「忙しい」というのは、言い訳として、たいへん優れた言葉だ。
ただ、私は根拠もなく忙しがっているわけではない。
私の一日は、テレビのレギュラー番組を10本以上持つ有吉弘行氏ほどではないが、濃密なスケジュールで埋められている。
朝4時40分に起きて、家族の朝メシを作り、息子の弁当を作る。
そのあと、我々が住むマンションから400メートルほど離れたところに住む私の母親に朝ご飯を届ける。
母は、93歳だ。
足腰は衰えたが、口先と手先は達者だ。
お昼ご飯と洗濯、掃除は昼間にヘルパーさんが来てやってくれるが、トイレは一人で行けるし、趣味の書道は毎日欠かさずやっているようだ。
他に、ステレオをつけっぱなしにして、アデル、ノラ・ジョーンズ、ケルティック・ウーマンなどの曲を聴いたりもしている(ただ聴力が衰えているので、普通より音がでかいのが難点だ)。
晩ご飯は、私が作ったものをヨメが届けてくれる。
あと7年で百歳。
「頑張ってみようかしら」と嬉しいことを言う母だ。
メシ関係の他に私がすることは、困ったことに、仕事しかない。
仕事部屋で朝6時半頃からパソコンをカチャカチャし、ときに営業に行き、業者に仕事をお願いし、ときに支払いたくない諸々のものをネットバンキングで振り込む。
私が考え事をしていると、ヨメなどはサボっていると思うようだが、ボーッとしているように見えても、デザインのアイディアをひねり出していることがほとんどだ。
たとえ、カチャカチャしていなくても、私の脳は仕事をしているのだ。
そんな作業は夜の12時まで続いて、そのあと5分で風呂に入り、クリアアサヒを3分で飲み、娘と15分程度会話した後に眠る。
そんな日々を繰り返している。
ありがたいことに、丸一日休みが取れることは滅多にない。
腐りかけのガイコツ・デザイナーなのに、皆様、腐りかけが好きなのか、なぜかいい仕事を途切れることなくくださる。
いつか「骨格標本」にでもしようと思っているのかもしれない。
こんな日常に、去年の6月から、介護老人保健施設通いというのが加わった。
母の従兄弟の息子さんが、火事で右足首が壊死したため、日常生活を送るのが難しくなった。そこで、川崎の介護老人保健施設の入所を薦められた。
その人は、「タカシさん」と言うのだが、細々ながらも血の繋がった人が、母と私しかいない。
施設に入ったり、病院で治療を受けるときは、血縁関係にある人の許可が必要となる。
だから、たとえば、施設内で突然具合が悪くなって、救急車で病院に運ばれた場合、私が川崎まですっ飛んでいって、治療に立ち会わないといけないという段取りになる。
昼間なら電車があるが、真夜中だと困ったことになる。
私はビンボーなので車を持っていない。
しかし、原付バイクならある。だから、原付バイクで国立から川崎まで片道30キロの道をガイコツ・ライダーとして、颯爽と疾風することが今まで5回あった。
家に帰るのが朝の4時だった場合、寝ている暇はない。家族の朝メシ、弁当を作り、さらに母にご飯を届けるという日常が、そのまま繰り返されることになる。
そして、少しでも時間が空いたら、体力維持のためにランニング。
食材の買い出しも私の仕事だ。
洗濯物も私が干す。
皿洗いだって、やりまっせ。
なぜ、そんなにスケジュールをタイトにするかというと、私は、自分が「生来のナマケモノ」であることに気づいているからだ。
私は、一度怠けたら、徹底的に怠けるナマケモノだ。
そのことを知っているから、そして、それが怖いから、自分を「シャープなガイコツ」として縛っているのだ。
それに、私は真面目に仕事をこなしていれば、その仕事が次の仕事を呼びこんで、さらに上のステップに行けると信じている「真面目仕事教」の信者だ。
仕事は自分を決して裏切らない、と固く信じているバカモノと言ってもいい。
以上のようなことがありまして、思いがけず、たくさんのコメントをいただきながらも、返事をすることができません(すべて目を通しております)。
こんな腐りかけのブログを真面目に呼んでくださる方が大勢いらっしゃることは、私としては想定外の出来事です。
もちろん、お返事を放棄するつもりはありません。
ただ、しばらくの猶予をいただきたいと思います。
我が家のブス猫・セキトリも、このようにお詫び申し上げております。
読者登録ありがとうございました
よろしくお願い致します
そんな感じがしたので書いてみました。
あまり無理なさらぬお願いします。