高校二年の娘の影響で、K-POPはよく聴く。
娘は、少女時代、Superjunior、SHINEEがお気に入りだ。
他に、BoA、BIGBANG、2NE1、RAIN(ピ)も好きだ。
私もBoA、BIGBANG、2NE1、RAIN(ピ)がK-POPでは、水準以上のアーティストであることに異論はない。
少女時代、Superjunior、SHINEEに関しては、真剣に聴いたことがないので、わからない。
私の狭いK-POPの知識の中で、BoA、BIGBANG、2NE1には個性は感じるが、他のアーティストには、あまり個性を感じない。
少女時代はすごいんだから、と娘は力説する。
もちろん、少女時代の人気があるのは知っているし、プロ意識の高さも尊敬している。
ただ、私には、彼女たちの姿は、出来のいいアンドロイドにしか見えないのである。
それは、他のグループにも言えることだ。
同じような歌を歌い、同じようなダンスをして、同じような決め顔をする。
それは、素人が、歌舞伎役者が切る「見得」がみな同じように見えるのと同じで、私には、どのグループのパフォーマンスも同じように見えてしまうのである。
「まあ、アンドロイドでも美しければ、よくないか?」
と娘は言う。
確かに、異論はない。
美しさは、全てを凌駕する。
しかし、少女時代が究極のアンドロイドかと言えば、そうではない。
娘と私が、究極のアンドロイドだと思っている韓国の歌手がいる。
それは、G.NAだ。
顔は特別美人というわけでも可愛いというわけでもない。
歌も踊りも平均点だ。
ただ、K-POPの歌手にありがちな、意味もなく声を張り上げたり、音を伸ばしたりという余計な歌い方はしないし、踊りも歌の邪魔をするほど過剰ではないところは評価できる。
楽曲に関しては、平凡な曲が多くて可哀想な気がするが、G.NAの場合は、それでいいのかもしれない。
究極のアンドロイド的なルックスは、あまりパッとしない曲の方が、彼女の良さを引き立てると思うからだ。
「とにかく、パーフェクト・ボディだよな」と娘が言う。
私も異論はない。
まるでCGを見ているような完璧な肉体が、歌っているのを見るだけで、満足すべき存在。
G.NAは、そんな歌手である。
日本や韓国のアイドルは、ほとんどが「数頼み」だ。
つまり、人数で売る。
グループの中で、一人や二人、華のない人がいても、数がそれを覆い隠す。
そして、一人ひとりにそれぞれファンが付けば、ファンの総数は増えるという単純な算数方式で、プロダクションは儲けようとする。
下手くそなダンサーでもいいから、バックに何人か付ければ、そこにまたファンが少なからず群がる。
その点で、ソロのアイドル歌手は、分が悪い。
ひとりの魅力で売らなければいけないからだ。
いま、一人で売れるほど魅力あるアイドル歌手は、数少ないという現実がある。
何か一つ際立った個性を持っていても、ソロ歌手として成功するわけではない。
(グループの場合は、一人ふたりが下手でも成功する例が多い)
一人で売れたアーティストは、作詞能力や作曲能力に優れた人や、ダンスが神がかり的に上手かったり、4オクターブの声が苦もなく出せるような人、あるいは全てが平均点をはるかに超える人など、プロとしての高みを極めた人が多い。
ソロでも瞬間的に売れる人はいるが、それはただ単に目新しさで売れているだけで、長くは続かない。
では、G.NAはどうかというと、どれも平均点だから、本国でも、それほど爆発的には売れているわけではない。
日本では、デビューしていないから、ほとんど知られてもいない。
ただ、その究極のアンドロイド的な肉体を、誰もが考えつかないような奇抜な方法でアピールしたら、売れる可能性はあると私は思っている。
私がプロデューサーだったら、生身のG.NAとCGで作った見るからにアンドロイド的なG.NAをコラボレーションさせることを考えるのだが、それは無理があるだろうか。
娘は、「その世界では初音ミクがいるからな。いくらパーフェクト・ボディって言ったって、初音ミクには勝てないよ」という。
初音ミクのことをよく知らないオジさんは、黙るしかない。
娘は、少女時代、Superjunior、SHINEEがお気に入りだ。
他に、BoA、BIGBANG、2NE1、RAIN(ピ)も好きだ。
私もBoA、BIGBANG、2NE1、RAIN(ピ)がK-POPでは、水準以上のアーティストであることに異論はない。
少女時代、Superjunior、SHINEEに関しては、真剣に聴いたことがないので、わからない。
私の狭いK-POPの知識の中で、BoA、BIGBANG、2NE1には個性は感じるが、他のアーティストには、あまり個性を感じない。
少女時代はすごいんだから、と娘は力説する。
もちろん、少女時代の人気があるのは知っているし、プロ意識の高さも尊敬している。
ただ、私には、彼女たちの姿は、出来のいいアンドロイドにしか見えないのである。
それは、他のグループにも言えることだ。
同じような歌を歌い、同じようなダンスをして、同じような決め顔をする。
それは、素人が、歌舞伎役者が切る「見得」がみな同じように見えるのと同じで、私には、どのグループのパフォーマンスも同じように見えてしまうのである。
「まあ、アンドロイドでも美しければ、よくないか?」
と娘は言う。
確かに、異論はない。
美しさは、全てを凌駕する。
しかし、少女時代が究極のアンドロイドかと言えば、そうではない。
娘と私が、究極のアンドロイドだと思っている韓国の歌手がいる。
それは、G.NAだ。
顔は特別美人というわけでも可愛いというわけでもない。
歌も踊りも平均点だ。
ただ、K-POPの歌手にありがちな、意味もなく声を張り上げたり、音を伸ばしたりという余計な歌い方はしないし、踊りも歌の邪魔をするほど過剰ではないところは評価できる。
楽曲に関しては、平凡な曲が多くて可哀想な気がするが、G.NAの場合は、それでいいのかもしれない。
究極のアンドロイド的なルックスは、あまりパッとしない曲の方が、彼女の良さを引き立てると思うからだ。
「とにかく、パーフェクト・ボディだよな」と娘が言う。
私も異論はない。
まるでCGを見ているような完璧な肉体が、歌っているのを見るだけで、満足すべき存在。
G.NAは、そんな歌手である。
日本や韓国のアイドルは、ほとんどが「数頼み」だ。
つまり、人数で売る。
グループの中で、一人や二人、華のない人がいても、数がそれを覆い隠す。
そして、一人ひとりにそれぞれファンが付けば、ファンの総数は増えるという単純な算数方式で、プロダクションは儲けようとする。
下手くそなダンサーでもいいから、バックに何人か付ければ、そこにまたファンが少なからず群がる。
その点で、ソロのアイドル歌手は、分が悪い。
ひとりの魅力で売らなければいけないからだ。
いま、一人で売れるほど魅力あるアイドル歌手は、数少ないという現実がある。
何か一つ際立った個性を持っていても、ソロ歌手として成功するわけではない。
(グループの場合は、一人ふたりが下手でも成功する例が多い)
一人で売れたアーティストは、作詞能力や作曲能力に優れた人や、ダンスが神がかり的に上手かったり、4オクターブの声が苦もなく出せるような人、あるいは全てが平均点をはるかに超える人など、プロとしての高みを極めた人が多い。
ソロでも瞬間的に売れる人はいるが、それはただ単に目新しさで売れているだけで、長くは続かない。
では、G.NAはどうかというと、どれも平均点だから、本国でも、それほど爆発的には売れているわけではない。
日本では、デビューしていないから、ほとんど知られてもいない。
ただ、その究極のアンドロイド的な肉体を、誰もが考えつかないような奇抜な方法でアピールしたら、売れる可能性はあると私は思っている。
私がプロデューサーだったら、生身のG.NAとCGで作った見るからにアンドロイド的なG.NAをコラボレーションさせることを考えるのだが、それは無理があるだろうか。
娘は、「その世界では初音ミクがいるからな。いくらパーフェクト・ボディって言ったって、初音ミクには勝てないよ」という。
初音ミクのことをよく知らないオジさんは、黙るしかない。