リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

オリンピックは大人の事情

2014-02-16 09:12:00 | オヤジの日記
41歳のレジェンド、銀メダル、おめでとうございます。


連日、テレビではソチ・オリンピックを中継している。

日本人選手の活躍が気になるので、インターネットの記事で結果だけはチェックするが、中継は見ない。
冬季オリンピックの採点競技の多さに、どうしても馴染めないのが一番の理由だ。

スピードスケートやスキーの滑降などは、単純に速さを競うものだから、わかりやすい。
天候などの運に左右されたとしても、国同士の不条理な力関係が不自然な結果を招くことは稀だ。

歴然とした不正でもない限り、その結果には、納得がいく。

だが、採点競技は、不透明だ。

もちろん、公正な採点者が、規則に則って厳格に評価をしているのだとは思う。
一つ一つの技をチェックして、技の優劣を決めているのだと思う。

しかし、私は採点者個々にもレベルの違いがあると思っている。
IOCから認められた公式の審判員だったとしても、全員が同じレベルではない。
少しでも採点技術の劣った人がいたら、その競技自体、公平性が怪しくなるのではないか、と私は疑っているのだ。

さらに、主観の強い採点者がいた場合、その競技の公平性は、かなり不確かなものになるのではないか。

それに、これは言いがかりになるかもしれないが、欧米人には、冬季スポーツというのは、欧米人のものであるという意識が強いように思われる。

冬季スポーツの主役は、俺たちだ。

だから、欧米人が勝てなくなると、頻繁にルールを変える、ということが、過去に何度かあったような記憶がある。
(スキーの長さやウェアの密着性、採点の比率を変えたりなど)

もちろん、彼らはそれを「合理的なこと」として、ルールを変えたのだと思うが、欧米人の「合理的」は、他の人種にとっては「不合理」であることが多い。

要するに、私の目には、冬季スポーツにおける欧米人の「合理性」に対する多人種の「不合理性」がバランス悪く映るのである。


ただ、オリンピックをスポーツではなく、ただのショーである、あるいは祭りである、と割り切るなら、4年に1度の見せ物としては、悪くない。

色々な人種を見ることができるし、新しい種目もショーとしてみるなら、新鮮でいいものだ。

大国のナショナリズムが鼻につくこともあるが、それも小学校の運動会で、父兄が自分の子を懸命に応援しているのと同じだと考えれば、目くじら立てることはないのかもしれない。
小学校の運動会だって、学校や教師の都合で、種目やルールが変えられることがある。
すべては、大人の都合だ。

オリンピックも大人(欧米人)の都合で、欧米人の祭りに、多人種がゲストで招かれているだけ、と捉えればいいのだろう。


次回のオリンピック開催地は、韓国の平昌(ピョンチャン)だという。

開催地はアジアだが、主催者は紛れもなく欧米国である。

韓国の方には、くれぐれも自分たちが主催者だとは思わずに、欧米人の顔を立てて、見事なショーを作って欲しいと思う。


そうしないと、将来、大人(欧米人)の都合で、アジアの国が開催地から外されてしまうこともあるかもしれないから。



また、これは、余計な話だが、オリンピック中継を見ない理由が、私にはあと2つある。

オリンピック中継は、NHKがメインである。
しかし、私には子どもの頃からNHKを見る習慣がない(受信料は払っています)。
だから、見ない。

では、民放の中継を見ればいいではないか、というご意見もあるのだが、どういうわけか、民放のキャスターは、大手男性アイドル事務所の方がやっていらっしゃることが多い。

言い方は悪いが、素人キャスターの中継は見たくない。

もちろん、普段の彼らの仕事ぶりから察すると、事前にかなり勉強してから中継に望むことは想像できる。
だが、それでも、私にとって、彼らは素人なのである。

ただ、この場合も、オリンピックがショーなら、オリンピック中継もショーだよ、という考え方もできる。

祭りは、楽しければいいんだよ。
アイドルが、キャスターでもいいではないか。
そんな考え方もある。

しかし、彼らがキャスターとして起用された裏にも「大人の事情」があるのだろうな、と考えたとき、私は見る気がなくなってしまったのである。



インターネットで結果さえ抑えておけば、人との会話に困ることもないし………。


これは、「大人の事情」ではなく、「私の事情」ですが。