リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

なじみすぎた街・郷愁

2018-04-29 05:15:00 | オヤジの日記

金曜日、神田の得意先との打ち合わせを終えた午前11時25分。

ケツに入れたiPhoneが震えた。

 

ディスプレイを見ると、中目黒の同業者からだった。

「Mさん、電源はつくんですけど、モニターが真っ黒です」

この同業者は、機械の具合が悪くなると、いつも私にSOSを出す。

彼のメインマシンは最新のものだが、セカンドマシンは、私のメインマシンと型番が同じである。ということもあって、セカンドマシンの具合が悪くなったとき、彼は私を召使いのように呼び出すのだ。

今回、彼のパソコンの不調に関しては、原因がすぐに想像がついた。私は、神田にほど近い秋葉原の電気街で、ある部品を手に入れ、日比谷線で中目黒に向かった。

目黒警察署から257メートル離れた同業者の仕事場に行った。

 

セカンドマシンの不調ごときで、慌てふためく同業者。

そんな同業者の前で、私は魔法を使った。

とはいっても、モニターケーブルを代えただけですけどね・・・。同業者のセカンドマシンは、それですぐに復活した。

「えー、なんでぇ!」と同業者は叫んだ。しかし、おそらくそれほど機械に詳しくなくても、ほとんどの人が症状を聞けば、原因はすぐに特定できたと思う。

「え? ほんまでっか?」

奈良県生駒市出身の同業者は、間延びした声で、「ほんまでっか」を2回言った。

 

ほんまでんがな。

 

そのあと、「お礼にラーメンを奢りますがな」と言われたが、私は断った。

いつもなら、その申し出を受け入れて、中目黒駅寄りのラーメン屋で中華そばをご馳走になったところだ。しかし、この日、私には行きたい場所があった。

私は、神童と言われた2歳から結婚して家を出るイケメンの28歳まで、中目黒に住んでいた。

同業者と同じように、目黒警察署のそばに住んでいたのである。中目黒、代官山、渋谷、恵比寿は、ほとんど庭と言っていい。

中目黒で寄りたいところがあってね・・・。

「じゃあ、ご一緒しましょう。奢りますから」

いや、悪いけど、今回は一人で歩きたいんだ。

 

中目黒は、大きく変わった。

昔は、下町っぽい雑然とした街並みだったが、テレビドラマから抜け出したような、あか抜けた街になった。

ただ、中目黒は中目黒。

新しいビルがいくつも建ち、オシャレなカフェや食い物屋ができたとしても、道自体は変わらない。道が変わらなければ、それは私の中目黒だ。

あるいは、よく最近の渋谷に関して、「渋谷はカオスだよ」と言う人がいる。それを聞いて、いつも私は首を傾げる。

私は、高校、大学が渋谷だったので、7年間、ほぼ毎日、渋谷の街を歩いた。渋谷も大学時代から比べたら、大きく変わった。だが、道は変わっていない。

道が変わらなければ、ビルが変わったとしても、迷うことはない。

「渋谷駅もカオスだな」と言う人がいるが、地下何階にどの路線が通っているかを把握して、どちらの方向が恵比寿、原宿、中目黒、池尻大橋かを頭に入れておけば、地上を歩くのと何も変わらない。

どう歩いても私の渋谷だ。

ただ、それは、私が渋谷になじみすぎているから言えることかもしれないが・・・。

 

中目黒にも、私はなじみすぎていた。

中目黒駅西口を通って、高架下沿いを祐天寺方向に歩いていった。中目黒駅周辺で、一番変わったのは、この高架下かもしれない。

数年前までは年季の入った古い店ばかりだったが、今はすべてが新しくなった。カフェ、ダイニングなど洒落た店が軒を連ねていた。

「へい、らっしゃい」「まいどー」などという店はあまりない。しわしわのスーツ、薄汚れた革靴で入るのがためらわれるような店ばかりだ。

まあ・・・入りませんけどね。私は自分のみすぼらしさを痛いほど知っているので。

西口を出て5軒目の店。

そこに、昔、板張りの居酒屋があった、店名は忘れた。板が傷んで、無数のツギハギがあったことは、よく覚えていた。外見がイタイ店だった。

 

そのイタイ居酒屋で、34年前、母に当時付き合っていた女性を紹介した(何を間違えたか、その人はいま私の妻になっていた)。

本来なら家に連れていくところだろうが、当時家には引きこもりの姉がいたので、家は選択肢になかった。

母からは、「お寿司屋さんで会いましょうよ。私がご馳走するから」と言われた。だが、私は当時お寿司屋さんに、ある理由から敵意を抱いていたので、その申し出を辞退した。

寿司屋とは明らかにランクが落ちる店構えを見て、将来ヨメになる人は私を睨んだ。だが私は、だって、昼間から酒を飲める場所は、ここしかなかったんだもん! と言って押し切った。

 

母は、ヨメの顔を見るなり、「あら、マイペースさんね」と言った。

初対面で、ヨメの本質を見抜いたようだ。おぬし、できるな。

母は、人のことを根掘り葉掘り聞くことはしない。

どこで知り合ったの? 住まいはどこ? 学校はどこ? ご両親は何をしているの? アラン・ドロンはお嫌い?

そんなことは何も聞かなかった。

話は、中目黒の実家の庭で育てている柿の木やイチジク、カボチャ、トウモロコシ、ナス、トマトなどの話だった。あとは、室内で育てている蘭のことだった。

そして、植物の話が一通り終わったあと、ご対面は終了となった。ただ、困ったことに、対面終了のゴングが聞こえてから、母は、ヨメの手を両手で取り、「お願いしますね。まかせましたよ」と泣き出した。

ヨメもつられて、泣き出した。

 

なんじゃ、それ?

 

苦手な展開になったので、私はトイレに立った。

長めに時間をつぶした。5、6分も時間をおけば、私の苦手な空気はなくなっているだろうと思った。しかし、席に戻っても、まだ二人は手を取り合って泣いていた。

 

なんすか、それ?

 

店の支払いは、いつの間にか、母が済ませていた。

店の外に出たとき、母が背筋を伸ばし、毅然として言った。

「いいですか、ユミコさんを泣かしたら、私が許しませんからね。私はユミコさんの味方ですから」

ははーー(土下座)。

 

私がトイレに行っている間に、母がヨメに言った言葉。

「あの子は、子どもの頃から何でも自分で決めて、自分でやってきました。あの子は、放っておけば手間がかかりません。放っておいてください。そうすれば、あなたを不幸にすることはありませんから」

 

そのツギハギだらけの居酒屋は、今あか抜けたおでん屋さんになっていた。

赤が抜けすぎて、緑と青が可哀想だ。

だから、私は一生入らないだろう。

開店が16時からなので、入ろうとしても入れませんでしたけどね。

 

ひとりで、私の嫌いな郷愁に浸りながら、なじみすぎた街を歩いた。

中目黒は中目黒。

やはり、ここは私の街だ。

私はここに「いくつもの場面」を残した。

そして、その場面の中には、母もいた。

 

 

いま母がいないことに、ヨメも私もまだ、なじんでいない。

おそらく、なじむのは、もっとずっと先のことだ。

(2月以来、ヨメの涙を何度見ただろうか?)