東京都知事選は、雪景色の選挙になりそうだ。
投票率は、かなり下がるかもしれない。
その場合、組織票を多く持っている候補者が強いだろう。
舛添氏と宇都宮氏の一騎打ちになるか、舛添氏のワンサイドゲームになる可能性もある。
だから、こんなつまらない展開には、興味がない。
投票にいくのを一瞬ためらったのだが、いままで折角積み重ねてきた、「投票皆勤賞」をここで終わらせるわけにはいかない。
とりあえず、投票所に行ってみて、投じる相手を、その場で決めようかと思う。
話変わって、任期途中で、また辞めると言っている大阪市長。
そして、市長は、市長選にかかる税金を「民主主義のコスト」と詭弁を聾し、対立候補を出さない政党は「卑怯だ」と言っている。
自分が任期途中で辞めることは、卑怯だと思っていないようだ。
自分の政策を邪魔する人がいるから、市長を辞めて再び市長選をやる。
自分は人気があるのだから、勝てば民意を得たことになる。
そうすれば、「正義は俺にある」とでも強弁したいのだろうか。
「独裁者」を好む人は、自分の頭で考えることが苦手な人が多いと私は思っている。
自分で考えるのをやめて、「独裁者」の言うことを聞いていた方が楽だからだ。
だが、歴史的に、いい「独裁者」がいた例は稀少だ。
そして、その稀ないい「独裁者」でも、その末路はいつも破滅だ。
彼が、どの末路を歩むかは、私は予言者ではないので、わからない(当たり前)。
大阪市民の方々には、申し訳ない言い方になるが、お好きなように、と言うしかない。
大阪市長選には興味がないが、市長の性格には興味がある。
小沢一郎氏、石原慎太郎氏に、とてもよく似ていると思うからだ。
お三方の共通点は………協調性がない。
調整能力がない。
議論ができない。
このお三方は、マスメディアに対して、いつも高飛車である。
押しつけるような有無を言わせぬ物言いで、相手の言論を封じる。
最初から、議論をするつもりはないのか、と思っていたが、最近では、人と議論する能力がないのではないか、と思うようになった。
あるいは、議論をして、言い負かされるのが怖いのか。
喩えは少し違うかもしれないが、臆病な犬ほどよく吠える、の類いなのではないか、と私は思っている。
相手に威嚇される前に自分から威嚇する。
そうしないと、自分の優位が保てない気がして安心できないのだろう。
そして、お三方とも、報道陣の質問に対して、よくこの言葉を使う。
「もう少し勉強してきなさい!」
この言葉は、報道陣にとっては「殺し文句」になる。
その効果は、絶大だ。
そう言われたら、たとえ有意義な質問でも取り下げるしかない。
しつこく質問したら、おそらく次の記者会見で、質問をさせてもらえない可能性がある。
要するに、「勉強しなさい」は、恫喝だ。
勉強不足かどうかは関係がない。
答えられない質問には、「勉強しなさい」と答えておけば、質問封じになる。
つまり、俺の記者会見に、これからも参加したいのなら、もう黙れよ、ということだろう。
マスメディアの何割かは、勉強不足かもしれないが、お三方より、知識の深い有能なジャーナリストもいるに違いない。
彼らは、有能であるが故に、強面のふりをした政治家に、本気でぶつかることはしないのだと思う。
そんな政治家のイメージを定着させたまま、政治家の意に添うようなイメージ通りの記事を書いて油断させる。
そして、その政治家が、大きな失態を演じたときに、ここぞとばかりに叩く。
溜飲を下げる。
臆病が故に、強面の振りをする政治家たち。
それを怖がる振りをする「勉強不足」を装うジャーナリストたち。
もちろん、これは妄想だが、こんな妄想でもしない限り、自己中心的な政治家たちの存在を直視することはできない。
最後に、もう一つ言わせてもらうと、このお三方に小泉純一郎氏を足した四人には、私は「大人」を感じない。
大人の味わいが欠片もない。
自分が手にしたおもちゃは、絶対に手放さない。
それに手を伸ばす人がいたら、口汚く威嚇して、他者を容赦なく攻撃する。
そして、理論の欠落した行動で、その場を支配しようとする。
まるで公園か幼稚園の砂場を、そのまま政治の場に持っていったような光景がそこにある。
ただ、公園の砂場が、まだましなのは、ガキ大将が得意げに「もっと勉強してこい!」と言わないところだろうか。
投票率は、かなり下がるかもしれない。
その場合、組織票を多く持っている候補者が強いだろう。
舛添氏と宇都宮氏の一騎打ちになるか、舛添氏のワンサイドゲームになる可能性もある。
だから、こんなつまらない展開には、興味がない。
投票にいくのを一瞬ためらったのだが、いままで折角積み重ねてきた、「投票皆勤賞」をここで終わらせるわけにはいかない。
とりあえず、投票所に行ってみて、投じる相手を、その場で決めようかと思う。
話変わって、任期途中で、また辞めると言っている大阪市長。
そして、市長は、市長選にかかる税金を「民主主義のコスト」と詭弁を聾し、対立候補を出さない政党は「卑怯だ」と言っている。
自分が任期途中で辞めることは、卑怯だと思っていないようだ。
自分の政策を邪魔する人がいるから、市長を辞めて再び市長選をやる。
自分は人気があるのだから、勝てば民意を得たことになる。
そうすれば、「正義は俺にある」とでも強弁したいのだろうか。
「独裁者」を好む人は、自分の頭で考えることが苦手な人が多いと私は思っている。
自分で考えるのをやめて、「独裁者」の言うことを聞いていた方が楽だからだ。
だが、歴史的に、いい「独裁者」がいた例は稀少だ。
そして、その稀ないい「独裁者」でも、その末路はいつも破滅だ。
彼が、どの末路を歩むかは、私は予言者ではないので、わからない(当たり前)。
大阪市民の方々には、申し訳ない言い方になるが、お好きなように、と言うしかない。
大阪市長選には興味がないが、市長の性格には興味がある。
小沢一郎氏、石原慎太郎氏に、とてもよく似ていると思うからだ。
お三方の共通点は………協調性がない。
調整能力がない。
議論ができない。
このお三方は、マスメディアに対して、いつも高飛車である。
押しつけるような有無を言わせぬ物言いで、相手の言論を封じる。
最初から、議論をするつもりはないのか、と思っていたが、最近では、人と議論する能力がないのではないか、と思うようになった。
あるいは、議論をして、言い負かされるのが怖いのか。
喩えは少し違うかもしれないが、臆病な犬ほどよく吠える、の類いなのではないか、と私は思っている。
相手に威嚇される前に自分から威嚇する。
そうしないと、自分の優位が保てない気がして安心できないのだろう。
そして、お三方とも、報道陣の質問に対して、よくこの言葉を使う。
「もう少し勉強してきなさい!」
この言葉は、報道陣にとっては「殺し文句」になる。
その効果は、絶大だ。
そう言われたら、たとえ有意義な質問でも取り下げるしかない。
しつこく質問したら、おそらく次の記者会見で、質問をさせてもらえない可能性がある。
要するに、「勉強しなさい」は、恫喝だ。
勉強不足かどうかは関係がない。
答えられない質問には、「勉強しなさい」と答えておけば、質問封じになる。
つまり、俺の記者会見に、これからも参加したいのなら、もう黙れよ、ということだろう。
マスメディアの何割かは、勉強不足かもしれないが、お三方より、知識の深い有能なジャーナリストもいるに違いない。
彼らは、有能であるが故に、強面のふりをした政治家に、本気でぶつかることはしないのだと思う。
そんな政治家のイメージを定着させたまま、政治家の意に添うようなイメージ通りの記事を書いて油断させる。
そして、その政治家が、大きな失態を演じたときに、ここぞとばかりに叩く。
溜飲を下げる。
臆病が故に、強面の振りをする政治家たち。
それを怖がる振りをする「勉強不足」を装うジャーナリストたち。
もちろん、これは妄想だが、こんな妄想でもしない限り、自己中心的な政治家たちの存在を直視することはできない。
最後に、もう一つ言わせてもらうと、このお三方に小泉純一郎氏を足した四人には、私は「大人」を感じない。
大人の味わいが欠片もない。
自分が手にしたおもちゃは、絶対に手放さない。
それに手を伸ばす人がいたら、口汚く威嚇して、他者を容赦なく攻撃する。
そして、理論の欠落した行動で、その場を支配しようとする。
まるで公園か幼稚園の砂場を、そのまま政治の場に持っていったような光景がそこにある。
ただ、公園の砂場が、まだましなのは、ガキ大将が得意げに「もっと勉強してこい!」と言わないところだろうか。