モアイのためいき

日々のこと・ハンドメイド・若い頃の旅など

1990年タヒチ紀行*その2

2009-07-05 23:23:02 | タヒチ*1990年

~1990年3月・タヒチに出発~

北半球の日本と南半球のタヒチは季節が逆なわけで、

日本を出発する時は、荷物を減らすため重ね着をして出掛けました。

贅沢旅行ではないので、汚れてもいいような服装で・・・

妙な格好だったと思います

さて、いよいよ出発の日、成田空港に着くと、

タヒチ行きのエールフランス機が機材不備とかで翌日の出発になっており、

今さら家に戻るのもなんだかなぁと思いましたが、

ホテルと食事は用意してくださるということで、

そのままバスで品川のPホテルへ移動・・・シティホテルです。

泊まったことがないようなランクが上のホテルに、妙な格好の我々・・・

せっかくのレストランのご馳走もあまりの場違いさに、

早々に部屋へ切り上げ、翌日の早起きに備えて寝ました。

3月2日8:00AM、エールフランス機タヒチへ向けて離陸です。

機内はすいている感じで、座席を広く使ったりできました。

およそ10時間半後、現地時間23:30頃(3月1日)、

真っ暗なタヒチ、FAAA国際空港に着陸。

日本との時差が19時間ということで、時計の針を5時間進め、

気温26℃ということで、半袖になり(湿度が高いっ)、

順調に入国手続きを済ませ、さぁ行くぞ~・・・

って、深夜だから、街にも出られず、ホテルも決まってないし・・・

予定では昼間に着いているはずだったからね。

新婚旅行らしきカップルやビジネスマンらしき人たちは、

ホテルのお迎えがあるらしく、いいわねぇ・・・と眺めているうちに、

空港に残されたのは、我々を含めて日本人若者6人。

自然とかたまって情報交換などしながら、朝を待ちました。

幸い、日本からの直行便が始まってからそれほどたってないためか、

日系人女性がいらっしゃる観光案内所があいていて、

そこでも情報を仕入れることができたし、

銀行も開いていて、CFP(フレンチパシフィックフラン)に両替もできました。

それにしても、空港で明かりがあるからなのか、

現地の若者は深夜にもかかわらず、フットサルで遊んでいました。

なんともおおらかな人種です。

飛行機から降りて、入国を待つ間、

若い女性職員がタヒチの花「ティアラ」を耳の上にさしてくれて、

現地の方々によるタヒチアンミュージックの演奏も心に沁みました。

飛行機が深夜着になったのに、わざわざ時間に合わせてくださったのですね。

そして、演奏の最後に、「maururu」という言葉・・・。

こちらこそ、「ありがとう」です。今も心に残っています。~続く~

コメント
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