リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

第三者が勝手に他人の喧嘩に割り込んでくる

2012-08-22 08:42:23 | オヤジの日記
誰かが、領土問題は、その国の数ほど「道理」がある、というようなことを言っていた。

確かに、自分の陣地から、隣接する空いた土地を見たら、強欲な人は「あれは俺のものだ」と思うのが、道理なのかもしれない。
(このとき、おそらく人は、歴史や海洋法などのことは、考えないと思う)

それをオリンピックという極めて公共性の強い場所で強引にアピールするのは、軽率であり愚かではあるが、国の数の倍数ほど軽率で愚かな人間がいるとしたら、納得できなくもない。

ただ、世界にアピールするつもりなら、自国語ではなく英語でプラカードを書くのが普通だ、と私などは思うのだが、彼らには、そこまでの語学能力はなかったのか。

あるいは、最初から自国だけにパフォーマンスするつもりで、その抗議は、世界に向けたものではなかったのかもしれない。

ただ、どちらにしても、オリンピックという場に相応しくない行為であることには、違いない。

そして、それは、場の空気を読む能力がない、子どもじみた行為だから、実は、大人としては、目くじらを立てるほどのことではないのかもしれない。

そのプラカードを作った人も、それを掲げた人も、大人の格好はしていたが、中身は子どもだった。

その程度のことなのではないか、と今の私は思っている。


しかし、その機に乗じて竹島を訪れた、かの国の大統領の、いかにも支持率目当ての行動は、一国の大統領としては、あまりにも露骨すぎて、興醒めだったが・・・・・。


言葉というのは、それだけでは済まされない「凶器」と「狂気」を持っている。

他者の愚かな行為を少し非難しただけで、それ以上に、強い圧力で、言葉が返ってくる場合がある。

インターネットがない時代は、公共的な言葉の喧嘩は、テレビか新聞紙上で行われることがほとんどだった。
そして、その喧嘩は、当事者同士だけの出来事だった。

しかし、今は、そんな過去の時代より言葉の情報量が増えたから、インターネットを利用する人の数だけ、罵詈雑言の量が増えた。
つまり、関係のない第三者が、他人の喧嘩に割って入るようになった。

当事者でなければ、その詳しい経緯はわからないのに、わからないまま、勝手に第三者が割り込んできて、双方を罵倒するという理不尽な状況が生まれるようになった。


人間は、言葉という最大の武器を持っているのに、それを話し合いの道具に使わずに、喧嘩に使って、さらに関係のない他者が入ってくるのは、極めて無駄なことだと思うが、いつの間にか「売り言葉に買い言葉」的な使い方が、デジタル時代の言葉の使い方になって、それが常態化した。

さらに、「火のないところに煙は立たない」というのが死語になるほど、インターネットの世界では、火がなくても立ち上る煙にあふれている。

煙たすぎて、どれが本当の煙か、わからないほどだ。


そして、誰もが自分の言葉で語っていると勘違いしているが、私も含めて、その意見たちは、インターネットで語られていることを復唱しているに過ぎないものだ。

つまり、オリジナリティに乏しい。



今回の私は、そんな何度も復唱された意見に、少しだけ自分の考えを追加して書いてみました。


ただ、コピー&ペーストとは違いますので、少しはオリジナリティがあるのではないか・・・・・・・と。