「尖閣諸島(沖縄県石垣市)の購入に向け、今月末に同諸島の上陸調査を国に申請している東京都の石原慎太郎知事は24日の記者会見で、10月にも現地調査を実施し、その際には、自ら参加する方針を明らかにした」
というのが、WEB上で読んだ、8月24日、読売新聞の記事だった。
そして、都知事は、「10月の再調査には私も行きます。逮捕されるなら、それで結構ですけど」と上陸に意欲を見せ、政府を強く牽制したというのだ。
「民間人と東京都が商業ベースの取引をするための調査を、政府が何の理由で拒むのか。裁判にかけても聞いてみたい」とも言ったらしい。
私は、この記事を読んで、かなりの違和感を持った。
政府は、もともと上陸したら「逮捕する」と言っているのか。
「裁判にかけても聞いてみたい」というのなら、上陸しなくても、政府が「理由もなく拒んでいる」ことを理由に、今すぐ裁判をすれば、いいだけのことではないか。
先日、尖閣諸島に上陸した議員たちは、警察に聴取は受けたが、逮捕はされなかった。
政府の誰かが、「現地調査を実施したら逮捕する」と言ったのだろうか。
Googleで検索してみたが、その情報は、載っていなかった。
すべての過去記事を辿ったわけではないので、真偽は不明だが、今回の発言は、ただ単に、都知事が意気込みをアピールするために「逮捕されるなら、それで結構ですけど」と言っただけ、という風に取ることもできる。
要するに、パフォーマンス。
政治家にパフォーマンスは必要だが、自分の思い込みだけで、まだ喧嘩するとも言っていない相手に喧嘩を売るのは、公人として、理性に欠けると私は思うのだ。
政府が反対の立場を取るなら、政府と対話をする。
しかも、公の場で。
料亭のようなところで、ひっそりと会話をしても世間には伝わらない。
公の場で討論して、その判断を国民や都民に委ねるのが、政治家としての真っ当な姿だと思う。
討論の現場も見せないで、ただ一方的に「俺はやる。やると言ったらやるんだから、勝手に逮捕しろ」という方式では、どこかの組の方々と、思考方法は変わらない。
啖呵を切るのは格好いいかもしれないいが、それでは都知事を好きな愛国者に向けた発言だけで終わってしまう。
討論の過程を、それぞれの独立した会見の場ではなく、同じ場で見せてくれないと、私は総理の言葉も都知事の言葉も、信じない。
というのが、WEB上で読んだ、8月24日、読売新聞の記事だった。
そして、都知事は、「10月の再調査には私も行きます。逮捕されるなら、それで結構ですけど」と上陸に意欲を見せ、政府を強く牽制したというのだ。
「民間人と東京都が商業ベースの取引をするための調査を、政府が何の理由で拒むのか。裁判にかけても聞いてみたい」とも言ったらしい。
私は、この記事を読んで、かなりの違和感を持った。
政府は、もともと上陸したら「逮捕する」と言っているのか。
「裁判にかけても聞いてみたい」というのなら、上陸しなくても、政府が「理由もなく拒んでいる」ことを理由に、今すぐ裁判をすれば、いいだけのことではないか。
先日、尖閣諸島に上陸した議員たちは、警察に聴取は受けたが、逮捕はされなかった。
政府の誰かが、「現地調査を実施したら逮捕する」と言ったのだろうか。
Googleで検索してみたが、その情報は、載っていなかった。
すべての過去記事を辿ったわけではないので、真偽は不明だが、今回の発言は、ただ単に、都知事が意気込みをアピールするために「逮捕されるなら、それで結構ですけど」と言っただけ、という風に取ることもできる。
要するに、パフォーマンス。
政治家にパフォーマンスは必要だが、自分の思い込みだけで、まだ喧嘩するとも言っていない相手に喧嘩を売るのは、公人として、理性に欠けると私は思うのだ。
政府が反対の立場を取るなら、政府と対話をする。
しかも、公の場で。
料亭のようなところで、ひっそりと会話をしても世間には伝わらない。
公の場で討論して、その判断を国民や都民に委ねるのが、政治家としての真っ当な姿だと思う。
討論の現場も見せないで、ただ一方的に「俺はやる。やると言ったらやるんだから、勝手に逮捕しろ」という方式では、どこかの組の方々と、思考方法は変わらない。
啖呵を切るのは格好いいかもしれないいが、それでは都知事を好きな愛国者に向けた発言だけで終わってしまう。
討論の過程を、それぞれの独立した会見の場ではなく、同じ場で見せてくれないと、私は総理の言葉も都知事の言葉も、信じない。