先週の日曜日が、父の日だということをすっかり忘れていた。
晩メシのときに、子どもたちから袋を渡された。これは賄賂か? 私に賄賂を贈っても何の得もないぞよ、と言った。
「おまえに全世界的に権限がないことは、生まれたときから気づいているわい。それは奉仕品だ。ありがたく受け取れ」
ははー(土下座)。
私は、子どもたちが幼いころ、この家に父親はいない。目の前にいるのは宇宙人だ。だから、父の日はない、と説得力のある言葉で、父の日を否定した。プレゼントする金があるのなら、他のことに使いたまえ。
しかし、なぜかわからないが、毎年父の日になると、ハンカチやらベルトやら財布などが増えていくのだ。
そのたびに私は、スパシーパ、グラシアス、多謝、ダンケ・シェーン、メルシーなどと言って受け取るのだが、最近は、土下座が一番楽だということに気づいて、土下座で通している。
中身を開けてみた。
あーら、不思議。2つの袋から出てきたのは、ジーンズだった。それもワークマンプラスの機能性重視のジーンズだ。2つは同じものだが、色が違った。息子が買ってくれたのはブルーという名の青、娘のは茶色という名のブラウン。
示し合わせたのか、と聞いたら、グーゼンだという。ただね、君たち、値札くらい取ろうよ。バレバレざんす。
さらに、一番細いウエストサイズのを買ってくれたのはいい。でもね、Sサイズが75センチって何? いつから日本人は、ウエストまわりに、そんなに肉を溜め込むようになったのだい。
ブッカブカで、腰パンになっちまうじゃありませんか。駅の階段を登ったら、確実に脱げてパンツ丸見えになるわいわいわい。捕まるぞぞZOZOTOWN(剛力彩芽さん、私は何があっても、あなたを応援します。先進国では恋愛は自由ですから)。
「ベルトをすれば、済むことじゃ」娘に言われた。
はい、確かに。 ありがたく頂戴いたします。動きやすいな、これ。
この先は、突然、懺悔文になります。
誰に懺悔かというと、我が家のブス猫・セキトリに対してだ。
セキトリとは、東日本大震災の4ヶ月前くらいに出会った。オンボロアパートの庭に置いた段ボール箱を解体しようとしたら、でっかい猫が入っていた。それもテラ級のブスだ。
はじめまして、と言ったら、ニャーと喋った。試しに、抱っこしようとしたら、抵抗せずに抱かせてくれた。
カニカマと笹かまを湯がいたものを皿に盛ったら、完食した。それ以来、朝メシ、晩メシの苦労が、セキトリの生活からなくなった。
大震災2ヶ月前に、セキトリを動物病院に連れて行った。顔でオーディションを落とされるかと思ったが、医師は、普通に見てくれた。
血液検査と去勢手術。エイズも白血病もセーフだった。「一歳くらいですかね」。
セキトリにとっては、不本意だったろうが、ノラちゃんが社会で生きていくには、ルールを守らなければいけない。
自由というのは、ルールの延長線上にあるのだよ、セキトリ。ごめんな。
恐ろしい大地震を経験したあとも、セキトリはダンボールハウスで暮らした。
ダンボールハウスは、夏と冬を繰り返すたびに、リニューアルした。冬は内部を二重構造にして空気の層を作った。さらに、毛布と細長い枕を置いた。冷気が入らないように、外側にプチプチも貼った。雨の日は防水シート。私は、ダンボールハウスで暮らした経験はないのだが、おそらく外よりは暖かいと思う。
夏は直射日光が直接当たらないように、三角の庇をつけた。そして、ジェル状の敷物を置いて地面からの熱を遮断した。私は、ダンボールハウスで暮らした経験はないのだが、おそらく外よりは涼しいと思う。
その当時、セキトリを家猫にするつもりはなかった。
朝メシを食ったあとで、広い場所で遊びまくって、夜になったら、晩メシを食いに帰る。そして、真夜中にまた冒険の旅に出る。
それは、ノラちゃんの醍醐味だ。それを奪う権利は誰にもない。
オンボロアパートは、武蔵野の高台にあった。空気が澄んだ日は、富士山が見えた。
セキトリと2人並んで、富士山を見ることが、たまにあった。
富士山はキレイだな。日本に生まれてよかったな。また見られるといいな。そんなことをセキトリと語り合った。
しかし、ここで、環境が一気に変わる。オンボロアパートが壊されることになったのだ。
国立市への引越しが決まった。
セキトリをどうしようか。ノラのまま置いていくか。家猫になってもらおうか。
ある日、世田谷区下馬の叔母の家に行った帰りだった。夜、オンボロアパートに、伯母の婿さんが運転する個人タクシーで帰った。降りたとき、私のジーンズの裾に、生暖かいものを感じた。セキトリだった。私の帰りを待っていてくれたのだ。
それを見たとき、セキトリに家猫になってもらおうと思った。
ただ、私の一存だけでは、地球は回らない。
地球を回す役割の1人である、当時韓国に留学中の娘にSkypeのビデオ電話で、お伺いを立てた。
娘は「いいぞい」と言ってくれた。
ヨメと息子は、「あんなブス猫、嫌だ」「飼うのなら、可愛いのがいい」と抵抗した。
ここで私は、試しに1週間だけ家に入れてもらえないか外科小児科耳鼻咽喉科と土下座した。2人は渋々承諾してくれた。
そのとき、セキトリは「媚び売り大作戦」を展開した。媚び媚び媚び媚びの4乗を展開した結果、「ブスだけど、いいよ」というお許しが出た。
セキトリは、すぐに環境に慣れた。ひっきりなしに訪れる娘のお友だちにも媚びを売って、セキトリはKNT(クニタチ)01のセンターを務めた。
ただ、セキトリも、推定ではあるが、今年10歳になろうという年齢である。
オッサン?
体のキレはいい。ベランダでは、天敵カラス相手に「かかってこいやー」と挑発する元気は、まだあった。
5月初めのことだった。セキトリの体重が落ちた。
6・8キロが、6・6に落ちたのだ。セキトリは、夏に体重が落ちる傾向があった。暑い時期が続いたから、季節を先取りしたのかなと、そのときの私は楽観的だった。
しかし、よく観察すると、食欲はそれほど落ちていないが、水を飲む機会が増えた。
私はセキトリの水分量も管理していた。1日250cc。食事で摂る量と合わせると300前後。セキトリの体重からしたら、それは適正だったと思う。
だが、5月終わりごろには、1日に100cc近く増えていたのである。
まさか腎臓病? 猫が一番かかりやすいのが腎臓病だと聞く。
私は蒼ざめた。考えている余裕なんかなかった。すぐに動物病院に連れて行った。
9年ぶりの血液検査。
1週間後、「腎臓に来ていますね。ステージ2くらいでしょうか。これからは、塩分やリンを控える食事を与えてください。そして、薬も」と若い医師に言われた。
私は、家族の健康状態には、絶えずアンテナを高感度で張って、未然に防いでいた。
しかし、今回のセキトリに関しては油断していた。体重が少々落ちていたとしても、セキトリの動きを見たら、3年前、5年前、8年前のセキトリと変わらなかったからだ。
医師は、「今の状態を維持すれば、5年生きることもできます」と言った。
ふざけてもらっては困る。
10年だ。セキトリには、最低あと10年生きてもらいたい。
セキトリには、申し訳ないことをした。
すべては、ポンコツの私の責任だ。
セキトリには、「ノラのままの方が良かった」と思ってもらいたくない。
先週から、「セキトリ10年長生き計画」が、始まった。
薬、食事療法、日光浴など、仕事よりも真剣にやっているかもしれない。
10年経つ前に、私の方がくたばっちまいそうだが、それはそれでいい。
私は、セキトリが死ぬ姿は見たくない。
それは、嫌だ。
顔は刺激が強いので、隠しました。でも、かけがえのない息子です。