リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

セキトリのモテ期

2018-08-26 05:29:00 | オヤジの日記

最近、我が家が猫カフェ化してきた。

 

我が家に、猫は一人しかいないが、土日になると入れ替わり立ち替わり、人がやって来る。8人全員が娘のお友だちだ。

我が家のはなはだしいほどのブス猫・セキトリと戯れに来るのだ。猫のおやつや遊び道具をお土産にして、嬉々としてやって来る。

こんなブス猫が、何でこんなに人気があるのだろう。娘のお友だちは、変わった子ばかりなのだろうか。まあ、娘が変わっているから、お友だちが変わっているのは当然か(『おまえに言われたくないわ』と娘のツッコミ)。

お友だち全員が、口をそろえて言う。

「だって、癒されるんだもの!」

しかし、大抵の猫は癒してくれるものではないのか。よりによって、こんなブス猫を選ばなくても。

私がそう言うと、みんなから「顔は関係ないんだよね。この子は偉大だよ。偉大な猫だよ。飼い主なのにわからないの。セキトリは、ブスカワイイんだよ」と抗議された。

 

お友だちが言う。

「だって、セキトリは全然怒んないでしょ。シャーなんて絶対に言わない。爪もたてない。大声で鳴かない。機嫌が悪いところを見たことがない」

確かに穏やかな猫だ。そして、人懐っこい。初対面の子の膝に当たり前のような顔をして乗るのである。

「でも、最初見たときは驚いたわ。子牛かと思うくらい大きいんだもの」

そう、セキトリは、でかい。普通の成猫が、頭のてっぺんから尻尾の付け根まで40から50センチあったとしよう。セキトリは61センチあるのだ。尻尾を入れたら、87センチある。体重は6.7キロ。ノッシノッシと悠々と歩く様は、まるで進撃の巨猫だ。

このでかい体のお陰で、ノラ猫時代のセキトリには敵がいなかったのではないだろうか、と私は考えている。まわりの野良くんたちは、その巨体を見て、喧嘩をふっかけるのを諦めたのだと思う。

それは、まるで吉本の池乃めだか師匠が、千原せいじ氏に挑むようなものだ。勝ち目がない。

敵がいないから、セキトリは穏やかでいられる。大声で鳴いたり威嚇をする必要がない。それが態度に染みついているのだ。

 

8人のうち、一人だけ猫が苦手な子がいた。コトちゃんだ。コトちゃんは、動物全般が苦手で、その中でも猫は見るのも嫌という子だった。「あんな獣に癒されるなんて、みんなおかしいよ。どこから見ても可愛くない!」

我が家では、娘のお友だちが集まって、よく餃子パーティーをするのだが、コトちゃんが来たときだけ、セキトリは、娘の部屋に隔離されることになっていた。

しかし、3週間前の餃子パーティーのとき、突然のことだが、ドアのレバーに掴まって、ドアを開ける技をセキトリが覚えてしまったのである。慌てて、また閉じ込めたが、一度覚えた技は、忘れるわけもなく簡単に開けて出て来るのだ。

青ざめるコトちゃん。そして、「ごめん、私帰る」と言って、コトちゃんは帰ってしまった。

だが、そのときコトちゃんはバッグを忘れたのだ。コトちゃんが、戻ってきた。しかし、よりによって、バッグの一番近くに座っていたのが、セキトリだった。

コトちゃんの顔が引きつっていた。バッグに近づくことができない。「誰か、バッグをとって!」

 

そのとき、コトちゃんの顔を見つめながら、セキトリが正しい日本語で「アワ」と鳴いた。え? と固まるコトちゃん。次に、セキトリは、これもとても正確な日本語で「オワン」と鳴いた。さらに、「オワン」の2連発。

それを聞いたコトちゃんの顔が、ほころんだ。「え? 猫がそんな風に鳴く?」

いいチャンスだと思った娘が、コトちゃんに言った。

「だから、猫だと思わなければいいんだよ。ただ毛が生えている生き物だよ。そして、この生き物は、コトちゃんが怖がることは、ゼッタイにしない」

そのときはもう、コトちゃんの顔は、全くこわばっていなかった。そればかりか、セキトリが体を擦り寄せてくるとセキトリを抱えて自分の膝に乗せたのだ。「重いね。大きいね。ブサイクだね」。最後の「ブサイク」は余計だと思うが。

セキトリは、背中を撫でられて、ウットリとしていた。ただ、誰の膝の上でもそうだが、体がでかいから必ず体の三分の一は、外にはみ出す。しかし、猫はバランス感覚がいい。眠ったとしても決して落ちない。一度、落ちて慌てている姿を見てみたいものだが。

 

それからのコトちゃんは、この3週間で頻繁にやって来るようになった。コトちゃんの家は、国立駅の隣の立川だから、距離的に近い。さらに、ご自宅で、お母さんとピアノの教師をしているので、自由な時間が多い。

週に3回は来ているかもしれない。今では猫が苦手だったとは思えないほどだ。

これで、苦手を克服したね、と私が言うと、コトちゃんは首を傾げながら、「まだダメだと思う。セキトリ以外は触れないかな。セキトリとは信頼関係ができたから、もうなんの抵抗もないけど、他の子と信頼関係を作る勇気はないな」と言った。

コトちゃんは、音楽大学時代の4年間で、20人以上の男から言い寄られ、2人の社会人からプロポーズをされたこともあると言う。

そのモテモテのコトちゃんに、惚れてもらえるなんて、セキトリ、おまえ、完全にモテ期だな。ブス猫の時代が来たな。

 

そんなことを考えていたら、いま想像を絶するモテ期に入った芸人さんを思い出した。

出川哲朗師匠だ。

今ほとんど国民のアイドルと言っていいほどモテまくっていた。

出川師匠の凄いところは、決して虚勢を張らないこと。何をしてもどんな状況でも手を抜かないこと。そのピュアな姿勢が、やっと世間に浸透してきて、出川師匠は1つの時代を作ろうとしていた。

我がセキトリも決して虚勢を張らない。ブスで巨猫だから、虚勢を張っても様にならない。セキトリは、ただただ穏やかな日々を生きていた。

その姿が、娘のお友だちに受けて、セキトリはいま人生初のモテ期を満喫していた。

 

たとえば、出川師匠が、猫カフェの猫だったとしよう。

出川猫は、すぐにお客さんの膝に乗ってくるだろう。

しかし、その後がうるさい。「ギャーギャー、ヤバイよヤバイよ、リアルガチ!」と鳴きわめくに違いない。

最初のうちは、ブスでも人懐っこいからいいか、と思っていたお客さんも、うるさ過ぎて持て余すのではないだろうか。

 

その点、うちのブス猫はおとなしい。確実にお客さんを癒すに違いない。

 

 

ということで、尊敬する出川師匠には申し訳ありませんが、この勝負、セキトリの勝ちといたします。