私と同じフリーランスを生業とする人たちと年に数回飲み会を開いている。
場所は、いつも吉祥寺。
ただ、吉祥寺近辺に住んでいるのは私だけで、他の人たちは全員が埼玉に在住していた。
みな私が、さいたま市に住んでいたときの同業者である。
なぜ、埼玉で飲み会を開かないのかというと、私が埼玉にいい思い出がないことを皆さんが知っていらっしゃるからだ。
15年間の長きにわたって生活した埼玉のことを思い出すことは、今ほとんどない。
得意先がまだ埼玉に1件あるので、月に3回浦和には行くが、その先にある「過去の生活圏」には5年間で2回しか行ったことがない。
2回とも機械音痴の同業者のパソコンが壊れたので、直しに行っただけだ。
その同業者は、私と同じメガ団地に住んでいた。
普通の人なら、15年も住んでいたのだから、懐かしく思って周りを歩いて感慨にふけったりするのだろうが、私は顔を上げることもなく、すぐに団地を後にした。
心の中で、団地全体にバズーカを掃射しながら。
15年住んだうちの14年間は、家族とともに楽しい時間を過ごした。
しかし、最後の1年は、あるご老人のせいで、私は鬱寸前の毎日を過ごした。
私が、その悪夢を思い出したくないことを同業者は知っているので、平均年齢46歳の男ども5人は、わざわざ吉祥寺まで出向いてくれるのである。
それは、とても有り難いことで、私はいつも内心では感謝の気持ちを膨らませて、彼らの姿を涙目で見ていた。
しかし、私は人格が崩壊している男なので、そんな恩義のある彼らに、容赦なく皮肉の雨を降らせるのだ。
なぜなら、彼ら5人のうちの4人が、ジャイアンツ、自民党、演歌を愛する極悪人どもだからだ。
極端に心の狭い私から言わせてもらうなら、この3つが揃った人間など、理解の範疇を超えている。
自民党なんて、利益誘導、土建屋体質、バラマキ政策で今の日本の借金体質を作った元凶じゃないか。
ジャイアンツは読売新聞の商売道具で、電波や文字の媒体を使った洗脳集団だ。
演歌は、「日本人の心の歌」などといっているが、その「心の歌」より、ジャズやポップス、ロックの方が歴史は古いという事実を彼らは知らない。
そのくせ、古いジャズやロックよりも古臭いマイナーな旋律と後ろ向きの歌詞。
いったい、そのどこに「日本人の心」があるんだ。
いまの日本人の心は、そんなに暗くないぞ。
最初の頃は、いつもそうやって喧嘩を売っていた。
その結果、同業者は「こいつは変人だから、何を言っても無駄だ」と思って、自民党、演歌の話題は諦め、ヒソヒソとジャイアンツの話題だけで盛り上がるようになった。
なぜかというと、私がジャイアンツの選手の名前を知らないからだ。
それをいいことに、私ともう一人を除け者にし、意味のわからない名前をあげて4人だけで「ジャイアンツ教」の集会を開いているのである。
シーズン中もシーズンオフもよく話題が絶えないことだ、と感心している。
ただ、彼らにも学習能力はあるようだ。
私の前で、「昔はよかった」式の会話をしなくなったからだ。
昔、その目で見たわけでもないのに、彼らが伝説の投手・沢村氏の話を得意げにしていたことがあった。
「沢村に比べたら、今のピッチャーなんてたいしたことないよ。むかし160キロの球を投げていたんだから、驚くよね。今で言えば180キロくらいの感覚じゃないの!」
「そうだ、そうだ!」
それを聞いた私は、お言葉を返すようですが、とイチャモンをつけたのである。
すべてのスポーツの種目が、50年、60年以上前と比べて、飛躍的に記録が伸びているのに、なぜ野球のピッチャーの能力だけが、昔の方が優れていると言えるのか。
彼の投げる姿を見たのですか?
沢村氏は、彼らが生まれる前に亡くなっていたので、見たことはないという。
要するに、伝聞を元に想像で言っているだけだ。
それは、私の感覚ではメルヘンだ。
たとえば、80年近く前、多くの優秀な投手が130キロの球を投げていたとする。
その中で、沢村氏だけが145キロの球を投げたら、とてつもなく早く感じることだろう。
今の投手の平均的な球速が145キロだったとして、その中で160キロを投げる投手の球は、とてつもなく速く感じる。
それと同じではないのか。
スポーツの記録は、その時代の中では絶対的な記録だが、世代が変わったら「相対的」になる。
たとえば、純粋に己の肉体だけを使う体操競技を例に取れば、昔はウルトラCと言ったら、ミスさえなければメダルを取れる大技だったが、いまウルトラCを出しても何のアドバンテージにもならない。
今は中学生でも、ウルトラCより、はるかに難度の高い技をこなすのである。
その技の難易度、技の多彩さを比べて、「昔の体操選手の方が凄かった」などと言ったら、確実に時代錯誤と笑われるだろう。
野球のピッチャーだけが、昔の方が凄かった、という根拠は、おそらく沢村氏の投げる姿を見た人が歴史の人たちだけだからだ。
むかし、400勝投手の金田正一氏が、スピードガンが出始めの頃に、こんなことを言っていた。
「ワシの若い頃は、150キロをバンバン投げていたよ。沢村さんは、もっと早かった」
沢村氏はともかく、金田氏に関しては、それはそうかもしれない、と思った。
なにしろ日本で唯一の400勝投手なのだ。
150キロを出していても不思議ではない。
だが、アマチュア野球の好きな友人が言うには、今の高校生、大学生の投手の中には、150キロを超える球を投げる人が数人いるらしいのだ。
プロの400勝投手、金田氏が150キロ。
そして、アマチュアの投手も150キロ。
そのことが何を意味するのかというと、世代が変わったら、残るのは実績だけということだ。
ポテンシャルを比べたら、今のアスリートの方が能力は確実に高い。
これは、余計なことかもしれないが、今の3割バッター、30本塁打バッターは、昔の打者のように、ストレートやカーブだけを打つのではなく、スプリット、スライダー、カットボール、チェンジアップなどを打って結果を残しているのである。
そのポテンシャルの高さは驚異的だ。
このように、トレーニングの質は、昔と今では格段に違う。
メルヘンには夢があるが、世代をいくつも超えたことを忘れて、「昔はよかった」というだけでは、「伝説の人」の評価を間違えることになる。
今と比較などしなくても、その時代に実績を残した人は、その時代の実績を評価するだけで十分だと私は思っている。
「いま」と比べて「昔の方が」すごいという根拠のないリスペクトは、その人の実績を歪めるだけだ。
たとえば、平地で初めて100メートル10秒の壁を破ったのは、伝説の人カール・ルイス氏である。
だが、いまカール・ルイス氏のことを「人類最速」という人はいない。
今、彼の記録を超えるランナーはたくさんいる。
しかし、カール・ルイス氏の実績は、陸上の歴史の中で燦然と輝いている。
スポーツの記録とは、そういうものなのである。
本当に160キロを投げたかどうかもわからないメルヘンを信じるより、「沢村という偉大な投手が過去の日本にいた」ことが重要なのだ。
それ以外の修飾は、むしろ彼の価値を歪めることになるから、そんな言い方はやめた方がいいですよ、と私はジャイアンツ教たちにむかし忠告したことがあった。
私のそんな意見に、同業者たちは納得したわけではなかったようだが、それからは「昔の選手の方が凄かった」という話はやめるようになった。
おそらく「こいつは夢のないやつだ。相手にしてもしょうがない」と見限って、メルヘンを語るのをやめたのだと思う。
今回は、皆のスケジュールが詰まっていたので、午後5時から飲み始めて、7時解散の予定だった。
しかし、6時10分を過ぎたころ、突然メンバーの中で最長老のオオサワさんが、私に「そういえば、吉祥寺にバッティングセンターがあるの知ってましたか。どうですか、これから行ってみませんか」と提案した。
同業者全員が乗り気だったので、断るのも悪いと思って、その話に乗った。
行ってみると、どこにでもあるようなスタンダードなバッティングセンターだった。
ただ、最速が90キロというから、素人のお遊び向けと言っていいだろう。
まず、それぞれ1ゲーム20球ずつを順番に打っていった。
平均年齢46歳の同業者たちは、その素人の遊び向けの90キロの球に対して空振りを繰り返した。
誰もが、20球のうち、1~2球程度しか当てることができなかったのだ。
だが、私は、20球のうち、空振りは2球だけだった。
ほとんどがバットの芯に当たっていた。
打ち終わって、ケージから出た私を迎えたのは、しらけきったジャイアンツ教の男だちの顔だった。
「なんで、こいつだけ打てたんだ? こいつは、走るのだけが取り柄の男じゃなかったか?」
声に出さなくても、彼らの顔を見れば、言いたいことは想像できた。
では、説明しましょう。
私は、新年早々に、「メンバーが帰省のため足りなくなったから助っ人お願い」と請われて、草野球をしたばかりだったのですよ。
だから、目と体が球を打つことに慣れていたのですね。
ボールが止まって見えましたよ、ハハハハハ・・・・・・・。
お望みなら、もう1ゲーム、勝負しましょうか。
「もういい!」
吉祥寺駅までの帰り道、同業者たちの会話は弾まなかった。
同業者の中で一番若い37歳のニシダ君に、「Mさん、もう少し空気を読まないと」と、たしなめられた。
私は、恩人である埼玉の同業者たちを怒らせてしまったようだ。
ただ、申し訳ないことに、身も心もスカッとしましたがね。
ああ・・・・・性格が悪いのは、自覚しておりますので。
場所は、いつも吉祥寺。
ただ、吉祥寺近辺に住んでいるのは私だけで、他の人たちは全員が埼玉に在住していた。
みな私が、さいたま市に住んでいたときの同業者である。
なぜ、埼玉で飲み会を開かないのかというと、私が埼玉にいい思い出がないことを皆さんが知っていらっしゃるからだ。
15年間の長きにわたって生活した埼玉のことを思い出すことは、今ほとんどない。
得意先がまだ埼玉に1件あるので、月に3回浦和には行くが、その先にある「過去の生活圏」には5年間で2回しか行ったことがない。
2回とも機械音痴の同業者のパソコンが壊れたので、直しに行っただけだ。
その同業者は、私と同じメガ団地に住んでいた。
普通の人なら、15年も住んでいたのだから、懐かしく思って周りを歩いて感慨にふけったりするのだろうが、私は顔を上げることもなく、すぐに団地を後にした。
心の中で、団地全体にバズーカを掃射しながら。
15年住んだうちの14年間は、家族とともに楽しい時間を過ごした。
しかし、最後の1年は、あるご老人のせいで、私は鬱寸前の毎日を過ごした。
私が、その悪夢を思い出したくないことを同業者は知っているので、平均年齢46歳の男ども5人は、わざわざ吉祥寺まで出向いてくれるのである。
それは、とても有り難いことで、私はいつも内心では感謝の気持ちを膨らませて、彼らの姿を涙目で見ていた。
しかし、私は人格が崩壊している男なので、そんな恩義のある彼らに、容赦なく皮肉の雨を降らせるのだ。
なぜなら、彼ら5人のうちの4人が、ジャイアンツ、自民党、演歌を愛する極悪人どもだからだ。
極端に心の狭い私から言わせてもらうなら、この3つが揃った人間など、理解の範疇を超えている。
自民党なんて、利益誘導、土建屋体質、バラマキ政策で今の日本の借金体質を作った元凶じゃないか。
ジャイアンツは読売新聞の商売道具で、電波や文字の媒体を使った洗脳集団だ。
演歌は、「日本人の心の歌」などといっているが、その「心の歌」より、ジャズやポップス、ロックの方が歴史は古いという事実を彼らは知らない。
そのくせ、古いジャズやロックよりも古臭いマイナーな旋律と後ろ向きの歌詞。
いったい、そのどこに「日本人の心」があるんだ。
いまの日本人の心は、そんなに暗くないぞ。
最初の頃は、いつもそうやって喧嘩を売っていた。
その結果、同業者は「こいつは変人だから、何を言っても無駄だ」と思って、自民党、演歌の話題は諦め、ヒソヒソとジャイアンツの話題だけで盛り上がるようになった。
なぜかというと、私がジャイアンツの選手の名前を知らないからだ。
それをいいことに、私ともう一人を除け者にし、意味のわからない名前をあげて4人だけで「ジャイアンツ教」の集会を開いているのである。
シーズン中もシーズンオフもよく話題が絶えないことだ、と感心している。
ただ、彼らにも学習能力はあるようだ。
私の前で、「昔はよかった」式の会話をしなくなったからだ。
昔、その目で見たわけでもないのに、彼らが伝説の投手・沢村氏の話を得意げにしていたことがあった。
「沢村に比べたら、今のピッチャーなんてたいしたことないよ。むかし160キロの球を投げていたんだから、驚くよね。今で言えば180キロくらいの感覚じゃないの!」
「そうだ、そうだ!」
それを聞いた私は、お言葉を返すようですが、とイチャモンをつけたのである。
すべてのスポーツの種目が、50年、60年以上前と比べて、飛躍的に記録が伸びているのに、なぜ野球のピッチャーの能力だけが、昔の方が優れていると言えるのか。
彼の投げる姿を見たのですか?
沢村氏は、彼らが生まれる前に亡くなっていたので、見たことはないという。
要するに、伝聞を元に想像で言っているだけだ。
それは、私の感覚ではメルヘンだ。
たとえば、80年近く前、多くの優秀な投手が130キロの球を投げていたとする。
その中で、沢村氏だけが145キロの球を投げたら、とてつもなく早く感じることだろう。
今の投手の平均的な球速が145キロだったとして、その中で160キロを投げる投手の球は、とてつもなく速く感じる。
それと同じではないのか。
スポーツの記録は、その時代の中では絶対的な記録だが、世代が変わったら「相対的」になる。
たとえば、純粋に己の肉体だけを使う体操競技を例に取れば、昔はウルトラCと言ったら、ミスさえなければメダルを取れる大技だったが、いまウルトラCを出しても何のアドバンテージにもならない。
今は中学生でも、ウルトラCより、はるかに難度の高い技をこなすのである。
その技の難易度、技の多彩さを比べて、「昔の体操選手の方が凄かった」などと言ったら、確実に時代錯誤と笑われるだろう。
野球のピッチャーだけが、昔の方が凄かった、という根拠は、おそらく沢村氏の投げる姿を見た人が歴史の人たちだけだからだ。
むかし、400勝投手の金田正一氏が、スピードガンが出始めの頃に、こんなことを言っていた。
「ワシの若い頃は、150キロをバンバン投げていたよ。沢村さんは、もっと早かった」
沢村氏はともかく、金田氏に関しては、それはそうかもしれない、と思った。
なにしろ日本で唯一の400勝投手なのだ。
150キロを出していても不思議ではない。
だが、アマチュア野球の好きな友人が言うには、今の高校生、大学生の投手の中には、150キロを超える球を投げる人が数人いるらしいのだ。
プロの400勝投手、金田氏が150キロ。
そして、アマチュアの投手も150キロ。
そのことが何を意味するのかというと、世代が変わったら、残るのは実績だけということだ。
ポテンシャルを比べたら、今のアスリートの方が能力は確実に高い。
これは、余計なことかもしれないが、今の3割バッター、30本塁打バッターは、昔の打者のように、ストレートやカーブだけを打つのではなく、スプリット、スライダー、カットボール、チェンジアップなどを打って結果を残しているのである。
そのポテンシャルの高さは驚異的だ。
このように、トレーニングの質は、昔と今では格段に違う。
メルヘンには夢があるが、世代をいくつも超えたことを忘れて、「昔はよかった」というだけでは、「伝説の人」の評価を間違えることになる。
今と比較などしなくても、その時代に実績を残した人は、その時代の実績を評価するだけで十分だと私は思っている。
「いま」と比べて「昔の方が」すごいという根拠のないリスペクトは、その人の実績を歪めるだけだ。
たとえば、平地で初めて100メートル10秒の壁を破ったのは、伝説の人カール・ルイス氏である。
だが、いまカール・ルイス氏のことを「人類最速」という人はいない。
今、彼の記録を超えるランナーはたくさんいる。
しかし、カール・ルイス氏の実績は、陸上の歴史の中で燦然と輝いている。
スポーツの記録とは、そういうものなのである。
本当に160キロを投げたかどうかもわからないメルヘンを信じるより、「沢村という偉大な投手が過去の日本にいた」ことが重要なのだ。
それ以外の修飾は、むしろ彼の価値を歪めることになるから、そんな言い方はやめた方がいいですよ、と私はジャイアンツ教たちにむかし忠告したことがあった。
私のそんな意見に、同業者たちは納得したわけではなかったようだが、それからは「昔の選手の方が凄かった」という話はやめるようになった。
おそらく「こいつは夢のないやつだ。相手にしてもしょうがない」と見限って、メルヘンを語るのをやめたのだと思う。
今回は、皆のスケジュールが詰まっていたので、午後5時から飲み始めて、7時解散の予定だった。
しかし、6時10分を過ぎたころ、突然メンバーの中で最長老のオオサワさんが、私に「そういえば、吉祥寺にバッティングセンターがあるの知ってましたか。どうですか、これから行ってみませんか」と提案した。
同業者全員が乗り気だったので、断るのも悪いと思って、その話に乗った。
行ってみると、どこにでもあるようなスタンダードなバッティングセンターだった。
ただ、最速が90キロというから、素人のお遊び向けと言っていいだろう。
まず、それぞれ1ゲーム20球ずつを順番に打っていった。
平均年齢46歳の同業者たちは、その素人の遊び向けの90キロの球に対して空振りを繰り返した。
誰もが、20球のうち、1~2球程度しか当てることができなかったのだ。
だが、私は、20球のうち、空振りは2球だけだった。
ほとんどがバットの芯に当たっていた。
打ち終わって、ケージから出た私を迎えたのは、しらけきったジャイアンツ教の男だちの顔だった。
「なんで、こいつだけ打てたんだ? こいつは、走るのだけが取り柄の男じゃなかったか?」
声に出さなくても、彼らの顔を見れば、言いたいことは想像できた。
では、説明しましょう。
私は、新年早々に、「メンバーが帰省のため足りなくなったから助っ人お願い」と請われて、草野球をしたばかりだったのですよ。
だから、目と体が球を打つことに慣れていたのですね。
ボールが止まって見えましたよ、ハハハハハ・・・・・・・。
お望みなら、もう1ゲーム、勝負しましょうか。
「もういい!」
吉祥寺駅までの帰り道、同業者たちの会話は弾まなかった。
同業者の中で一番若い37歳のニシダ君に、「Mさん、もう少し空気を読まないと」と、たしなめられた。
私は、恩人である埼玉の同業者たちを怒らせてしまったようだ。
ただ、申し訳ないことに、身も心もスカッとしましたがね。
ああ・・・・・性格が悪いのは、自覚しておりますので。