが、それではまるでヤクザさんのようだ、と思い止まって、I.W.ハーパーのロックを頼んだ。
緊張のせいで、声が震えていたかもしれない。
やけくそで、、I.W.ハーパーを一気に呷った。
そのとき、耳に入ってきたのが、クイーンの曲だった。
それまでも音楽は流れていたと思うが、全く耳に入ってこなかった。
酒を飲んで緊張が少し解けたので、聴覚が機能したということだろう。
The show must go on
私の魂は蝶の羽根のように彩られ むかしのおとぎ話のさなぎが
いま羽化するように 私は決して死なない
友よ 私は飛べるんだ
ショーは続けなければならない そう
私はこんな風に 余裕の笑顔で向かっていくんだ
私は絶対にあきらめない
これからもショーを続けていくんだ
そして この名をトップに挙げさせてみせる
やりすぎだと言われても構わない
私のこの決意は、変わらない
このショーを続けるんだ
私は ショーを続けなければいけないんだ
フレディー・マーキュリーの声が、I.W.ハーパーとともに、私の全身に入り込んできた。
俺のショーは、始まったばかり。
これからが、俺のショーの始まりだ。
I.W.ハーパーのお代わりを頼んだ。
クイーンの曲が続く。
「キラー・クイーン」「アンダー・プレッシャー」「マイ・ベスト・フレンド」
そして、「ボヘミアン・ラプソディ」。
それを聴いたとき、ああ、看板の「ボヘミアン」は、これから取ったのか、と思った。
大橋巨泉似のバーテンに、「これ・・・・ですよね」と聞いたら、彼は無表情に「放浪者の狂詩曲」と言ったあとで、「オレ、狂った放浪者だからさ」と味のある笑顔でウインクされた。
少しだけ居心地の悪さを感じたが、その笑顔は、悪くなかった。
そして、私が「俺も明日から放浪者のようなもんだな」とつぶやくと、バーテンが「ショーは始まったばかりだ」と言って、また「The show must go on」をかけてくれた。
3杯目のI.W.ハーパー。
そして、2回目の「The show must go on」。
ショーは、続けなければならない。
私がそう言うと、バーテンが「人生というショーは、死ぬまで続くものですよ」と言った。
普段の私だったら「気障なことを言いやがって」と思っただろうが、そのときは何故か大きく頷いていた。
いま、私のショーが続いているかどうかは、わからない。
生きているのだから、続いているのだとは思うが、あまり実感がない。
13年前の感覚を思い出そうと思って、先日「ボヘミアン」に行ってみたが、そこは小さな居酒屋に変わっていた。
「狂った放浪者」は、どこへ行ったのか。
そう思ったが、俺だって「狂った放浪者だ」と思ったら、少し笑えてきた。
自由が丘からの帰りに、ドン・キホーテでI.W.ハーパーを買って、今それを飲んでいるところだ。
台風の気圧を肌で感じながら、昼間からI.W.ハーパーを飲む。
それは、「狂った放浪者」に相応しいことのように思える。
俺のショーは きっと まだ・・・・・続いている。