奇妙な現象がある。
いま母が、心臓を悪くして川崎の病院に入院している。
その病院は、最寄り駅から5~6キロの距離にあるから、最寄り駅から無料のシャトルバスが出ている。
だから、いつもそれに乗る。
マイクロバスの定員は、おそらく30人前後。
2人席と1人席、それに混んでいるときは補助椅子を使って30人程度が座れる勘定だ。
混んでいる時間帯は、朝早い時間の行きのバスと昼前後の帰りのバスだ。
この混んでいる時間帯に、いつも奇妙な現象が起きるのである。
二人席に座り、片方の席に荷物を置いて、座席を占領している人がいるのだ。
60~70年輩の男性だ。
同じ人ではなく、毎回違う人。
彼らは、混んでいて座れない人がいるのに、平気で荷物を置いていつも座席を占領している。
気の強い人は、男性に「荷物をどけてくれませんか」と言って、自分の席を確保する。
しかし、多くの人は、何も言わず15分ほどの病院までの時間を立って我慢している。
たまに見かねて、運転手さんが、「お荷物は膝の上に乗せてください」とアナウンスをするが、男性がその意見を受け入れることはない。
かたくなに座席を占領し続けている。
電車で荷物を座席においている人をたまに見かけるが、たいていは、車内が空いているときだ。
満員電車で座席を占領している人を見かけることは、ほとんどない。
路線バスでは、「占領族」がたまにいるが、運転手さんが「お荷物は膝に」と言えば、ほとんどの人が素直に荷物を移動させる。
なぜ病院行きのシャトルバスでは、毎回「占領族」がいるのだろうか。
それも、同じような年輩の男性だけ。
テリトリー意識だろうか。
人には、それぞれ自分の領域があって、何十センチ以内に他人が近づくと、不快感を持つという。
その距離は、人によって許容範囲が違うようだが、それは、どの人にも確実にある感情らしい。
他人を寄せ付けたくない距離。
つまり、「占領族」は、その距離が極端に短いから、荷物を置くことで自己のテリトリーを守ろうとしているのかもしれない。
そうしないと、気持ちが落ち着かないのだろう。
大げさな言い方をすれば、排他的。
他人を許容しない心。
しかしなぜ、病院のシャトルバス内でだけ、そんな現象が起きるのだろうか。
それも60~70歳くらいの男性だけ。
「そんなのは、ただの偶然だよ」と友人たちは言う。
「そんなつまらないこと気にして、おまえ、病んでいるんじゃないか」とも言われた。
確かに、たいしたことではないかもしれない。
「現象」と言うほど、明確なものではないかもしれない。
ただ、もう一つ気になるのは、そのシャトルバスをおりるとき、多くの人が運転手さんに「お世話様でした」「ありがとうございました」と声をかけるが、「占領族」全員が、無言でバスを降りることだ。
自己のテリトリーを侵されたくない彼らは、非日常的空間である病院に行くことは、決戦場に行くのと同じことと感じているのかもしれない。
つまり、心に毛筋ほどの余裕もない。
感謝の気持ちを表す余裕さえもない。
今度の水曜日に母が退院するので、しばらくはシャトルバスに乗ることもなくなるだろう。
だから、あの奇妙な現象ともお別れかと思った。
しかし、昨日のお昼どき、「餃子の満州」に行ったときのことだ。
12時過ぎだったから、店内は満席。
全く空きがない状況だった。
しかし、よく見ると、カウンター席が一つだけ空いていた。
だが、さらによく見ると、その席の上には、大きな紙袋が置かれていた。
大きな紙袋を挟んだ両隣には、60年輩の男性の後ろ姿が。
つまり、それは、どちらかの男性の荷物なのだろう。
そこにも「占領族」は、いたのである。
いま母が、心臓を悪くして川崎の病院に入院している。
その病院は、最寄り駅から5~6キロの距離にあるから、最寄り駅から無料のシャトルバスが出ている。
だから、いつもそれに乗る。
マイクロバスの定員は、おそらく30人前後。
2人席と1人席、それに混んでいるときは補助椅子を使って30人程度が座れる勘定だ。
混んでいる時間帯は、朝早い時間の行きのバスと昼前後の帰りのバスだ。
この混んでいる時間帯に、いつも奇妙な現象が起きるのである。
二人席に座り、片方の席に荷物を置いて、座席を占領している人がいるのだ。
60~70年輩の男性だ。
同じ人ではなく、毎回違う人。
彼らは、混んでいて座れない人がいるのに、平気で荷物を置いていつも座席を占領している。
気の強い人は、男性に「荷物をどけてくれませんか」と言って、自分の席を確保する。
しかし、多くの人は、何も言わず15分ほどの病院までの時間を立って我慢している。
たまに見かねて、運転手さんが、「お荷物は膝の上に乗せてください」とアナウンスをするが、男性がその意見を受け入れることはない。
かたくなに座席を占領し続けている。
電車で荷物を座席においている人をたまに見かけるが、たいていは、車内が空いているときだ。
満員電車で座席を占領している人を見かけることは、ほとんどない。
路線バスでは、「占領族」がたまにいるが、運転手さんが「お荷物は膝に」と言えば、ほとんどの人が素直に荷物を移動させる。
なぜ病院行きのシャトルバスでは、毎回「占領族」がいるのだろうか。
それも、同じような年輩の男性だけ。
テリトリー意識だろうか。
人には、それぞれ自分の領域があって、何十センチ以内に他人が近づくと、不快感を持つという。
その距離は、人によって許容範囲が違うようだが、それは、どの人にも確実にある感情らしい。
他人を寄せ付けたくない距離。
つまり、「占領族」は、その距離が極端に短いから、荷物を置くことで自己のテリトリーを守ろうとしているのかもしれない。
そうしないと、気持ちが落ち着かないのだろう。
大げさな言い方をすれば、排他的。
他人を許容しない心。
しかしなぜ、病院のシャトルバス内でだけ、そんな現象が起きるのだろうか。
それも60~70歳くらいの男性だけ。
「そんなのは、ただの偶然だよ」と友人たちは言う。
「そんなつまらないこと気にして、おまえ、病んでいるんじゃないか」とも言われた。
確かに、たいしたことではないかもしれない。
「現象」と言うほど、明確なものではないかもしれない。
ただ、もう一つ気になるのは、そのシャトルバスをおりるとき、多くの人が運転手さんに「お世話様でした」「ありがとうございました」と声をかけるが、「占領族」全員が、無言でバスを降りることだ。
自己のテリトリーを侵されたくない彼らは、非日常的空間である病院に行くことは、決戦場に行くのと同じことと感じているのかもしれない。
つまり、心に毛筋ほどの余裕もない。
感謝の気持ちを表す余裕さえもない。
今度の水曜日に母が退院するので、しばらくはシャトルバスに乗ることもなくなるだろう。
だから、あの奇妙な現象ともお別れかと思った。
しかし、昨日のお昼どき、「餃子の満州」に行ったときのことだ。
12時過ぎだったから、店内は満席。
全く空きがない状況だった。
しかし、よく見ると、カウンター席が一つだけ空いていた。
だが、さらによく見ると、その席の上には、大きな紙袋が置かれていた。
大きな紙袋を挟んだ両隣には、60年輩の男性の後ろ姿が。
つまり、それは、どちらかの男性の荷物なのだろう。
そこにも「占領族」は、いたのである。