リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

ジジイとせんせー

2019-06-02 05:05:00 | オヤジの日記

私が親しみを込めて「ジジイ」と呼んでいる人がいる。

 

きっかけは、近所の噂だった。埼玉から東京武蔵野に移ってきたとき、私に関して「あの人無職よねえ」というヒマな疑問が、ご近所で浮かび上がったのだ。

たまにスーツを着て出かけるが、通勤帰宅の時間が一定していない。平日の昼間からランニングをしている。日曜日は、自転車の荷台に食材をどっさりと積んでいる姿を見かける。スーツ以外のときは、無精ひげを生やしている。

怪しい。

余計なお世話なんですけど。

 

私は、他人の生態に全く関心がないので、ご近所に、どんなに胡散臭いと言われても気にならない。

近所の自治会の副会長さんとオンボロアパートのオーナーが、私を知ってくれればいいと思っていた。

だが、ヨメは違った。

「世間体が悪いから、お願いだから、しばらく朝8時半くらいに家を出て、夕方に帰ってきてくれる?」

それからは、しばらく規則正しい生活をした。マクドナルドでコーヒーを飲みながら仕事をし、サイゼリア、スターバックス、イトーヨーカ堂地下のフードコート、図書館などでも仕事をした。

そのことがあったせいか、私は、外でパソコンカチャカチャがトラウマになった。

そんなとき、私は、ある日森の中  クマさんに出会ったあとで気づいたのだ。

カフェを転々とする方が、よっぽど不審者ではないか。普通に怪しい人だ。

そのあと、花咲く森の道でクマさんに出会ったとき、「お嬢さん、お逃げなさい」ではなく「チラシを配布してみたらどうでしょうか」というヒントをもらった。

 

私はすぐにB5判サイズのチラシを400部プリントして、近隣一帯にポスティングした。

仕事をしているとアピールするためだ。

デザイン引き受け候  ホームページ作り候  パソコン教え候  という雑なチラシだった。

それに反応したのが、当時71歳のジジイだった。

「パソコン完全初心者のジジイだけど教えてくれるかい」

ジジイの家は、オンボロアパートから150メートルくらいの距離にあった。一軒家だ。50過ぎに熟年離婚をしたジジイは、独り暮らしだった。子どもは3人いたが、皆独立していた。

中肉中背。頭には毛がほとんどない。いつもジャージだ。さらに、剣道2段。ご近所に入ったコソ泥を、竹刀を持って追いかけてボコボコにしたという武勇伝があった。

「金は余ってないけど、時間は余っている。1年間くらい、みっちり教えてくださいな。せんせー」

1週間に1回、3時間教えることになった。教えてみると、見事な初心者だった。両指が、思うように動かず、人差し指タイピングが基本になった。マウスの右クリック「アンドゥ」など基本操作を覚えるのに、半年以上かかった。ただ、後半からは、急にスピードアップして、一年未満で、ブログと画像加工ができるようになった。

「思った以上に楽しいな、せんせー」

ジジイの努力の賜物ですよ。

わたしは、ジジイのことを、初めはサワキさんと呼んでいたが、ジジイが会話の中で「ジジイ」を連発するので、いつのまにか、ジジイになった。そのことに関して、ジジイに怒られたことはなかった。

 

パソコン講習が終わったのちも、たまにジジイの家に行って、安否確認をした。孤独死されては、困るからだ。

ジジイの家に1時間程度いて、ジジイが挽いて淹れてくれたコーヒーを飲んだ。ジジイのコーヒーは美味かった。ほとんどが濃厚なエスプレッソだったが、何杯でも飲める豊かなコクがあった。

おそらくジジイの心が豊かだから、ジジイは、そんな豊かなコーヒーを淹れられるのだと思う。

ジジイは、福井県の高校を卒業して、東京で専門学校に通い、東京の大手航空会社に勤めた。55で辞めた後は、清掃事務所に5年勤めた。そのあと介護会社に10年。

働き者のジジイは、ほとんど無遅刻無欠勤で70まで働いて、日本社会に貢献した。

 

天晴れなジジイだ(偉そうに言ってゴメンナサイ)。

 

ジジイとの付き合いが9年を超えた今年の5月、ジジイから電話があった。

私たちが、武蔵野から国立に越してからは、距離が遠くなったので、頻繁に会うことはなくなった。年に2回程度、私が訪問するだけだ。あとは、1ヶ月に1、2回の電話。

ジジイはこの2年間、私に遠慮して、電話をかけてくることがなかった。しかし、先週の火曜日に電話があった。

「せんせーともお別れだな」

お別れ?  あっちの世界からお迎えが来たの?

「まあ、近いものがあるな」

ジジイが説明するには、ジジイの別れた奥さんは、高齢になって長男に引き取られた。その元奥さんが、昨年の7月に亡くなった。

長男は、あまり真剣に母親の面倒を見られなかったことを後悔していたらしい。

そこで「一緒に相模原で暮らそうよ」というラブコールを今年80になるジジイに送った。

ジジイは、もともとない毛を引きちぎるほど悩んだ。悩んだ結果、その誘いを断った。

だが、神奈川県相模原市に移ることは、決心した。

どういうこととと?

「俺が相模原の老人ホームに移るってことよ。幸い武蔵野の家が売れて資金ができた。それに、俺、年金けっこうもらっているんだよね。子どもたちに、迷惑はかけない」

「せんせー、引っ越す前に、俺と会ってくれないかな。一緒にご飯を食べたいな」

 

そのジジイの要望を汲み取って、私はジジイを我が家に招待することを提案した。我が家族全員でだ。

一応、ご近所のよしみで、ジジイと家族は面識があった。

娘は、ジジイのことを尊敬を込めて「ジジイさん」と呼んだ。

「嬉しいな、せんせー。お言葉に、甘えさせてもらうよ。最後の晩餐ってやつだな、いや昼だから午餐か。なんかドラマチックだね」

何が食べたいですか、と聞くと、「まるで子どもみたいで恥ずかしいんだけど、ハンバーグが食べたいね。俺、ハンバーグが大好きなんだ」ジジイがへへへと笑った。

 

今日の昼、ジジイが我が家にやってくる。

とびきりのハンバーグを作って、おもてなしだ。

そして、ジジイは明日の朝、神奈川県相模原市に旅立つ。

 

もう会えないかもしれない。

 

 

だから、最後は、達者でなジジイ!  と家族全員で、笑って送り出そうと思う。