新宿で、いかがわしいコンサルタント会社を営むオオクボから「渡したいものがあるから来てくれ」というLINEがあった。
偉そうだな、オオクボ、まるで社長みたいじゃないか。
渡したいもの、ラブレターか。もしそうなら、キッパリと言ってやらねばならない。
俺もおまえも妻子ある身だ。火遊びは、やめておこうぜ。
20日、12月にしては珍しいほど気温が上がった夏の日の午後2時、オオクボの会社を訪問した。
会社に足を踏み入れたとき、社長の机の横にある応接セットで、オオクボは49歳程度に見える女性と打ち合わせをしていた。
私の姿を認めたオオクボは、左手を中途半端に上げて、「おお、悪いな。窓際のソファで待っててくれ」と私に向かって命令した。
部屋の隅っこに、幅広のソファが置いてあった。言われた通りに座った。
すみっこぐらし。
聞くつもりはなかったが、私の左耳には、2人の会話が空気のように入ってきた。
マナー講座の話だった。オオクボの会社は、企業の社員研修のサポートもしていたのだ。その研修の1つに、マナー講座があった。
オオクボの仕事には全く興味がないのだが、マナー講座の講師は、たしか70歳の品のいい女性だと聞いていた。しかし、今回オオクボの前にいた女性は、がっついた話し方をする忙しない人だった。
マナー講師には見えない。例えるなら、料理研究家の平野レミさんを少しだけおとなしくした感じだ。
よく見るとオオクボの眉間のシワが深かった。苦戦しているようだ。
「2時間の講座で、40の項目は、どう考えても詰め込みすぎですよ。半分に削りましょう。これまでは、20程度でした。僕は、20でも多いと思いますけどね」
「いえ、社内外マナーには、重要なものはいくらでもあります。これが、最低限の項目です。削れません!」
鼻息荒いマナー講師を制して、オオクボが私のところにやってきた。そして、右耳にささやいた。
聞こえねえぞ、オオクボ。俺の右耳が役に立たないのを忘れたか。
ただ、私には得技の読唇術があった。オオクボの口は、「悪いな、すぐ終わらせるから」と語っていた(と思う)。
それから講師は、LINEでの社内伝達の可否を熱弁した。「たとえ会社の規則でLINEでの報告が認められていたとしても、上司には直接報告か電話報告が基本です」
アホか。社内規則でいいと言っているんだから、LINEでいいでしょうが。それは嘘を教えるための講座なのか8日9日10日。
アホらしくなったので、眠ることにした。時間を有効に使うのもマナーの一つだ(と思う)。
すみっこ寝ぐらし。
両肩を叩かれた。
きっと、起こされたのだと思う。
「待たせたな」
寝かせたな。
事務所の掛け時計を見たら、2時52分だった。1時間の打ち合わせの予定が52分超過かよ。それって、マナーとしてどうなの?
「悪いな悪いな、ご馳走するからよ。今年の6月に開店したばかりの近所の料理屋に招待するつもりだったんだ。1日12組だけしか予約を受け付けない店なんだ。一度に2組しか入れないんだ。高級感大ありだろ」
で、いつの予約なんだ。
「2時半だが」
行くのが遅れるって、連絡したのか。1日限定12組って店の場合、プライドが高いぞ。遅れた場合、即キャンセルってこともあるんじゃないか。
オオクボが電話をした。
キャンセルされたそうだ。やっぱりね。
「キャンセル待ちのお客さんは、いくらでもいますから」ってことだろうか。
オオクボ、おまえ、マナー講座なんてやっている場合じゃないよな。おまえのポンコツ体質を何とかしないとな。
結局、いつも連れ込まれる海鮮居酒屋に行った。
オオクボは海鮮特盛りとライス、生ビール。私は牡蠣バラエティと生ビールだった。
オオクボが仕事中にアルコールを取るのは珍しい。本当にラブレターを渡す気なのか。アルコールの勢いで渡そうとしているのだろうか。
私は、オオクボが変な気を起こさないように話題を振った。
おまえのとこの研修でやるマナー講座の講師は、品のいいおばあさんじゃなかったっけ。
「ああ、今まではそうだったが、先日その先生が亡くなってな。くも膜下出血だった。だから、弟子に頼んだんだ。先生の一番弟子に頼んだが、断られた。なんでか、わかるか」
国立にイノシシが現れたからだろうな。もしくはイモトアヤコが結婚したからか。いやまさか、メイプル超合金の安藤なつが結婚したからってこともあるか。
「研修先が一部上場じゃないからだよ。教えがいがないから嫌だってよ」
おまえ、俺のボケを消して、そんなに楽しいか。ここは、ボケの応酬をするところだぞ。
「そこでな、一番弟子以外が来たってことだ」
ところで、ネプチューンの名倉潤は、うつ病から復帰したのか。水泳の池江璃花子は、喜ばしいことに退院したらしいが。
「亡くなった先生が言っていたが、一番弟子以外はドングリの背比べだってよ。だから、今回はドングリが来たのさ。まだ2ヶ月あるから、俺がドングリを成長させてやるさ」
なあ、フィギュアスケートのアリーナ・ザギトワの秋田犬マサルが女の子だって知ってたか。
「おまえ、この漫才をいつまで続ける気だ」
牡蠣を食いながら、知っているか、とさらに私は言った。
牡蠣はオスのカキと書く。昔は牡蠣はオスしかいないと思われていたから、この漢字が当てがわれたのだ。しかし、メスがいなければ普通は繁殖できない。だから、牡蠣は繁殖期だけオスメスに分かれるんだよ。そして、繁殖期が過ぎると中性化するんだ、面白いだろー。
たとえば、おまえが繁殖期だけ性別が変わって、繁殖期が終わったらオカマさんかオナベさんになるってことだよ。
牡蠣って深いよな。ディープだよな。だから、うまいんだよ。おまえは、浅くてウンコだけどな。
「ところでな」とオオクボが私の前に封筒を置いた。
不意打ちのラブレターかい!
震える手で封筒を開けた。
スーツとワイシャツの仕立券が入っていたナッシー。
確か3年前もスーツ貧乏の私に、オオクボは仕立券をプレゼントしてくれた。そのおかげで、冬物のスーツが増えて、2着になったのだ。
これで夏物を作れるな、と仕立券を見ながら、私はヨダレを垂らしたナッシー。
「おまえにはいいクライアントを紹介してもらってるからな。これでも少ないくらいだ」と頭を下げたオオクボ。
おまえ、まさか賞味期限が38年過ぎた・・・。
「イチゴ大福は食ってねえぞ」(オオクボはイチゴ大福が大好物なのだ)。
しかし・・・。
「塩大福も豆大福も食ってねえ」
じゃあ、三角大福はどうだ。
「三角大福? 三角の大福? なんだ?」
ボケたか、おまえ。三角大福を忘れるなんて、おまえ、もう終わったな。
三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫の4人のことだろうが。1970年代から80年代の自民党の醜い派閥争いの象徴だ。
今の派閥政治の根源を作った罪深い魍魎(もうりょう)の集合体だよ。
「しかし、なんでいま三角大福なんだ」
バカだな、おまえ。今さら三角大福なんて、大福の話題のときしか出せないだろうが。
だったら、一体いつ出すんだよ。
「今でしょ!」
オオクボ、ナイスアンサー。