リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

日本語で

2012-04-13 05:43:52 | オヤジの日記
言葉というのは、どの国の言語でも美しいものだと思う。

人に自分の心を伝えようと思って、工夫をしたものだから、どの国の言語も理にかなったものだと思う。

だから、歌も慣れ親しんだ母国語で歌うのが、一番美しい。

日本人が米国に進出しようとすると、たいていの歌手は英語で歌う。
英語に不慣れな人でも、英語で歌おうとする。
それで、果たして情緒的な部分が伝わるのだろうか、と私はいつも疑問に思っている。

宇多田ヒカルさんは、ネイティブな発音ができるから、彼女が英語で歌うのはわかる。
その方が、彼女にとって、自然な表現ができると思うからだ。

しかし、英語力に乏しい日本人が、英語圏の人が作った曲を歌う場合、相当な努力をしない限り、ネイティブには敵わないだろう。
そんな中途半端な英語で勝負していいのかと、やはり疑問に思う。


たとえば、韓国の歌手が、日本でデビューするときに、ほとんどの人が日本語で歌う。
申し訳ないが、私は、それを醜悪だと思っている。

まず、発音が下手だ。
そして、韓国の歌に無理やり日本語を乗せているから、確実にリズムが崩れる。

さらに、一番の問題点は、何を歌っているか、ほとんど伝わってこないことだ。
韓国語と英語と日本語が交互に出てくる歌詞は、ほとんど伝えようとすることを放棄しているとしか思えない。

日本語で歌ったら、それはK-POPではなくJ-POPだろうと思うのだが、J-POPにもなりきれていない。

K-POPは、韓国語で歌ったほうが、確実に心に響く。
アップテンポの曲なら、気持ちが浮き立つ。

しかし、日本語で歌われた「韓国人が歌う歌」は、中途半端すぎて違和感しか感じないのである。


英語圏のアーティストがいいと思うのは、ほとんどを自国語で歌うところ。

彼らの多くは、自分の歌は、自国語で歌ってこそ、相手を感動させるという信念を持っているからだろう。

たまに、サービスで日本語で歌うアーティストもいるようだが、それはあくまでもサービスだ。
日本語で全曲を歌うことはない。

歌は、生まれ育った国の言葉で歌うとき、一番の力を持つ。

たとえば、日本のベテラン歌手・由紀さおりさんが、英語圏でそれなりの評価を得たようだが、彼女は、ほとんどを日本語で歌ったということを聞いた。

彼女も、自分が歌に魂を込められるのは日本語しかない、という信念を持っていたのではないか。
付け焼刃的な英語で歌うより、自分の感情が確実に込められる日本語で歌ったほうが、気持ちが伝わる。

そして、確かに、それは日本語を知らない外国人の心を打った。


大切なのは、言葉が伝わることではなくて、心が伝わること。


だから、これから日本のアーティストが、外国でデビューする機会があったなら、私はぜひ日本語で歌い通して欲しいと思うのだ。

日本語の表現力に優れた人なら、確実に外国人の心を震わすことができると思うから。