リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

ナイスさんの入れ墨

2017-05-07 07:50:00 | オヤジの日記

大学4年の娘の友だちがタトゥーを入れたらしい。

 

目立たないところに、彼氏の名前を入れたという。

「やめろって言ったんだけど、舞い上がっているから聞かないんだよね」と嘆く娘。

タトゥーがいいか悪いかは、個人の価値観の問題だから、第三者が何を言っても説得は難しいと私は思う。

やめろ、と言われたら、よけい感情に火がついて、逆効果になる可能性がある。

人間とは、「反発する生き物」だ。

説得は、反発の引き金になる。

おそらく何を言っても無駄だったのではないか。

 

入れ墨に関しては、ほろ苦い思い出があった。

小学校5年の時だった。

私は、友人3人とよく近所の空き地で、キャッチボールをしていた。

ほとんど毎日そこでキャッチボールとバットを使ってのノックをしていた。

 

その空き地の隣に、マンションが建つことになった。

そして、工事現場の脇には、飯場(作業員が寝泊まりする場所)があって、私たちは、そのうちの一人の若い男性と仲良くなった。

「俺、中学のとき、野球をやっていたんだよ。だから、混ぜてよ」と言われた。

ガッチリした体格で、明るくて声のでかい人だった。

 

私たちがいい球を投げたり、いいスイングをしたりすると、「ナイス!」と言って弾けるような笑顔で褒めてくれた。

だから、私たちは、彼のことを「ナイスさん」と呼んで、慕っていた。

ナイスさんは、20代前半だったと思う。

動きがキビキビしていて、表情が豊かで、何よりも子ども好きだった。

愛すべき人だった。

 

4月から6月。

季節は過ぎて、暑くなってきた。

いつも長袖のシャツを着て、私たちと遊んでくれたナイスさん。

 

6月半ば、梅雨の晴れ間に、耐えられないくらい暑い日がやってきた。

そんな時でも、私たちは空き地でキャッチボールをした。

ナイスさんも「今日は暑いなあ」と言いながら、私たちの相手をしてくれた。

そして、あまりにも暑かったので、ナイスさんは「悪いな、裸になってもいいかい?」と私たちに聞いたのだ。

「いいよ」と答えた。

 

長袖のシャツを脱いだナイスさんの背中には、般若の入れ墨があった。

 

それを見た私たちは驚いて、「わわわ」と言いながら逃げ帰った。

それ以来、私たちがその空き地に近づくことはなかった。

 

それから2か月が経って、マンションは完成し、飯場はなくなった。

私たち4人が2か月ぶりに空き地に足を踏み入れたとき、当然のことながらナイスさんの姿はなかった。

あったのは、空き地の水飲み場に残された木片だけだった。

 

その木片に書かれた文字。

「楽しかったよ、ありがとう。4人の野球少年たち」

ナイスさんが、書き残した言葉だった。

 

それを見たとき、私たちは、とても悲しい気持ちになった。

いつも明るく振る舞って、私たちを愛してくれたナイスさんを背中の入れ墨を見ただけで、嫌悪したこと。

入れ墨があってもナイスさんはナイスさんなのに、なぜ私たちはそれを受け入れることができなかったのか。

 

「俺たちは、ナイスさんを傷つけたんじゃないかな」

 

いつもは軽く感じる軟式ボールが、とても重たく感じられて、私たちはすぐにキャッチボールをやめた。

4人の耳には、ナイスさんの「ナイスだよ!」が、こだましていたと思う。

 

その「ナイスだよ」の声は、今も私の耳に強く残っていた。

 

 

「入れ墨」「タトゥー」を思うとき、私にはナイスさんの「ナイスだよ」が強く思い浮かぶのだ。

 

それを思うとき、タトゥーにも人生があるのだな、と強く感じる。

ナイスさんの入れ墨は、きっと彼の人生にとって必要なものだったのだ。

ヤクザさんがする入れ墨と一般の方たちがする入れ墨が、どう違うのかは、わからない。

 

だが、そこに数々のドラマが存在するとき、無闇に否定するのもどうかな、とは思う。

 

ナイスさんが、その後、どんなドラマを作ったのかはわからないが、まぶしすぎるほどの笑顔をまわりに振りまいて、人を幸せにしたことを私はいま信じて疑わない。

 

 

入れ墨を見て、ビビって逃げた私が言っても説得力はないかもしれないが・・・。

 

 

 


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2 コメント

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こんにちわ (ac2essk)
2017-05-07 13:32:56
心に響くエピソードですね。
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どうしても (黒仁庵)
2017-05-10 19:39:20
まだまだこの国は(いや世界的にも) 入れ墨は、反社会的なイメージがありますね……
僕の友人が「親が泣く、とか、温泉には入れない、とか、そんなんがなかったら、バンバン入れたい」って言ってました。
入れ墨がある種の覚悟の表明、としてあるのは「消せない」からですね。
化粧や髪を染める。とはそこが違います。
メリットとデメリットの折り合いがつけられないくらい「何をするかわかんない」度を世間は嫌がるんでしょう。
今、反社会的じゃなくなっても、取り返しのつかない「状態」が入れ墨なんでしょう。
人それぞれでしょうが、僕自身は仮に「気軽に消せて」も入れ墨は入れません。
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