小笠原・父島・1989年3月・その4
父島のバナナ荘で顔見知りになった方々と、
南島へも同行することになりました。
南島は父島の南西にある小さな無人島で、世界的にも珍しい地形らしいです。
現在は南島に上陸するのには人数制限などあるらしいですが、
1989年当時は、南島に行きたい人は港に行けば、
南島に行く遊覧船に乗れました。
「コーラル・シー」という遊覧船に乗船し、南島へ(値段は忘れました)。
あいにく、我々が父島にいる間、雨には降られなかったけれど、
雲がもくもくという感じで湧いていて、
南国特有の日差しの恩恵を受けることはありませんでした。
この日も、船上では肌寒く、
もっとも内地にいればまだコートを着ても普通な時期ですから、
十分暖かいのでしょうけれど。
コーラル・シーのデッキで適当に座りながら、
ある者は父島を海からじっと眺め、
ある者は偶然にでも鯨に出会わないかと水平線を眺め、
潮風に吹かれていねむりしているうちに南島に到着。
小さな湾のようなところでボートに乗り換えて上陸しました。
現在と違って、道の制限などなかったので・・・、
今となっては大変申し訳ないことに・・・・・・真ん中に寝っ転がっている自分。
カルスト地形に囲まれて。
・・・こんなふうに、銘々に動いていたわけですが、
同じ船で来た人たちは20人もいなかったのではないかしら。
そして、がつがつ動き回る類の人もおらず、
曇天のためか砂浜で海水浴をする人もあまりおらず。
のんびり散策する人ばかりでした。
・・・そうそう、砂浜の砂がとってもさらさらで、
曇天にもかかわらず海水がエメラルドグリーンだったのには感動。
(冒頭の写真です)
これで晴天だったなら、最高の景観だったでしょう。
こうして、静かに南島の時間は過ぎてゆきました。
砂を持って帰りたかったけれど、
確か、南島の物は持ち出し禁止と聞いていたので、持って帰れず。
南島のあとは、港に戻るだけでしたが、
風の影響か潮流のためか、北上する方が船の揺れが大きくて、
波を乗り越え乗り越えという感じで、
しばしば「お~っと」という乗船客の声があがりまして・・・。
そんななか、オバサン(ちょっと欧米系の面立ち・男性風)が、
当時まだ一般的ではなかった家庭用ビデオを回していたのが、
我々一行の中で非常に受けて・・・、
撮影中に入れるナレーションの内容が妙におかしくて、
我々も「若者たちがいます」的に写されていたようです。
オバサンの同行者でちょっと若めのおじさんは、
ビデオカメラの前でポーズをとったりして、そのポーズも可笑しかった。
当時のビデオカメラは重かっただろうなぁ。
帰路、船が結構揺れたので、ちょっと顔が青ざめた人もいましたが、
無事、港に到着。
20数年経った今、正直言うと南島の景観はあまり覚えていないのです。
写真で見て、「こうだったなぁ~」と思うわけで。
ただ、可笑しかったオバサンとおじさんの顔は覚えているの。
記憶と感情の結びつきって重要なのですね。
父島とあまり関係のない話題でした。 ~つづく~