リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

思い出だけではつらすぎる

2012-04-22 08:19:14 | オヤジの日記
前にも書いたことがあるのだが、昔の歌を懐かしむという風潮には、馴染めない。

大学時代の友だちとの飲み会で、「昔の歌はよかったよな。それに比べて」という話をされると、じゃあ、お前は今の歌をどれくらい知っていると言うんだ、と必ず問い詰めたりするから、私は完全に鬱陶しい存在として見られているようだ。

さらに、昔の歌は、「思い出」というフィルターを通すから、よく感じるだけなんだよ、と言うと、「思い出を語って何が悪いんだ」と反論される。

悪い、とは言っていない。
過去の記憶が、歌によって美化されることと、昔の歌が優れているということとは、違うと言っているんだ、と言うと、「屁理屈を言うなよ」と最後は、お決まりの殺し文句で、封じ込められる。

自分が、面倒くさいことを言っているというのは自覚しているので、それ以上、議論をふっかけることはしない。
ただ、確実にストレスが溜まる。

だから、毎回のように、昔の歌を懐かしがるなんて、後ろ向きな奴らばかりだな、と心の中で罵っている。


地上波では、最近の歌番組は、新しい曲を放映するより、昔のヒット曲を流すことの方が多いようだ。
テレビ離れした若者より40代以上の「懐メロ世代」をターゲットにしたほうが、視聴率が取れるからだろう。

昔を懐かしがるだけでは、新たな創造は生まれないと思うのだが、目先の視聴率の方が大事だということか。

そんな現象を見ると、私には、テレビ局が音楽産業の衰退に拍車をかけているとしか思えないのだが・・・。


話し変わって、3年前まで得意先だった輸入家具販売会社のことを書こうと思う。

その会社は、3年前に倒産したのだが、そこからは、年に4、5回程度、仕事をいただいていた。

その会社の社長が、大の演歌好き。
私は、演歌が体質に合わないのだが、それと同時に懐古趣味も嫌悪している。

その社長は、演歌好き、懐古趣味という私の嫌いなダブルの要素を持っていたから、お得意様ではあったが、その会社に伺う前は、いつも気が重くて、ほとんど鬱状態のまま、会社のドアを押したものである。

仕事の話が終わるとすぐに、毎回のように「あの頃は、よかったよ」が始まる。

「あの頃」というのは、バブルのころのことである。

「あの歌が流行った頃は、バブルの真っ只中でね。忙しかったけど、儲かったよねえ!」
「あの歌」というのは、ナントカいう演歌なのだが、興味がないので、曲名をすぐに忘れる。

社長は、バブルの頃はどんなに忙しくても、寝る暇を惜しんで、毎月、中国か台湾、韓国に行って、良からぬ場所に出没していた、と自慢。

さらに、駅前のワンルームで安い出物があったので、そこを買って若い女の子を住まわせていた、と自慢。

バブルの頃は、外車を2台持っていて、車庫が華やかだったよね、と自慢。

そんな話を聞いて、「羨ましいですよねえ」と言える人間ならいいが、私は死んでも、そんなことは言わないと決めているので、自慢するだけ無駄なのだが、それに気づかず毎回のように自慢話が続く。


その輸入家具会社が倒産する前のことだ。
(そのときはまだ、私はその会社が倒産することは知らなかった)

「俺は、演歌以外聴かないんだよね。他の音楽は、ゴミだからね」という毎度のご託宣を聞かされた私は、4年間溜まりに溜まったものを吐き出すように、社長に向かって言ったのだ。

ああ、じゃあ、世界的に有名な(ネイティブっぽ発音で)エアロスミスやガンズアンドローゼス、ボンジョビ、U2、オアシスを聴いている人は、みんなゴミなんですね。
カラヤンや小澤征爾、朝比奈隆、コリン・ディビィスを聴いてる人も、ゴミなんですね。

良かったですよ、オレ。
ゴミの仲間で。
ああ、本当に、ゴミで良かったぁ!


そんな私の言葉を聞いたときの社長は、初めてイヌイット語を聞いた人のように、呆然とした顔で、私の顔を見つめたものである。


それから2ヵ月後に、その会社は倒産した。


そのときに、どんな音楽が流行っていたか、私には、その記憶が全くない。
思い出せない。

それはきっと、その倒産が、思い出にするほどの価値がないものだったからだろう。