先週の日曜日の朝6時ごろ、友人の極道コピーライター・ススキダからLINEが来た。
「いま入院している。風邪をこじらせて肺炎手前になった」
先週の木曜日に高熱が出て、医者に行かずに我慢していたが、土曜日の夜に咳が止まらなくなって、タクシーに乗って救急病院に行ったという。
すぐ検査を受けて、「入院ですね」と言われた。医師から、このままでは肺炎になる。家には帰しませんよ、と強い口調で言われたのだ。
顔が怖いくせに、メンタルが弱いススキダは震えながら「は、は、はい」と答えた。
それで、入院。
タイミングが悪いことに、ススキダの奥さんは、先週の水曜から一週間の予定でシンガポールに行っていた。
ススキダの奥さんは、15歳まで香港で育った。ご両親は中国人だ。つまり、奥さんも中国人。
そして、ススキダの奥さんのご両親は、2年前にシンガポールに移住した。昨今の香港の情勢を予見していたのかもしれない。
ススキダの奥さんは、ご両親がシンガポールに移住してから、一度も会っていなかったので、今回会いに行った。
だから、奥さんはいない。頼ることができない。
ちなみに、奥さんは元ナースだ。奥さんがそばにいたら、風邪をこじらせることはなかったかもしれない。運の悪いこじらせ極道。
さらに、ススキダの奥さんの15歳からの人生は、波瀾万丈で連続テレビ小説が書けるほどだが、ここでは割愛(主演は吉岡里帆さんか)。
ススキダには、一人娘がいた。しかし、カナダ人と結婚してカナダのバンクーバーにいた。頼れない。
他に、ススキダには、横浜近辺にコピーライターの知り合いが2人いた。
しかし、つくづくススキダは、持っていない男だ。その2人は、取材で長崎、広島に行っていた。すぐに帰ることができない。頼る人がいない。
友だちの少ないススキダが頼れるのは、「アイツ」しかいない。つまり、「仏のマツ」と呼ばれる私だ。
「悪いが、パジャマと下着を買って、病院に来てくれないか。まさか入院とは思わなかったので、財布とスマホ以外持ってこなかったんだ」
断る! と言いたかったが、仏はそんなことはしない。
行ってやることに、やぶさかでない、と答えた。
しかし、パジャマと下着かよ、まるで愛人みたいだな。
入院先は、川崎市元住吉だという。病院の名を聞いたら、むかし母がカテーテル手術を受けた病院だった。それなら、土地勘はある。
元住吉の商店街が10時に開くことを考えて、逆算して準備することにした。
中央線で国立から吉祥寺までは20分、井の頭線で吉祥寺から渋谷までは急行で20分弱、東急東横線で渋谷から元住吉は25分前後。乗り換えと歩きの時間を入れて、1時間半と見た。
ススキダは、「タクシーで来い! 金は払う」と言ったが、仏の辞書にタクシーなんてねえんだよ、ベッドで死んでろ。
家族の朝メシを速攻で作った。
食パンで作る肉まん。鶏団子とチンゲンサイ、春雨の中華スープを付けた。肉まんは食う前に30秒チンをする。温かくて美味いですよ。
8時半に家を出た。外は雨。面倒くさいな。タイミングの悪い野郎だ。顔と性格をこじらせた上に風邪までこじらせるなんて、忙しいやつだ。
奇跡的に、どの路線でも吸われた座れた。それぞれ短い時間の睡眠を取った。睡眠は大事だ。スイミングも大事だが。
元住吉の洋品店で、吐き気を覚えながら、男もののパジャマ2着とシャツ、パンツ3枚ずつを買った。ススキダの体のサイズを想像したときは、気持ち悪すぎて、体が硬直して呼吸困難に陥った。
仏は、汚いものが苦手なのだ。
途中、コンビニエンスストアで、ススキダ好物のみたらし団子を買った。
ススキダは笑えることに、みたらし団子命の男なのだ。好きすぎて、横浜で「みたらし団子専門店」を出すほどだ。
2坪くらいの小さな店だ。流行っているかは、興味がないので知らない。
肺炎寸前の男が、みたらし団子を食えるかは疑問だが、お供えとしては最適だろう。
私はクリアアサヒの500缶を2本とワサビ味のポテトチップを買った。
ススキダに飲んでいるところを見せびらかそうと思ったからだ。
病室でビールを飲んではいかぬ、というルールはない(と思う)。
私は、息子と娘が生まれたとき、病室で生まれたばかりの子どもの顔を見ながらビールを飲み弁当を食った前科がある。目から水を流しながら、飲み食った。
看護師さんは、そんな私を見ても白い目にはならなかった。
だから、極道の前で飲んでもノープロブレム。
病室に入ったら、ススキダはもう死んでいた。
とりあえず、生き返るまで荷物を置いて院内をぶらつくことにした。
母が手術をしたのは、もう10年前なので、院内の様子は変わっていた。
だが、病院というのは、基本的に同じ作りになっている。待合室があって、診察室、病室、そこそこ洒落たレストラン、コンビニエンスストア、ナースステーション、患者さんと医師、看護師さんがいて、大抵は各階に憩いの場がある。
その憩いの場で、私は腰を落ち着けた。ただ、腰を落ち着けても私にはすることがない。私には外でスマートフォンやタブレット、ノートパソコンを使う習慣がない。スマートフォンとタブレットは持ってきたが、それで何をするっていうの?
だって、アプリがほとんど入ってないんだもの。人間だもの。Google、乗換ナビ、LINEしか入っていないのに、どう時間をつぶせばいいのか。
柴咲コウ様とガッキー、我が娘、ブス猫の画像は、たくさん入っていたが、病院で画像を見てニヤけるのは犯罪だろう。
この日は、急いでいたので文庫本も持ってこなかった。ヒマですよ。
眠るしか選択肢がない。眠っちまおう。そう思って、目をつぶったとき、けつに入れたアイフォンが震えた。ディスプレイを見たら、ススキダだった。
「本当に来てくれたんだな。ありがとう。いま目が覚めた」
おまえが、人に感謝の言葉を言うのか。腐った団子を食い過ぎたんじゃないか。
あれ? 電話が切れたぞ。図星だったのか。
病室に行くと相変わらず点滴を汚い腕に突き刺されたススキダが、ベッドの背を起こして私の方を見た。
偉そうだな、おまえ、その顔で個室かよ。
「いや、個室しか空いていなかったんだ。他の部屋が空いていたら、すぐそっちに移る」
移るな、その顔が入ってきたら、入院患者さんの容体が悪化する。ずっと個室にいろ。そして、死ね。
そんなことを言ったら、普段の心の狭いススキダだったら怒ったはずだが、今回は怒らなかった。
おまえ、賞味期限が38年過ぎた、みたらし団子を食ったのか?
そんな私のお茶目な励ましを無視して、ススキダが頭を下げた。
「悪かったな。忙しいなか来てくれて、おまえの顔を見て安心したよ。本当に安心した。もう俺は大丈夫だ。仕事に戻ってくれ。この借りは、すぐに返す」
「本当に、ありがとう」
また、頭を下げられた。
なんか、違和感。
帰り道、ススキダにお供えする、みたらし団子を置いて来るのを忘れたことに気づいた。
病室で飲もうと思ったクリアアサヒもそのままだ。
脱力した。
こんなはずじゃなかったのに。
物足りない。全然ドラマチックじゃなかった。
つまんねえぞ、ススキダ。
だが、家に帰ると、ドラマチックなことが待っていた。
誕生日の1日前だったが、家族が誕生日を祝ってくれたのだ。
みんなが私の好きな牡蠣の料理で祝ってくれた。
そして、プレゼントは、なんと新しいMacBook Airだった。
娘曰く「もう10年くらい使っていただろ、新しくした方がいいと思って」。
息子曰く「我慢して使っているような気がしたんだよね。新しい方が能率が上がるよね」。
ブス猫曰く「オワンオワンオワンオワンダニャー」。
私はメインとして、デスクトップのMacを使っていた。それは、そこそこ新しい。ノートパソコンは、おまけだと思って古いものを使っていたのだが、それを子どもたちは「我慢している」と思ったようなのだ。
なんて、いい子たちなんだろう。
いや・・・・・待てよ。それには、テキトーなことをしていないで、もっと働けよ、という隠れた意味があったのかもしれない。
だが、いずれにしても嬉しい。
風呂場で泣いた。
オワンオワン。