リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

おまえ

2019-07-07 05:19:00 | オヤジの日記

長年の友人の尾崎が、腎臓結石の手術を受けるという。

確か7年前にも手術をしたから、石を貯めやすい体質なのかもしれない。

 

病室で、そんなもの貯めて何が面白いんだ、と言ったら、尾崎は「俺は意志(石)が強いんだ」と珍しくダジャレを言った。

でも、怖いんだろ? 7年前も俺に怖い怖いって泣きついたじゃないか。

「ああ、怖いさ。だが、そんなことは『おまえ』にしか言えねえ。家族の前では、俺は強い父さんでいなきゃいけないからな」

守るものができた尾崎。

無敵だった尾崎が死を恐れるようになったのは、守るものがいるからだ。

 

最初の結婚のとき、尾崎はおそらく自分のことしか考えていなかった。喧嘩は日常茶飯事だった。

そして、オーディオが趣味だった尾崎は、たとえばジャズピアノを聴いているとき、奥さんが料理の支度をし始めると「うるせえ! 細かい音が聴こえねえじゃねえか!」と怒鳴ったという。

娘とは、1度も外で遊ばなかったようだ。要するに、生みっぱなし。愛情はあったが、尾崎はそれを表現することを知らなかった。

その結婚は長く続かなかった。

 

高校を1学期で退学して、アンダーグラウンドの世界で生きてきた尾崎と私が出会ったのは、ちょうど尾崎が表の世界に浮き上がった頃だった。

尾崎24歳、私が26歳だった。

新潟長岡駅で、死神のような顔をした尾崎に声をかけられたのだ。どこから見てもヤクザとしか思えない男が、目の前にいた。カツアゲしようってのか? 身構えた。

しかし、その男は穏やかな声で、「東京まで帰る金が足りない。悪いが、これを買ってくれないか」とペリカンの万年筆を差し出した。そして、目を瞬かせながら、「両親の形見なんだ」と言った。

その覚悟のこもった目を見て、拒める人はおそらくいない。俺も貧乏旅だが、3千円なら出せる、と言った。

尾崎は「俺が思っていた額と同じだ」と笑った(おそらく笑ったと思う。口を歪めただけかもしれないが)。

 

それが尾崎との出会いだった。

そのとき、名刺を貰った。中野で薬屋と化粧品屋、文具店を営んでいるという。外見からは想像できない職業だ。訝っている私に、尾崎が言った。

「俺は、店を継いだだけだ。叔母の店だったんだ」

アンダーグラウンドの世界にいた尾崎を叔母が懸命に探したらしい。叔母は末期ガンだった。尾崎を病床に呼びつけた叔母は、「『おまえ』があたしを継ぐんだよ。おまえしかいないんだから!」と鬼気迫る顔で尾崎の胸ぐらを掴んだ。

それから、叔母が死ぬまで尾崎は病床で経営学の手ほどきを受けた。

私と出会ったとき、尾崎は店を受け継いだばかりだから、まだアンダーグラウンドのにおいが残っていた。つまり、怖いお兄さんだった。

しかし、気になる男ではあった。

あのとき、なんで俺に声をかけたんだ、と聞いたら、「スキだらけに見えたからだ」と尾崎は答えた。

「俺の人生で、あれほどスキだらけの男を見たのは初めてだ」

要するにバカってことかな?  アホホホホ。

 

2回目は、南青山のバーだった。

私の方から誘った。おごってくれないか。尾崎は、「いいぜ」と答えた。

尾崎は先に来て、アーリータイムスのストレートを飲んでいた。私も同じものを頼んだ。

乾杯はしない。昔も今も尾崎とは乾杯はしない。祝うものがないからだ。

尾崎に両親の形見だという万年筆を返した。尾崎は黙って受け取った。

そのとき、尾崎が突然聞いてきた。

 

「そういえば『おまえ』は何をしているんだ?」

 

そのときから、尾崎は私のことを「おまえ」と呼んだ。私の方が2つ年を食っているが、そのとき私は、「おまえ」という呼び方は、尾崎なりの親しさの表現だと理解した。

だから、私も尾崎を「おまえ」と呼んだ。そう呼び合って35年が経つ。

尾崎が「おまえ」と呼ぶのは、おそらく私だけだ。

妻の恵実やガキ3人のことは名前で呼ぶ。他の人の場合は、「さん」をつけることが多い。

 

与田ん(余談?)だが、極道顔ナンバーワンのコピーライター・ススキダも2つ下だが、私のことを「おまえ」と呼ぶ。大学陸上部の2つ下の芋洗坂係長にしか見えないカネコも、私を「おまえ」と呼ぶ。

2歳下は、「おまえ」が流行っているのかもしれない。

 

石を取ってもらったら、また飲もうぜ。尾崎に言った。

「ああ、楽しみにしている」

 

病室を出たら、尾崎の妻の恵実が待っていた。中野から国立まで車で送ってくれるという。

ありがたや。

車内で、恵実が、いきなり頭を下げた。「いきなり」はステーキだけでいいのに。

「Mさんは、尾崎の精神安定剤なんですよね。Mさんと話したあとの尾崎は、とても穏やかになります」

私が精神安定剤? ということは、いつも酒をおごってくれるのは、あれは処方箋代ということか。高い処方箋代だな。

「いいえ、安すぎるくらいですよ。尾崎は毎日おごってもいいって言ってますから」

毎日「死神顔」を見るのは嫌だな。こっちの方が精神安定剤が必要になる。

「尾崎はMさんの精神安定剤にはなりませんか」

 

精神安定剤にはならないけど、尾崎と同じ時代を生きること、それは悪くない。

 

「それ、尾崎に伝えてもいいですか。喜ぶと思います」

ようござんす。

国立で車を降りるとき、恵実に「私も一度でいいから、尾崎に『おまえ』って言ってもらいたいですね」と言われた。

じゃあ、まず、そちらから「おまえさん」と呼んでみたらどうだろうか。

「おまえさん、ですか? 言えないですよ、照れ臭くて」恵実がカラカラと笑った。

 

「恵実」、「龍一」、お互いを名前で呼び合う。結構いい夫婦だよ、おまえさんたち。

 

家に帰ったら、娘が待っていた。今日は仕事が早く終わったので、いつもより2時間早く帰ってきたという。

「今日の晩メシは何だ。手伝ってやってもいいぞい」

麻婆茄子と春巻きじゃ。

「よし、ボクは麻婆茄子を作ろう。『おまえ』は春巻きを作れ」

 

ここにも、私を「おまえ」と呼ぶやつがいた。