リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

懐かしの曲は聴かない

2011-09-27 11:24:41 | オヤジの日記
昔の歌には、ほとんど興味がない。

現役バリバリの歌手が自分の昔の歌を今の歌い方で歌うのは、その歌手の歴史がわかって興味深いのだが、いわゆる「懐メロ」というものに、私は、まったく興味がわかない。


昔の歌は、よかったね。


本当に、昔の歌は良かったのか?

今の歌を、どれだけ知っていて、そう言っているのだろうか。

ただ、新しい歌を受け付けないから、拒んでいるだけではないのか。

懐かしさだけで言っているのなら、それは、おそらく脳の老化だ。

以前にもブログで書いたことがあるが、歌には「思い出のフィルター」というものが、付加される。
その「思い出のフィルター」は、時の経過が長ければ長いほど、懐古的な情緒を増幅するから、歌が脳内に強い情緒を植え付ける。
そして、良いことも悪いことも、ベクトルの幅の振れが大きいところが強く記憶されて、「自分だけの思い出」を形づくる。

だから、懐かしの歌が好きな人には、そのベクトルの振れの大きさが「いい歌」の判断基準になる。
「思い出のフィルター」が、それを「いい歌」として焼き付けるのだ。


それが、思い出の歌のメカニズムだ。


しかし、今の歌には、その人の浅い歴史しかないから「思い出のフィルター」の効力が弱い。

「思い出のフィルター」によって脳内に焼き付けられた過去の歌に、こだわりすぎる人に、今の歌が心に響いてこないのは当たり前のことだ。

過去を基準に歌の善し悪しを決める人に、今の歌が受け入れられるわけがない。


昔の歌は、よかったよ。
みんなが歌える歌が、いくらでもあった。
今の歌は、駄目だ。


そうだろうか。
昔は、ゴールデンタイムにテレビをつければ、必ずどこかの局で音楽番組を放映していたと思う。
つまり、目に止まる機会、耳を傾ける機会が、今とは比べものにならないくらいあった。

そして、メロディもリズムも歌詞も、単純でわかりやすかった。

それと比べると、音楽番組が減り、音楽も多種多様になり、音楽以外の娯楽が増えた今は、「思い出のフィルター」が、音楽以外に作用するという現実がある。

選択肢の少ない時代の歌と選択肢が広がった時代の歌では、歌の持つ役割さえも違うのではないか、と私は思っている。


その人にとって、昔の歌は良かったのかもしれないが、「思い出」というアドバンテージのおかげで美化され続ける歌に、私は興味がない。

前回も書いたように、私にも思い出の歌がある。
しかし、私は、その歌を「昔は良かった」という理由で聞くことは決してない。

その時の私の感情に、ストレートに入り込んできたから「いい歌だ」と思うだけである。


そして、いま、この時代を反映したと思える歌は「思い出のフィルター」など関係なしに「いい歌」だと思うから、私には懐かしいだけの歌は必要がない。

懐かしさを人と共有したいとも思わない。



魂を込めた新しい歌は、今の時代、自分で探せば、いくらでもある。

その歌を探す楽しみを、私は放棄したくない。