年に数回しか見ないのだが、気に入っている報道番組がある。
報道ステーションだ。
大きな事件、事故があったときなどは、私は報道ステーションを見ることが多い。
(NHKを見る習慣がないので)
番組のアンカーマン、古舘伊知郎氏は、保守的な層や自民党シンパには、蛇蝎のごとく嫌われているようだ。
政権に批判的だからだろう。
しかし、以前、ニュースで自民党の小泉進次郎氏が言っていたように、「権力者は批判されて当たり前。批判にいちいち反論していたら、キリがない」と私は思っている。
むしろ、「キリがない」と言うより、権力者は様々なアドバンテージを手にしているのだから、批判されたとしても彼の地位が揺らぐわけではない。
批判を甘んじて受けたとしてもまだオツリがくるくらい、その地位は磐石である。
「どーんと来い!」と構えていてもいいはずである。
思い上がった自民党のごく一部の政治家たちは、自分たちにとって耳の痛いことを言うマスコミの広告収入を絶やせ、とまで言っているが、時代錯誤の言論弾圧を主張するのは、己に後ろめたいところがあるからだろう。
おそらく、その標的になっているのが古舘伊知郎氏の「報道ステーション」であり、長いあいだ自民党に批判的なスタンスをとっている朝日新聞だ。
さらに、報道ステーションと朝日新聞は、よくミスを指摘される。
確かに、私もその数は少なくないと思う。
ただ、その数は、保守的で自民党寄りと言われている読売新聞や産経新聞もそれほど変わらないのではないか、と私は推測している。
ミスをしたとき、報道ステーションは謝る。
場合によっては、検証するコーナーを設けることもある。
だが、保守的なものに甘い人たちは気づいていないかもしれないが、たとえば、日本テレビや読売新聞は、ミスをしても謝罪のボリュームが、はるかに少ない。
他社のミスには厳しい姿勢を見せるのに、「え? それが謝罪なの?」と思うくらい、自分のミスに対しては、いつも謝罪内容が薄い。
彼らは、自分が権力側の人間だと自負しているのではないか、と私は邪推している。
この国の権力者が、ミスをしても仏頂面で開き直る姿を模範としているからだろう。
ここで、突然話は飛ぶが、私はフリーランスを職業としている。
つまり、個人で仕事をいただいて報酬を得ている。
サラリーマン時代を10年以上経験したが、取引先の「理不尽で強圧的な対応」が度重なったことに反発して、40歳すぎに独立した。
お客と衝突するたびに、ボスは「俺の顔を潰すんじゃない。早く謝ってこい」と毎回眉間にしわを寄せた。
そして、「いい加減、大人になれよ」とも言われた。
理不尽なことに目をつぶるのが大人になることなら、俺は大人にならなくていい、と思って会社を辞めた(自分でもガキだと思う)。
フリーランスになってからも理不尽なことだらけだった。
その度に、相手と衝突した。
「仕事を出す代わりに、酒を飲ませてよ」
「ゴルフに連れて行ってよ」
「可愛い女の子のいる店、知らない?」
まるで、その条件と仕事がイコールであるかのように、当たり前のように要求されたので、「俺はお前らの財布でもなければ、太鼓持ちでもねえわ」と心の中で罵りながら、「俺は酒は嫌いだ。ゴルフはしない。可愛い女の子には会ったこともない」と、子どもじみた断り方をした。
その結果、我が家は「私のせいで」貧乏だ。
先週は、2年近い付き合いの得意先と衝突をした。
レストランのメニューのデザインを頼まれて校了になり、印刷も終わった。
しかし、納品したとき、相手が「頼んだところが直っていない」と言うのだ。
いつ直せと言いましたか?
「2校のときに、はっきりと言ったよ」
同じ職業の人はしていることだと思うが、私は校正ごとにデータを保存することにしていた。
保存したときに、パソコンに校正した日の日にちと時間が記録される。
それは、2校の打ち合わせをしたのちに、修正した時の日付だ。
そして、校正原稿もコピーして赤いマーカーで日付を書いておくのだ。
その2校原稿とデータを照らし合わせても、彼が修正を依頼した記録がない。
だから、2校では言われていませんね、と答えた。
「じゃあ、3校だな」
3校の修正原稿とデータを見ても、さらに最終稿の修正原稿とデータにも依頼された記録がない。
つまり、彼が修正を依頼した事実はないということだ。
「いや、俺は言った。絶対に言った。誤魔化すなよ」と、私より20歳以上若い男にタメ口で罵られた。
では、と言って、私はICレコーダを提出した。
毎回ではないが、私は相手によって言葉の行き違いがあるといけないので、録音させていただきます、とお願いしていた。
このときも、相手が承諾したので、録音していたのである。
一度、通しで聞いてみたが、彼が依頼した事実はなかった。
しかし、彼は言うのだ。
「いや、俺は言った。あんたが証拠を消したんだろう!」
これ以上、馬鹿と話をするのは時間の無駄なので、彼の上司に事の経緯を述べて判断を仰いだ。
すると、「あんた、録音なんかしていたのか。ひどいやつだな。客との信頼関係を壊す気か!」と罵られた。
(いや、あんたの部下は、録音することを笑顔で快諾したんですよ)
むかし「大人になれよ」と言われた私は、「ひどいやつ」の烙印も押されてしまったので、頭を下げたのち、請求書を置いて会社を後にした。
自分では、思い切ったことをしたつもりだったが、報道ステーションの古舘伊知郎氏ほどの肝の太さは、私にはない。
はたして、その報酬が来月10日に振込まれるかを今ビクビクしながら待っている。
そういう情けない理由で、権力を敵に回して、毎回のように正々堂々と意見を述べる古舘伊知郎氏を私は尊敬している。
報道ステーションだ。
大きな事件、事故があったときなどは、私は報道ステーションを見ることが多い。
(NHKを見る習慣がないので)
番組のアンカーマン、古舘伊知郎氏は、保守的な層や自民党シンパには、蛇蝎のごとく嫌われているようだ。
政権に批判的だからだろう。
しかし、以前、ニュースで自民党の小泉進次郎氏が言っていたように、「権力者は批判されて当たり前。批判にいちいち反論していたら、キリがない」と私は思っている。
むしろ、「キリがない」と言うより、権力者は様々なアドバンテージを手にしているのだから、批判されたとしても彼の地位が揺らぐわけではない。
批判を甘んじて受けたとしてもまだオツリがくるくらい、その地位は磐石である。
「どーんと来い!」と構えていてもいいはずである。
思い上がった自民党のごく一部の政治家たちは、自分たちにとって耳の痛いことを言うマスコミの広告収入を絶やせ、とまで言っているが、時代錯誤の言論弾圧を主張するのは、己に後ろめたいところがあるからだろう。
おそらく、その標的になっているのが古舘伊知郎氏の「報道ステーション」であり、長いあいだ自民党に批判的なスタンスをとっている朝日新聞だ。
さらに、報道ステーションと朝日新聞は、よくミスを指摘される。
確かに、私もその数は少なくないと思う。
ただ、その数は、保守的で自民党寄りと言われている読売新聞や産経新聞もそれほど変わらないのではないか、と私は推測している。
ミスをしたとき、報道ステーションは謝る。
場合によっては、検証するコーナーを設けることもある。
だが、保守的なものに甘い人たちは気づいていないかもしれないが、たとえば、日本テレビや読売新聞は、ミスをしても謝罪のボリュームが、はるかに少ない。
他社のミスには厳しい姿勢を見せるのに、「え? それが謝罪なの?」と思うくらい、自分のミスに対しては、いつも謝罪内容が薄い。
彼らは、自分が権力側の人間だと自負しているのではないか、と私は邪推している。
この国の権力者が、ミスをしても仏頂面で開き直る姿を模範としているからだろう。
ここで、突然話は飛ぶが、私はフリーランスを職業としている。
つまり、個人で仕事をいただいて報酬を得ている。
サラリーマン時代を10年以上経験したが、取引先の「理不尽で強圧的な対応」が度重なったことに反発して、40歳すぎに独立した。
お客と衝突するたびに、ボスは「俺の顔を潰すんじゃない。早く謝ってこい」と毎回眉間にしわを寄せた。
そして、「いい加減、大人になれよ」とも言われた。
理不尽なことに目をつぶるのが大人になることなら、俺は大人にならなくていい、と思って会社を辞めた(自分でもガキだと思う)。
フリーランスになってからも理不尽なことだらけだった。
その度に、相手と衝突した。
「仕事を出す代わりに、酒を飲ませてよ」
「ゴルフに連れて行ってよ」
「可愛い女の子のいる店、知らない?」
まるで、その条件と仕事がイコールであるかのように、当たり前のように要求されたので、「俺はお前らの財布でもなければ、太鼓持ちでもねえわ」と心の中で罵りながら、「俺は酒は嫌いだ。ゴルフはしない。可愛い女の子には会ったこともない」と、子どもじみた断り方をした。
その結果、我が家は「私のせいで」貧乏だ。
先週は、2年近い付き合いの得意先と衝突をした。
レストランのメニューのデザインを頼まれて校了になり、印刷も終わった。
しかし、納品したとき、相手が「頼んだところが直っていない」と言うのだ。
いつ直せと言いましたか?
「2校のときに、はっきりと言ったよ」
同じ職業の人はしていることだと思うが、私は校正ごとにデータを保存することにしていた。
保存したときに、パソコンに校正した日の日にちと時間が記録される。
それは、2校の打ち合わせをしたのちに、修正した時の日付だ。
そして、校正原稿もコピーして赤いマーカーで日付を書いておくのだ。
その2校原稿とデータを照らし合わせても、彼が修正を依頼した記録がない。
だから、2校では言われていませんね、と答えた。
「じゃあ、3校だな」
3校の修正原稿とデータを見ても、さらに最終稿の修正原稿とデータにも依頼された記録がない。
つまり、彼が修正を依頼した事実はないということだ。
「いや、俺は言った。絶対に言った。誤魔化すなよ」と、私より20歳以上若い男にタメ口で罵られた。
では、と言って、私はICレコーダを提出した。
毎回ではないが、私は相手によって言葉の行き違いがあるといけないので、録音させていただきます、とお願いしていた。
このときも、相手が承諾したので、録音していたのである。
一度、通しで聞いてみたが、彼が依頼した事実はなかった。
しかし、彼は言うのだ。
「いや、俺は言った。あんたが証拠を消したんだろう!」
これ以上、馬鹿と話をするのは時間の無駄なので、彼の上司に事の経緯を述べて判断を仰いだ。
すると、「あんた、録音なんかしていたのか。ひどいやつだな。客との信頼関係を壊す気か!」と罵られた。
(いや、あんたの部下は、録音することを笑顔で快諾したんですよ)
むかし「大人になれよ」と言われた私は、「ひどいやつ」の烙印も押されてしまったので、頭を下げたのち、請求書を置いて会社を後にした。
自分では、思い切ったことをしたつもりだったが、報道ステーションの古舘伊知郎氏ほどの肝の太さは、私にはない。
はたして、その報酬が来月10日に振込まれるかを今ビクビクしながら待っている。
そういう情けない理由で、権力を敵に回して、毎回のように正々堂々と意見を述べる古舘伊知郎氏を私は尊敬している。