2週間近く前のことを、今さら書くことにした。
長年の友人の尾崎の妻・恵実とデートをした。不倫? いえいえ、カフェで忍び逢っただけでございます。
惠実は、長年かわらない長いストレートヘアーと質素なアイボリーのワンピースに身を包んでいた。決して美人ではないが、瞳に意志をたたえた表情は、明確に自己を主張していた。
結婚する前、尾崎との同棲生活は8年間続いていた。二人は、よく喧嘩をした。喧嘩をする度に、二人はいつもどちらかが家を出た。
家出は2日の時もあったし、半年の時もあった。
さすがに、半年間の家出は常識的に考えて危機的な状況だろう。だから、私は、そのとき惠実が逃げ込んだ京都府の乙訓郡の実家まで会いにいった。
尾崎に頼まれたわけではない。自分の意思で勝手に行ったのだ。丁度、京都の紅葉が始まった頃だった。要するに、紅葉を見たさに行ったということ。
鮮やかな紅葉が間近に見える飲み屋で、惠実と酒を飲んだ。不倫? いえいえ、飲み屋で忍び逢っただけでございます。
そのとき、喧嘩の原因が何なのか、私は知らなかった。そんなことに興味はない。ただ、尾崎のそばに惠実がいないことが不自然だと思っただけだ。
私の前にいる惠実は、いつもの惠実だった。少なくとも心を乱してはいなかった。
その惠実に、私は聞いた。
君が、いま尾崎を必要としているかを聞きたい。
すると、惠実は、即座に「必要です」と答えた。
では、帰ろうか。尾崎も君を必要としている。君のいない尾崎は、ただのアウトローだ。尾崎をアウトローの世界から連れ出してくれるのは君しかいない。
惠実は、うなずいてくれた。
その後、惠実が尾崎の元に返ってからひと月ほど経ったとき、私は尾崎に言った。
いつまでも、このままでいいと思うのか。
「このままとは?」
恵実さんとの暮らしだ。入籍しろよ、時機を逃し過ぎだ。
「わかった、今日入籍してくる」
尾崎は、その日、本当に入籍した。
尾崎とは、そういう男だ。
その後、二人は、三人の子どもを授かった。
子どもが出来たあとも、衝突して、懲りずに何度か家出をしていたが、大きなヤケドはおっていない。
要するに、似た者夫婦なのだ。
惠実は、尾崎のことに絶えず気を配っていた。
惠実が言うには、私の母の死後、尾崎は表面上は家族とも普通に接して、何も変わらないように見えたが、たまに心が飛んでいるように見えたという。
10年近く前、尾崎と南青山のバーで飲んでいたとき、尾崎が突然言い出した。
「俺は、おまえと母ちゃん先生がいなくなったら、壊れるだろうな」
それほど尾崎は、私の母に心酔していた。
30数年前、尾崎と知り合って一年が過ぎた頃、私は当時住んでいた東京中目黒の実家に尾崎を連れていった。
どこから見ても、危険な匂いしかしない尾崎を見て、かつて教育者だった私の母は「尾崎くんは私好みの子ね」と何の不自然さもない表情で笑った。
尾崎にとって、それは驚愕の出来事だったようだ。
「俺を認めてくれる大人に初めて出会った」と思ったという。
高校を2か月足らずで辞めて、それから24歳までをアンダーグラウンドの世界で生きてきた尾崎。
犯罪歴はないが、「まともには生きていないし、まともなやつとも付き合ったことはなかった」と言っていた。
その尾崎を彼の伯母が興信所を使って探し出し、病室に呼びつけた。伯母は末期がんだった。
子どものいない伯母は、尾崎に言った(尾崎には両親がいなかった)。
「あんたが、私の店を継ぐんだよ」
伯母は、雑貨店と化粧品屋を営んでいた。尾崎は伯母の命をかけた迫力に押され、毎日病室に行き、伯母から経営学を学んだという。
3か月も経たないうちに、叔母は亡くなり、尾崎が伯母の店を継いだ。
思いがけず陽の当たる場所に出てきた尾崎だったから、そのとき彼の心はまだアウトローのままだった。
そんなアウトローの心のまま、私と知り合い、私の母に会ったのだ。
「俺に初めて会ったやつは、怯むか無関心な振りをする。『おまえなんか、怖くないよ』と虚勢を張るやつもいる。俺は、ウンザリしていたんだ。だが、おまえと母ちゃん先生だけは、自然体で俺を受け入れてくれたんだよ。そんな些細なことでも俺は嬉しかったんだ」
私と私の母だけではない。惠実も尾崎を自然体で受け入れた。だから、二人はいま同じ人生を生きていた。
いまの尾崎は、壊れてはいないが、私の母の死で大きな喪失感を味わったのだろうと思う。
「私もそう思います」と惠実。
「あれから、尾崎とはお会いになっていないんですよね」
同じものをなくしたもの同士、会って傷をなめ合っても、何も前に進まない。いまは、時間が必要なときですよ。
「でも、尾崎は本当はMさんに会いたがっています」と、惠実が身を乗り出しながら、強い目線を私に向けた。
たじろぐほどの強い圧力だった。
そして、惠実が言った。
「あれから、尾崎は車に乗りたがらないんですよね」
尾崎は、私の母を乗せるために、車を車椅子が乗せられるように改良していた。そして、その車で、私の母をドライブに誘うことがよくあった。
母は、それをとても喜んでいた。楽しみにしていた。ドライブが終わったとき、母は必ず尾崎の両手を握りしめて、泣きながら頭を何度も下げたという。
その姿を見た尾崎が私に言うのだ。
「俺は、母さんに何もしてない。ただ、俺の都合で連れ回しているだけなのに、母さんは、感謝の気持ちを体全体で表して泣いてくれるんだよな。本気で泣いてくれるんだ。それが今の俺の幸せだ」
尾崎、おまえは、間違いなく、いまも俺の母さんの息子だよ。
惠実が言った。
「尾崎と会ってください」
「ただ、普通に会うだけでは、尾崎も構えてしまうと思うんです。照れると思うんです」
「だから、僭越とは思いましたが、私が勝手に段取りをつけさせてもらいました。バス旅です」
え? バス旅? 唐突すぎるんですけどぉ・・・。
「いま、尾崎は車の運転を嫌がっています。でも、自分が運転しないバス旅なら、気が楽だと考えました」
「伊香保温泉の日帰り旅を私がセッティングしました。勝手に決めて申し訳ないですが4月4日のバス旅です。いかがでしょうか」
いかがでしょう、も何も、決められてしまったら、行くしかないっしょ!
惠実らしい強引さだと思った。
私は躊躇なく、わかりもした、と答えた。
惠実は、私に向かって深く頭を下げた。ずっと下げていた。
頭を上げたとき、目が合った。強い意志。
尾崎の妻。
尾崎は、いい人と生涯を分かち合えたのだな、と思った。
二人は、これからも喧嘩をするだろう。家出をするに違いない。
しかし、そんなことは、この夫婦には些細なことなのだ。
だって、似た者夫婦だから。
私は、これからもきっと友である尾崎と惠実を応援するだろう。
しかしなあ、バス旅ですかぁ・・・・・。
(尾崎とバス旅をしても、話すこと何もないんですけど)
キャー、サクラキレイ~! このカニ、超オイシイわ~! なんて、はしゃいじゃったりしてぇ・・・・・(女子か!)。