東京の昨日は、少しだけ雪が降った。
大雪注意報は出たが、積もるほどではなかった。
「大雪注意報って、いったい何十センチ積もったんだよ」
「スッテン、スッテン転んで、みっともねえな、転ぶくらいなら外に出るなよ」
「東京のやつは、学習能力がないのかよ」
「雪で電車が止まるなんて、だらしねえ」
数センチの雪で、都市機能が麻痺する首都圏を揶揄して、そんな風につぶやいている人のご意見を目にした。
つぶやきの主は、おそらく雪国に住んでいらっしゃるのだろう。
だから、俺んところなんて、そんなの慣れっこだよ、という小さな優越感でつぶやいているのだと思う。
しかし、豪雪地帯にある空港だって、大雪が降れば、閉鎖されることもある。
要は、インフラ設備が、どの程度の雪を見込んでいるかによるだろう。
東京で10センチ近い積雪があるのは、数年に1回程度だ。
その程度の頻度なら、完全雪シフトのインフラを整備するのは、経済的に割が合わない。
東大大学院の教授なども、東京の雪に対する脆弱性を上げているが、世界中の人口密度の高い大都市の現状は、ほとんどが、こんなものである。
東京だけが例外ではない。
都市機能が麻痺したとしても、麻痺しっぱなしではない。
一時的な現象で大騒ぎするのは、学者先生の悪い癖だ。
このような大都市と比べて、豪雪地帯は、雪のためのインフラを完全装備しなければ、日常生活に支障が出る。
ただ、それでも想定外の大雪が降ったら、インフラが間に合わなくなって、豪雪による「災害救助法」が発動されることもある。
そして、人口の対比というものもある。
豪雪地帯の人口密度と都会の人口密度は、明らかに違う。
短い間隔で沢山の乗客を運ばなければいけない東京の鉄道は、地方とは運送能力が格段に違う。
安全を期すために、点検に関して、より慎重にならなければ、致命的な事故につながる危険がある。
だから、「雪で電車が止まるなんて、だらしねえ」と言われても、点検を怠るわけにいかない。
「だらしねえ」と言われようが、安全が一番大事だからだ。
逆に、豪雪地帯で空港や駅が閉鎖されたという報道があっても、都会人の多くは、それを見て「大変だ」とは思っても「だらしねえ」とは思わないものだ。
「転ぶくらいなら外に出るなよ」と言われて、「はい、うちで休んでいます」と気楽に答えられる人は、おそらく社会的に信頼を失っている人だ。
雪道で転ぶのは、ただ単に雪道の歩き方に慣れていないから。
そして、道路事情が、雪を想定した作りになっていないから。
さらに、東京と北国の決定的な違いは、雪の質だ。
ベチャベチャの雪とパウダー・スノウ。
雪がやんだあとの翌日朝の道路事情が、明らかに違う。
雪の凍結の仕方が違う。
私の友人で、福島県郡山市出身の男がいる。
東京の大学に入って、初めて東京の雪を体験したとき、「何だよ、この水っぽい雪は! 傘がすぐ重くなって気持ち悪いな」と文句を言った。
「郡山の雪はサラサラだよ。あれが本当の雪だ」
東京の雪に馴染めない彼は、過去に2度、転んで大怪我をしたことがある。
一度は、タクシーから降りて、歩道に上がろうとしたとき、転んで尾てい骨を打って、全治3週間。
もう一度は、コンビニのドアの横で勢いよく滑って、コンビニの看板に激突。転んだときに、看板の角で手のひらを切って、7針縫う大怪我をした。
郡山は、豪雪地帯ではないらしい。
しかし、東京よりは、雪が降る確率は格段に高いだろう。
つまり、ある程度は雪に慣れているはずだ。
しかし、そんな彼でも、東京ではスッテンコロリンするのである。
それを聞いた私は、彼のことを「みっともねえ」とも「だらしねえ」とも思わない。
災難だった、と思うだけである。
そして、東京のスッテンコロリン事情は、東京に住んでみないとわからない。
私たちが、豪雪地帯の雪の怖さを映像でしか知らず、その大変さを乏しい想像力でしか理解することができないのと同じだ。
大切なのは、「みっともねえ」「だらしねえ」ではなくて、普通の想像力と思いやり。
話変わるが、以前ニュースの街頭インタビューのようなもので、北海道出身の若い男が、こんなことを言っているのを見た。
「東京の人はいいよね。冬は暖房費がかからないじゃない? そのくせ、給料は北海道の人よりも多く貰っているんだから、ずるいよ。北海道は、暖房費が、すごくかかるからね。不公平だと思うよ」
最初は、冗談で言っているかと思ったが、表情からすると、どうやら真面目に言っているらしい。
彼が北海道のどこに住んでいるかは知らないが、東京と北海道では、まず物価が違う。
土地の価格も違う。
だから、給料が違う。
これは、経済理論に則れば、当たり前の話である。
確かに、冬の温度差が違うから、北海道では暖房費は多くかかるだろう。
しかし、夏の温度差も違うはずである。
涼しい所では、夏の冷房費は東京よりも抑えられるのでは?
それに私の友人は、10年以上前に札幌に転勤したが、彼が言うには、彼の会社では、東京にいた頃にはなかった「暖房手当」というのが支給されているという。
もちろん、北海道の企業に勤める会社員全員が「暖房手当」をもらっているわけではないだろうが、東京の企業で「暖房手当」を支給しているところは、おそらくごく少数派だ。
寒いから「暖房手当」が出る。
それは、理にかなっている(金額にもよるが)。
それに対して、寒くない東京は「暖房手当」が出ない(猛暑が続いても『冷房手当』さえ出ない)。
だからと言って、東京人は、「暖房手当」「冷房手当」が貰えないから「不公平だ」とは、まず思わない。
寒冷地というのは、それほど大変なんだ、と思うだけである。
東京のスッテンコロリンが「みっともねえ」と思う人は、5センチの積雪があった次の日の朝、六本木アマンドの横にある芋洗坂を歩いて下りてみてください。
楽しく滑ることができます。
あるいは、「東京は暖房費がかからなくて、不公平だ」と思っている方。
新宿から立川あたりの中央線沿線のどこかのアパートを借りて、ひと冬、過ごしてみたらいかがでしょうか。
「暖房手当」のない生活をしてみたら、どうでしょうか。
それでも、不公平だと思えるかどうか。
大雪注意報は出たが、積もるほどではなかった。
「大雪注意報って、いったい何十センチ積もったんだよ」
「スッテン、スッテン転んで、みっともねえな、転ぶくらいなら外に出るなよ」
「東京のやつは、学習能力がないのかよ」
「雪で電車が止まるなんて、だらしねえ」
数センチの雪で、都市機能が麻痺する首都圏を揶揄して、そんな風につぶやいている人のご意見を目にした。
つぶやきの主は、おそらく雪国に住んでいらっしゃるのだろう。
だから、俺んところなんて、そんなの慣れっこだよ、という小さな優越感でつぶやいているのだと思う。
しかし、豪雪地帯にある空港だって、大雪が降れば、閉鎖されることもある。
要は、インフラ設備が、どの程度の雪を見込んでいるかによるだろう。
東京で10センチ近い積雪があるのは、数年に1回程度だ。
その程度の頻度なら、完全雪シフトのインフラを整備するのは、経済的に割が合わない。
東大大学院の教授なども、東京の雪に対する脆弱性を上げているが、世界中の人口密度の高い大都市の現状は、ほとんどが、こんなものである。
東京だけが例外ではない。
都市機能が麻痺したとしても、麻痺しっぱなしではない。
一時的な現象で大騒ぎするのは、学者先生の悪い癖だ。
このような大都市と比べて、豪雪地帯は、雪のためのインフラを完全装備しなければ、日常生活に支障が出る。
ただ、それでも想定外の大雪が降ったら、インフラが間に合わなくなって、豪雪による「災害救助法」が発動されることもある。
そして、人口の対比というものもある。
豪雪地帯の人口密度と都会の人口密度は、明らかに違う。
短い間隔で沢山の乗客を運ばなければいけない東京の鉄道は、地方とは運送能力が格段に違う。
安全を期すために、点検に関して、より慎重にならなければ、致命的な事故につながる危険がある。
だから、「雪で電車が止まるなんて、だらしねえ」と言われても、点検を怠るわけにいかない。
「だらしねえ」と言われようが、安全が一番大事だからだ。
逆に、豪雪地帯で空港や駅が閉鎖されたという報道があっても、都会人の多くは、それを見て「大変だ」とは思っても「だらしねえ」とは思わないものだ。
「転ぶくらいなら外に出るなよ」と言われて、「はい、うちで休んでいます」と気楽に答えられる人は、おそらく社会的に信頼を失っている人だ。
雪道で転ぶのは、ただ単に雪道の歩き方に慣れていないから。
そして、道路事情が、雪を想定した作りになっていないから。
さらに、東京と北国の決定的な違いは、雪の質だ。
ベチャベチャの雪とパウダー・スノウ。
雪がやんだあとの翌日朝の道路事情が、明らかに違う。
雪の凍結の仕方が違う。
私の友人で、福島県郡山市出身の男がいる。
東京の大学に入って、初めて東京の雪を体験したとき、「何だよ、この水っぽい雪は! 傘がすぐ重くなって気持ち悪いな」と文句を言った。
「郡山の雪はサラサラだよ。あれが本当の雪だ」
東京の雪に馴染めない彼は、過去に2度、転んで大怪我をしたことがある。
一度は、タクシーから降りて、歩道に上がろうとしたとき、転んで尾てい骨を打って、全治3週間。
もう一度は、コンビニのドアの横で勢いよく滑って、コンビニの看板に激突。転んだときに、看板の角で手のひらを切って、7針縫う大怪我をした。
郡山は、豪雪地帯ではないらしい。
しかし、東京よりは、雪が降る確率は格段に高いだろう。
つまり、ある程度は雪に慣れているはずだ。
しかし、そんな彼でも、東京ではスッテンコロリンするのである。
それを聞いた私は、彼のことを「みっともねえ」とも「だらしねえ」とも思わない。
災難だった、と思うだけである。
そして、東京のスッテンコロリン事情は、東京に住んでみないとわからない。
私たちが、豪雪地帯の雪の怖さを映像でしか知らず、その大変さを乏しい想像力でしか理解することができないのと同じだ。
大切なのは、「みっともねえ」「だらしねえ」ではなくて、普通の想像力と思いやり。
話変わるが、以前ニュースの街頭インタビューのようなもので、北海道出身の若い男が、こんなことを言っているのを見た。
「東京の人はいいよね。冬は暖房費がかからないじゃない? そのくせ、給料は北海道の人よりも多く貰っているんだから、ずるいよ。北海道は、暖房費が、すごくかかるからね。不公平だと思うよ」
最初は、冗談で言っているかと思ったが、表情からすると、どうやら真面目に言っているらしい。
彼が北海道のどこに住んでいるかは知らないが、東京と北海道では、まず物価が違う。
土地の価格も違う。
だから、給料が違う。
これは、経済理論に則れば、当たり前の話である。
確かに、冬の温度差が違うから、北海道では暖房費は多くかかるだろう。
しかし、夏の温度差も違うはずである。
涼しい所では、夏の冷房費は東京よりも抑えられるのでは?
それに私の友人は、10年以上前に札幌に転勤したが、彼が言うには、彼の会社では、東京にいた頃にはなかった「暖房手当」というのが支給されているという。
もちろん、北海道の企業に勤める会社員全員が「暖房手当」をもらっているわけではないだろうが、東京の企業で「暖房手当」を支給しているところは、おそらくごく少数派だ。
寒いから「暖房手当」が出る。
それは、理にかなっている(金額にもよるが)。
それに対して、寒くない東京は「暖房手当」が出ない(猛暑が続いても『冷房手当』さえ出ない)。
だからと言って、東京人は、「暖房手当」「冷房手当」が貰えないから「不公平だ」とは、まず思わない。
寒冷地というのは、それほど大変なんだ、と思うだけである。
東京のスッテンコロリンが「みっともねえ」と思う人は、5センチの積雪があった次の日の朝、六本木アマンドの横にある芋洗坂を歩いて下りてみてください。
楽しく滑ることができます。
あるいは、「東京は暖房費がかからなくて、不公平だ」と思っている方。
新宿から立川あたりの中央線沿線のどこかのアパートを借りて、ひと冬、過ごしてみたらいかがでしょうか。
「暖房手当」のない生活をしてみたら、どうでしょうか。
それでも、不公平だと思えるかどうか。