最近の私は楽チンである。
家族の朝メシと晩メシは、私が作るが、昼メシは交代制で家族が作ってくれる。
昼メシは、いつも焼きそば。太麺が、冷蔵庫に充満している。
焼きそばは、簡単にできる。炒めればいいのだから。
それでも、人によって味に好みと個性が出る。ヨメは、オーソドックスなソース味が好きだ。息子は塩味、もしくは鶏ガラ味。娘はお好みソースを使う。そして、大量にあおさとカツオ粉とマヨネーズをぶっかける。
どれも美味い。うまし。トゥース。大満足である。
ほかに皿洗いは、息子がやってくれる。風呂掃除、トイレ掃除は娘だ。ヨメは、部屋全体のお掃除。
私がしていた頃は、洗剤は基本1種類ずつだったが、いまは驚くほど多い。知らない種類が多い。みんな熱心ですわ。感心しますわ。
娘が言った。「おまえよく、こんな面倒臭いことを毎日やっていたな。だから、晩ご飯のころには、げっそりしていたんだな」。
今もそうだが、俺の目標は、家事のできるデザイナーなんだ。家政婦がパソコンをしているのと一緒だ。
でも、いまは負担が減って楽チンだ。これは、新型コロナによる唯一の恩恵だ。
ほかに晩メシで、家族に任せられるのは、餃子だ。
我が家には、娘の高校時代のお友だちがやってくる。昼に焼肉パーティー、たこ焼きパーティー、餃子パーティーなどを開く。総勢8人程度で、餃子を200個は食う。最初のうちは、大型ホットプレートを2つテーブルに並べて私ひとりが作っていた。だが、途中からみんなが手伝ってくれるようになって各段に楽になった。
そんなこともあって、私の家族も餃子作りの手際がよくなった。今では、完全に任せられる。楽チンだ。
バカ親父に負担をかけないように、みんなが気を使ってくれる。ありがたいことだ。
ただ、バカ親父は、怠けるととっととことん怠けるグウタラ男なので、これ以上、甘やかさないでくだされ。
さて、昼メシを食った後で、ひと仕事したら、今度はウォーキングだ。
ちょうど心地よい暑さになってきたので、歩いている最中に体が温まっていい感じになるのが気持ちいい。
月曜日も夕方5時前に歩いた。国立の大学通りを約50分。5キロ程度だ。
最近の私は、ウォーキングのときは、マスクを外す。密にならない屋外ならしなくても問題ないと思った。
しかし、この日は邪魔者が私の前に立ちはだかったのだ。70歳くらいの小柄な自粛ジジイだ。
そのご老人は、いきなり私に詰め寄って「なんでマスクをしないんだ」と怒鳴った。
え? ほかにマスクしていないひとは、たくさんいますけど。
自粛ジジイが、ジリジリと近づいてきたので、私は後退りした。1.5メートルのディスタンスを保った。
するとジジイが、「逃げるのか、バカもの」と怒鳴った。
ジイさん、冷静になりなさいよ。大学通りの人並みは、かなり余裕があった。全然密じゃないんだよ。
私は、こういう自粛ジジイのことを面倒臭いと思うタイプなので、相手をせずに横をすり抜けようとした。
すると、ジジイは私の手を取ろうとしたのだ。自分で密を作ってなんの意味があるのだ。
だから、触るな、と言った。睨んだ。ジジイは手を引っ込めた。ずっと睨んでいたら、ジジイは去っていった。
こういう人の正義感というのは、何なんだろう。役に立っているのか。役に立つ正義感をいくつ持っているのだろうか。
無駄とは言わないが、使い方を間違っている気がする。
ところで、いつも思うのだが、こんなとき常識的な人なら、意見されたら、「すみません。次に気をつけます」と言って穏便に話を終わらせるだろう。
しかし私は見当違いで自分勝手な正義感を振りかざす人が嫌いなので咄嗟に反発してしまうのだ。いつまでも大人になれない私。
自粛ジジイのことは忘れて、家に帰った。
仕事場の机に置いたスマートフォンを手に取った。
昔から私は、1、2時間程度の外出のときはスマートフォンを持ち歩くことはしない。どうせ画面をひらかないのだから持ち歩く意味がない。
かかってきたとしても緊急の電話やLINEなどは、来ないのだ。来たとしても、後で連絡すればいいことの方がほとんどだ。
このときは、金沢に嫁いだ大食いのミーちゃんからのLINEが来ていた。
早速、iPadを立ち上げて、みーちゃんを呼んだ。
ミーちゃんは、気が急いたように画面の中で早口で言った。
「パピー、今度の土日に里帰りしたいんだ。いいかな」
拒む理由など、ございません。ウェルカムカムでございます。
若チャマと一緒に北陸新幹線で来るという。こんな時期に東京に来て若チャマのご両親は呆れなかったかい。
「お義父さんもお義母さんも義弟も、『全力で隠す』と言って応援してくれたの」
いいご家族だね。
「あのね、パピー。今回は完全巣篭もりだから、昼ごはんと晩ごはんは、私が作るね。パピーは楽をしてね。この2日間は、パピーの夏休みにして」
それは、楽しみだ。で、何を作ってくれるのかな。
「それは、内緒。楽しみにしといて」
わかった。米はたくさん用意しておくから、任せておきな。ほかに何か必要なものはあるかい。
「ドライトマトくらいかな」
ちょうど自家製のが大量にある。安心しなさい。
「パピー、あらためて言わせてもらうけど、パピーたちと暮らしていたころ、私は幸せだったよ。そして、今も同じくらい幸せだよ。今回は、幸せな私を目に焼き付けてね」
焼き付けたら目が焼けてしまうがな(もう泣いている)。
事情のわからない人のために、補足説明。
大食いのミーちゃんは、中学3年の4月から高校1年の7月まで、我が家に居候をしていた。親の離婚調停に嫌気がさして、我が家に転がり込んできたのだ。
離婚調停が終わって、親権は母親が持った。母親と折り合いが悪かったミーちゃんは、父親について行きたかったが、それは叶わなかった。
だから、離婚調停が終わっても我が家に住み続けた。ただ、いつまでも住むわけにはいかない。我々は、それでもよかったが、世間が許してくれない。
家に帰って、母親と妹、弟、祖母との暮らしに戻った。そうこうしているうちに、離婚から1年足らずで、父親が再婚した。それ以来、父親とは没交渉だ。
ミーちゃんは、土日には必ず我が家に泊まりにきた。「パピー、みんな、ただいまー」と言って。
それから、ミーちゃんは大学に進学した。それと同じ時期に祖母が亡くなったので、ミーちゃんは、その部屋を1人で使えるようになった。それまでは、妹と弟の3人で一部屋を使っていた。だから、だいぶ自由度が増した。
それでも、毎週我が家に泊まりにきていたが。
ミーちゃんとは、そんな濃い関係性があった。
「とにかく、パピーには楽をして欲しいんだ。一緒に暮らしていたころ、毎日夜遅くまで働いて、朝早く私たちのお弁当を作る姿を見て、この人は私の本当の親なんだって思ったよ」
涙が、止まらない。
「今回の里帰りは、パピーのための楽チン旅だから、タップリ休ませてあげるよ」
「あ、それに、私マッサージが上手くなったんだよ。毎日若チャマの肩を揉んでいるからね。パピーの肩も揉ませてよ」
いや、それはいいかな。俺、肩が凝らない体質なんだよね。ただ、もし気持ち悪くなければ、ふくらはぎを揉んで欲しいな。最近いつもふくらはぎが夜になるとだるくなるんだ。
「まかしとけ」
あー、楽チン楽チンチンチンチン。
楽チンを存分に味合わせてもらいましょう。
ところで、私はそのとき思った。
子どもが大きくなるというのは、こういうことなのだと。
親に楽をさせるために、大きくなるのだと。
存分に、楽をさせてもらいましょうか。
それぞれが分担して家事をしてるところがいいなって思いました。見習いたいです、ぜひ。参考になりました!ありがとうございます❣