現在、駿府博物館で開催されている『ヤマタネコレクション~華麗なる日本の美展』。
JR静岡駅からほど近く、仕事や買い物の合間にフラッと立ち寄れる場所で美術鑑賞が楽しめるってホント、いいですね。正直なところ、駿府博物館の施設自体は目新しさなく、展示室も1フロアだけで規模も小さく、今回のような特別展でもない限り、足を運ぶことはなかったのですが、久しぶりに訪れて、駅前や市街中心地に美術館博物館がある街のよさを実感しました。
ヤマタネコレクションはその名のとおり、物流・食品・不動産・金融証券など多事業を手掛けるヤマタネグループが所有する日本画コレクション。山種美術館の創設者で横山大観や上村松園らと親交が深かった故山崎種二翁の、流派や作家にとらわれない流儀にならい、東西両画檀の近代日本画の巨匠から現代までの作家作品を幅広く蒐集しています。
平成10年に創業者の出身地である群馬県高崎市に高崎タワー美術館(現高崎市タワー美術館)を開館し、コレクションの定期公開や、地方美術館への貸し出しにも尽力し、日本画啓蒙活動に貢献しています。
教科書などで一度は聞いたことのあるビッグネームがそろった今回の特別展は、日本画に詳しい人も初心者も楽しめて、ワンフロアで60点という適度なボリューム。奈良の正倉院展に比べたらはるかに空いていて(失礼!)ひと作品ごと時間をかけてじっくり観られ、芸術鑑賞したぞ!気分で満腹になりました。
しずおか地酒研究会の会員でもある副館長の高橋俊光さんのはからいで、学芸員海野光真さんの解説付きで見せてもらったので、よけいに理解が深まり、楽しめました。
日本画って、当たり前ですが、明治以前までは「日本画」なんてカテゴリーはなく、明治以降、西洋絵画が入ってきて、それに対する統一呼称として生まれた言葉なんですね。それまでは狩野派、円山派、琳派、浮世絵諸派など流派ごとに呼ばれていたわけです。中には私が好きな伊藤若冲みたいに、流派の枠におさまらないぶっ飛んだ天才もいましたが…。
明治以前の絵画は、床の間に飾って正座して鑑賞することが多かったため、縦長の掛け軸でも下のほうに主眼が置かれて描かれました。輪郭線付きで描く「鉤勒法(こうろくほう)」という手法が主流でした。当時の絵師は、実際に写生するよりも、先人の作品の臨写か、想像力だけで描くことが多かったからだそうです。
明治13年に京都府画学校、22年に東京美術学校が開校し、従来の臨写・想像画から、西洋流の写生本位へと移り変わり、31年に日本美術院が結成されてからは、岡倉天心の「空気を描く方法はないのか」という問いに大観らが応え、線抜きの「没線描法」が生まれました。当初は、「モウロウとしてつかみどころがない“朦朧体”だ」と批判されたそうですが、大正以降、しだいに認知され、主流となりました。
大正期は多くの青年画家はさまざまな会派をつくって独自の描法に挑み、掛け軸の絵も下部から画面全体に描写されるようになり、色彩は大正モダニズムの影響を受け、油彩風の描き方も登場しました。
昭和になると横軸や額装の絵が主流となり、戦後は絹本地に描く軸物は次第に姿を消します。今では西洋の油絵のような厚塗り色彩がメインとなっています。
・・・というように、近代絵画史をおさらいできるようなコレクションが楽しめます。学芸員の海野さんはマニュアル通りの解説の合間に、「美人画って、たとえば鏑木清方と上村松園では微妙に違うんですよね。男性が描くほうが、やっぱりどことなくエロティシズムがあって、女性の作品には清潔感があるんですよね」なんてツッコミも入れてくれて、一見しただけではピンとこなかったのですが、表情をよく見ると、松園の美人画は、今でいう女性誌のモデルのように同性ウケしそうな美しさで、清方や深水のは一般誌や男性誌のグラビアアイドルか熟女モデルといった感じでしょうか。
そんな邪道?な鑑賞も楽しめるヤマタネコレクション、この秋、静岡で開催されている中では白眉の絵画展だと思います。12月7日(日)まで開催していますので、ぜひご覧くださいな!