サッカー、ワールドカップ5大会連続出場、おめでとうございます。
めでたい話題に、サッカーとは直接関係のない「言いがかり」を述べることをお許しいただきたい。
この話は、友人、同業者、家族からまったく賛同を得られなかったものである。
唯一賛同してくれたのが、我が高校3年の娘だった。
つまり、ほとんど総スカンの状態だ。
だから、ここで述べることに意味はないのだが、悔しいので、あえて述べたいと思う。
初めにお断りしておくが、私は本田圭祐選手のような「ビッグマウス」は、ボクシング•ヘビー級のカシアス・クレイの時代から好きである。
スポーツ選手に、聖人君子、優等生的発言を求めるつもりはない。
言いたいことは、ハッキリ言うべきだと私は常々思っている。
そして、今回の主旨であるが、あらかじめ断っておくが、このときの私は仕事の締め切りに追われていて、ゲームを見ていない。
スポーツニュースも見ていない。
結果は、すべてネット経由で知った。
そして、本田氏の発言もネットで読んだだけだ。
そのネット記事に、どれだけの信憑性があるか疑わしいのだが、いくつかの媒体が同じ内容の記事を載せていたので、ある程度は正しいのだろうと判断した。
まず一つは、本田氏が記者会見で、代表選手たちを名指しで批判したというもの。
そのタイトルを見て、批判、とは随分大げさだな、と思った。
もしかしたら、実際の会見では、冗談のつもりで言ったのかもしれない。
友人をからかうようなニュアンスを含ませていたかもしれない。
活字になってしまうと「批判」のニュアンスを強調されたように感じることがあるからだ。
しかし、どちらにしても、私は思うのだ。
あのような内容の話は、報道陣を前にして言うことではないだろう、と。
個々の選手に、プライベートで言えば済むのではないか。
あるいは、練習の合間に指摘すればいい程度の話である。
報道陣の前で言ったら、それは「パフォーマンス」になる。
相手のためを思って言ったことばだとしても、パフォーマンスになると「俺」が主役になる。
だから、私は、本田氏の会見を「劇」として捉えてしまったのだ。
しかし、「劇」としては、あまり上等なものではないな………と。
次に、決戦の前に、本田氏がロシアから帰国したときのことだ。
本田氏は、子どもを抱えていた。
もちろん、本田氏の子どもだと思う。
報道陣は、本田氏に子どもがいたことを知らなかったらしい。
当たり前のことだが、私も知らなかった。
おそらく、多くの人が知らなかったと思われる。
なぜ、子どもがいたことを隠していたのか。
芸能人ではないのだから、家族を下世話な興味の対象にされたくないのか、と私は推測した。
だが、よく考えてみると、それなら、空港に現れたときもお子さんの存在は隠すべきだろうと思った。
生まれたことだけを報告して、家族の姿を最後まで隠せば、三流メディアからの下世話な視線からは逃れることができる。
しかし、本田氏は、今回子どもを抱えて、空港ロビーに姿を見せた。
つまり、隠す気はなかったということになる。
そこで、私は三流週刊誌的な下世話なことを考えてしまったのだ。
本田氏は絶妙のタイミングで、子どもがいたことをアピールしたかったのではないか、と。
空港ロビーで、さりげなくアピールすることで、何かしらの効果を狙ったのではないか、と。
そんなことを言うと、「おまえ、どこまで、ひねくれてるんだよ。そんなに本田が嫌いなのか」と、友人たちからは強く罵られた。
私は、ワールドカップ出場で熱くなっている友人や同業者たちに、冷水を浴びせかける非常識なヒール(悪役)という扱いだった。
自己主張が過ぎると友人たちを失うので、臆病な私は、その意見を撤回はしなかったが、それからはW杯の話題には加わらないようにした。
貝になった。
そうやって、逆風が通り過ぎるのを待った。
こんな「言いがかり」ふたつ。
ひねくれ者の言う「言いがかり」など、笑い飛ばして欲しいと思うのだが、いまだに友人から、あのときのことを電話やメールで非難される。
その度に、気が滅入る。
本田は、日本代表のキーマンだ。
彼がいなければ、日本のサッカーは機能しない。
そんなことを力説しても、「おまえの言うことなんか、信じねえよ。どうせ、嫌いなんだろ」と悪態をつかれる。
まるで、犯罪者のような日々だ。
そんなこんなで、口は災いのもと、をいま実感している私でございます。
めでたい話題に、サッカーとは直接関係のない「言いがかり」を述べることをお許しいただきたい。
この話は、友人、同業者、家族からまったく賛同を得られなかったものである。
唯一賛同してくれたのが、我が高校3年の娘だった。
つまり、ほとんど総スカンの状態だ。
だから、ここで述べることに意味はないのだが、悔しいので、あえて述べたいと思う。
初めにお断りしておくが、私は本田圭祐選手のような「ビッグマウス」は、ボクシング•ヘビー級のカシアス・クレイの時代から好きである。
スポーツ選手に、聖人君子、優等生的発言を求めるつもりはない。
言いたいことは、ハッキリ言うべきだと私は常々思っている。
そして、今回の主旨であるが、あらかじめ断っておくが、このときの私は仕事の締め切りに追われていて、ゲームを見ていない。
スポーツニュースも見ていない。
結果は、すべてネット経由で知った。
そして、本田氏の発言もネットで読んだだけだ。
そのネット記事に、どれだけの信憑性があるか疑わしいのだが、いくつかの媒体が同じ内容の記事を載せていたので、ある程度は正しいのだろうと判断した。
まず一つは、本田氏が記者会見で、代表選手たちを名指しで批判したというもの。
そのタイトルを見て、批判、とは随分大げさだな、と思った。
もしかしたら、実際の会見では、冗談のつもりで言ったのかもしれない。
友人をからかうようなニュアンスを含ませていたかもしれない。
活字になってしまうと「批判」のニュアンスを強調されたように感じることがあるからだ。
しかし、どちらにしても、私は思うのだ。
あのような内容の話は、報道陣を前にして言うことではないだろう、と。
個々の選手に、プライベートで言えば済むのではないか。
あるいは、練習の合間に指摘すればいい程度の話である。
報道陣の前で言ったら、それは「パフォーマンス」になる。
相手のためを思って言ったことばだとしても、パフォーマンスになると「俺」が主役になる。
だから、私は、本田氏の会見を「劇」として捉えてしまったのだ。
しかし、「劇」としては、あまり上等なものではないな………と。
次に、決戦の前に、本田氏がロシアから帰国したときのことだ。
本田氏は、子どもを抱えていた。
もちろん、本田氏の子どもだと思う。
報道陣は、本田氏に子どもがいたことを知らなかったらしい。
当たり前のことだが、私も知らなかった。
おそらく、多くの人が知らなかったと思われる。
なぜ、子どもがいたことを隠していたのか。
芸能人ではないのだから、家族を下世話な興味の対象にされたくないのか、と私は推測した。
だが、よく考えてみると、それなら、空港に現れたときもお子さんの存在は隠すべきだろうと思った。
生まれたことだけを報告して、家族の姿を最後まで隠せば、三流メディアからの下世話な視線からは逃れることができる。
しかし、本田氏は、今回子どもを抱えて、空港ロビーに姿を見せた。
つまり、隠す気はなかったということになる。
そこで、私は三流週刊誌的な下世話なことを考えてしまったのだ。
本田氏は絶妙のタイミングで、子どもがいたことをアピールしたかったのではないか、と。
空港ロビーで、さりげなくアピールすることで、何かしらの効果を狙ったのではないか、と。
そんなことを言うと、「おまえ、どこまで、ひねくれてるんだよ。そんなに本田が嫌いなのか」と、友人たちからは強く罵られた。
私は、ワールドカップ出場で熱くなっている友人や同業者たちに、冷水を浴びせかける非常識なヒール(悪役)という扱いだった。
自己主張が過ぎると友人たちを失うので、臆病な私は、その意見を撤回はしなかったが、それからはW杯の話題には加わらないようにした。
貝になった。
そうやって、逆風が通り過ぎるのを待った。
こんな「言いがかり」ふたつ。
ひねくれ者の言う「言いがかり」など、笑い飛ばして欲しいと思うのだが、いまだに友人から、あのときのことを電話やメールで非難される。
その度に、気が滅入る。
本田は、日本代表のキーマンだ。
彼がいなければ、日本のサッカーは機能しない。
そんなことを力説しても、「おまえの言うことなんか、信じねえよ。どうせ、嫌いなんだろ」と悪態をつかれる。
まるで、犯罪者のような日々だ。
そんなこんなで、口は災いのもと、をいま実感している私でございます。