パーで叩くか、グーで殴るか。
今週の火曜日、東京神田のイベント会社に打ち合わせに行ってきた。
担当者は、中村獅童氏似のチョイ強面だ。
いつもながら、仕事の話の前に雑談を。
「久しぶりに、うちに新卒が入ってきた話しましたよね」
知っている。英語と中国語が話せる即戦力だ。声が小さいことだけが唯一の欠点で、仕事の飲み込みが早く、フットワークも軽い掘り出し物だという。
「でも、アクシデントがありましてね」と獅童氏似が、右手で頭をかきむしった。そして、ため息。
獅童氏似の会社は研修期間が、1ヶ月と短い。研修が終わったら、すぐに実践だ。新人さんは、獅童氏似の班に組み込まれた。
しかし、ここでアクシデントが起こったという。新人歓迎会だ。
先週の金曜日、新人のオバタさんのために、歓迎会が開かれた。場所は、会社の会議室。獅童氏似が勤める会社では、歓迎会に限らず、新年会、忘年会は会議室でとり行われる。
幹事が、酒や食い物を揃えて、会議室で1時間だけ開かれる。
獅童氏似の部署は、班ごとに分かれていた。班は全部で5つ。それぞれの班は、リーダーの名前を付けて呼ばれる。例えば、獅童氏似の班は「中村班」というように。
他に、「フビライ班」「舞妓班」「天津班」「ひょっこり班」があった(嘘だろ)。
「ひょっこり班」は、遊軍だ。他の班で手が足りない場合、ひょっこりと現れて、助ける役目だ。新人は最初は、「ひょっこり班」に配属され、適性を見たのち、どこかの班に配属される。オバタさんは、獅童氏似の班がいいと判断されたようだ。
歓迎会。
乾杯のあと、日本社会の悪しきしきたりとして、「新人が先輩にお酌をする」という時代錯誤の光景が繰り広げられた。
獅童氏似は、私と同じで、そういうのが嫌いだ。
「行かなくていいから」と止めたが、新人のオバタさんは「形だけでも」と言って、フビライ班、舞妓班、天津班、ひょっこり班のテーブルを回った。
そして、お決まりの「お前も飲めよ」だ。
オバタさんは、酒は強くもなく弱くもなくという程度だったらしい。普段、酩酊するほどは飲まないという。
5つのテーブルを回って、グラス9杯のビールを飲まされた。30分足らずで9杯である。子どものころから「中目黒の底なし」と言われた私には、ちっとも応えない量だが、多くの人にとっては、確実に脳から足にまでアルコールが回る量だと思う。
危険だと判断した獅童氏似は、ちょうど、ひょっこり班のリーダーが、10杯目を注ごうとしたとき、グラスを取り上げた。
しかし、ひょっこり班のリーダーは、しつこかった。新しいグラスにビールを注いで、オバタさんの目の前に差し出したのだ。
「こういうときは、最初に世話になった俺のところに、真っ先に来るもんだろ。それが、社会人としての礼儀だ」
日本全国どこにでもいるバカ。
酒が楽しく飲めないバカ。
酒をマウンティングに利用するバカ。
覚悟を決めて、オバタさんは、グラスビールを一気に飲んだ。
そのとき、オバタさんの体が揺れた。獅童氏似が、支えようとしたが、オバタさんが崩れる方が早かった。
救急車。
急性アルコール中毒。
オバタさんは、病院で意識を取り戻した。しかし、倒れたときに左肘を強く打った。粉砕骨折だった。オバタさんは、今も入院していた。
次の日の土曜日、出社日だったので、全員が出社した。
ひょっこり班のリーダーも来た。
リーダーの姿を認めた獅童氏似は、早速応接室にリーダーを引きずり込んだ。
そして、平手で頬を叩いた。ひょっこりは、抵抗しなかった。むしろ、「ゴメン」と謝った。
だが、獅童氏似の怒りは、収まらない。
ひょっこりの方が、1つ年上だったが、獅童氏似は、「ひょっこり」と呼び捨てにした。
「あんた、どのツラ下げて、今日会社に来たんだ。2回目だぞ、何人うちの社員を潰せば気がすむんだ。帰れ、とっとと帰れ!」
応接室は、曇りガラスで囲まれただけの簡単なものだった。その怒鳴り声は、当然のことながら、事務所全体に響き渡った。
そのとき、部長が出社してきた。歓迎会には、上司は参加しないしきたりがあったので、部長は現場にいなかった。だが、獅童氏似に報告を受けていた。
応接室に顔を出した部長が言った。「ひょっこり、今日から3日間自宅謹慎だ。だから、帰ってくれ」
そして、部長は社員全員を集めた。
部長が言う。「ひょっこりには、厳罰を加えたが、悪いのは、ひょっこりだけではない。オバタに酒を飲ませた人は、正直に名乗り出て欲しい」
正直に9人が名乗りをあげた。9人にはペナルティが課された。ひょっこりを含む10人で、オバタさんの入院費、治療費を折半で支払うように言われた。
そして、今後、歓迎会、忘年会、新年会は、永久に中止することが告げられた。
「酒は怖いっすねえ」獅童氏似が、大きなため息をついた。
違いますよ。酒は怖くない。人が怖いんです。バカが怖いんです。
重苦しい雰囲気の中で、打ち合わせをした。
私は、そういう空気が苦手なので、獅童氏似に「ホットコーヒーが飲みたいですねえ」とおねだりをした。
5分11秒後に、私の前にホットコーヒーが置かれた。獅童氏似は、コーラっぽいものを手に持っていた。
たとえば、他人に、俺の入れたコーヒーが飲めないのか、って強制する人っているんですかね(カフェイン苦手なんです)。俺の作った味噌汁が飲めねえのか(塩分控えているんで)。俺が買ってきたタピオカドリンクが飲めねえか(カエルの卵みたいで気持ち悪くて)。今搾ったばかりの牛乳が、なんで飲めねえんだ(低脂肪乳でなくちゃイヤだ)。
俺の酒が飲めないのか!
不思議ですよねえ。酒のときだけ、日本全国どこにでもいるバカは、本当のバカになる。
酒の強要を受けて、今まで何人の人が命を落としただろう。逃げろ、というのは簡単だが、日本全国どこにでもいるバカは、バカだから、自分が悪いことをしていることに気づいていない。
つまり、自覚がない。それが、パワハラ、虐待だということに気づかない。自覚のないバカほど危険な生き物はいない。
こんなことを言ってはいけないだろうが、獅童氏似の会社にも、そんな日本全国どこにでもいるバカが最低10人いたということになる。
私は、そんな酒強要場面を自分が体験したら、相手の襟首掴んで引きずり回すという暴挙に出て、周りの空気を白けさせるのが趣味である。
テメエの汚ねえ酒なんか飲めるか! 控えおろう!
私がそう言うと、獅童氏似が頭を下げた。「俺の判断が甘かったんです。俺が嫌いなことを部下がやっているのだから、俺が責任を持ってやめさせるべきでした」
コーラを持つ手が震えていた。
私は、人を慰めるのが苦手なので、ピントのずれたことを言って、フォローした。
獅童氏似さんが、ひょっこりを叩いたのは、俺はいいと思いますよ。窮屈な考えの人は、暴力はいかん、と非難するかもしれませんけど、俺は応援しますよ。
ただ、獅童氏似さんは優しすぎる。俺だったら、グーで殴っています。しかも、腰の入った右フックを。
「Mさんだったら、本当にやりそうで怖いなあ。いま一瞬鳥肌がたちましたよ、ほら」
人の鳥肌を見るのは趣味ではないのだが、目の前にあったので、見てあげた。気持ち悪かった。
まあ、グーで殴るは、冗談ですけど・・・・・ハハハ。
(実は、今までに1発ありました。私は、人の酒の楽しみを奪うバカが、機雷帰来嫌いなんですよ)