長年の友人の尾崎が、腎臓結石の手術を受けるという。
確か7年前にも手術をしたから、石を貯めやすい体質なのかもしれない。
病室で、そんなもの貯めて何が面白いんだ、と言ったら、尾崎は「俺は意志(石)が強いんだ」と珍しくダジャレを言った。
でも、怖いんだろ? 7年前も俺に怖い怖いって泣きついたじゃないか。
「ああ、怖いさ。だが、そんなことは『おまえ』にしか言えねえ。家族の前では、俺は強い父さんでいなきゃいけないからな」
守るものができた尾崎。
無敵だった尾崎が死を恐れるようになったのは、守るものがいるからだ。
最初の結婚のとき、尾崎はおそらく自分のことしか考えていなかった。喧嘩は日常茶飯事だった。
そして、オーディオが趣味だった尾崎は、たとえばジャズピアノを聴いているとき、奥さんが料理の支度をし始めると「うるせえ! 細かい音が聴こえねえじゃねえか!」と怒鳴ったという。
娘とは、1度も外で遊ばなかったようだ。要するに、生みっぱなし。愛情はあったが、尾崎はそれを表現することを知らなかった。
その結婚は長く続かなかった。
高校を1学期で退学して、アンダーグラウンドの世界で生きてきた尾崎と私が出会ったのは、ちょうど尾崎が表の世界に浮き上がった頃だった。
尾崎24歳、私が26歳だった。
新潟長岡駅で、死神のような顔をした尾崎に声をかけられたのだ。どこから見てもヤクザとしか思えない男が、目の前にいた。カツアゲしようってのか? 身構えた。
しかし、その男は穏やかな声で、「東京まで帰る金が足りない。悪いが、これを買ってくれないか」とペリカンの万年筆を差し出した。そして、目を瞬かせながら、「両親の形見なんだ」と言った。
その覚悟のこもった目を見て、拒める人はおそらくいない。俺も貧乏旅だが、3千円なら出せる、と言った。
尾崎は「俺が思っていた額と同じだ」と笑った(おそらく笑ったと思う。口を歪めただけかもしれないが)。
それが尾崎との出会いだった。
そのとき、名刺を貰った。中野で薬屋と化粧品屋、文具店を営んでいるという。外見からは想像できない職業だ。訝っている私に、尾崎が言った。
「俺は、店を継いだだけだ。叔母の店だったんだ」
アンダーグラウンドの世界にいた尾崎を叔母が懸命に探したらしい。叔母は末期ガンだった。尾崎を病床に呼びつけた叔母は、「『おまえ』があたしを継ぐんだよ。おまえしかいないんだから!」と鬼気迫る顔で尾崎の胸ぐらを掴んだ。
それから、叔母が死ぬまで尾崎は病床で経営学の手ほどきを受けた。
私と出会ったとき、尾崎は店を受け継いだばかりだから、まだアンダーグラウンドのにおいが残っていた。つまり、怖いお兄さんだった。
しかし、気になる男ではあった。
あのとき、なんで俺に声をかけたんだ、と聞いたら、「スキだらけに見えたからだ」と尾崎は答えた。
「俺の人生で、あれほどスキだらけの男を見たのは初めてだ」
要するにバカってことかな? アホホホホ。
2回目は、南青山のバーだった。
私の方から誘った。おごってくれないか。尾崎は、「いいぜ」と答えた。
尾崎は先に来て、アーリータイムスのストレートを飲んでいた。私も同じものを頼んだ。
乾杯はしない。昔も今も尾崎とは乾杯はしない。祝うものがないからだ。
尾崎に両親の形見だという万年筆を返した。尾崎は黙って受け取った。
そのとき、尾崎が突然聞いてきた。
「そういえば『おまえ』は何をしているんだ?」
そのときから、尾崎は私のことを「おまえ」と呼んだ。私の方が2つ年を食っているが、そのとき私は、「おまえ」という呼び方は、尾崎なりの親しさの表現だと理解した。
だから、私も尾崎を「おまえ」と呼んだ。そう呼び合って35年が経つ。
尾崎が「おまえ」と呼ぶのは、おそらく私だけだ。
妻の恵実やガキ3人のことは名前で呼ぶ。他の人の場合は、「さん」をつけることが多い。
与田ん(余談?)だが、極道顔ナンバーワンのコピーライター・ススキダも2つ下だが、私のことを「おまえ」と呼ぶ。大学陸上部の2つ下の芋洗坂係長にしか見えないカネコも、私を「おまえ」と呼ぶ。
2歳下は、「おまえ」が流行っているのかもしれない。
石を取ってもらったら、また飲もうぜ。尾崎に言った。
「ああ、楽しみにしている」
病室を出たら、尾崎の妻の恵実が待っていた。中野から国立まで車で送ってくれるという。
ありがたや。
車内で、恵実が、いきなり頭を下げた。「いきなり」はステーキだけでいいのに。
「Mさんは、尾崎の精神安定剤なんですよね。Mさんと話したあとの尾崎は、とても穏やかになります」
私が精神安定剤? ということは、いつも酒をおごってくれるのは、あれは処方箋代ということか。高い処方箋代だな。
「いいえ、安すぎるくらいですよ。尾崎は毎日おごってもいいって言ってますから」
毎日「死神顔」を見るのは嫌だな。こっちの方が精神安定剤が必要になる。
「尾崎はMさんの精神安定剤にはなりませんか」
精神安定剤にはならないけど、尾崎と同じ時代を生きること、それは悪くない。
「それ、尾崎に伝えてもいいですか。喜ぶと思います」
ようござんす。
国立で車を降りるとき、恵実に「私も一度でいいから、尾崎に『おまえ』って言ってもらいたいですね」と言われた。
じゃあ、まず、そちらから「おまえさん」と呼んでみたらどうだろうか。
「おまえさん、ですか? 言えないですよ、照れ臭くて」恵実がカラカラと笑った。
「恵実」、「龍一」、お互いを名前で呼び合う。結構いい夫婦だよ、おまえさんたち。
家に帰ったら、娘が待っていた。今日は仕事が早く終わったので、いつもより2時間早く帰ってきたという。
「今日の晩メシは何だ。手伝ってやってもいいぞい」
麻婆茄子と春巻きじゃ。
「よし、ボクは麻婆茄子を作ろう。『おまえ』は春巻きを作れ」
ここにも、私を「おまえ」と呼ぶやつがいた。