杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

『葬と供養』を読んで

2014-08-28 09:07:53 | 仏教

 今年も自然災害で多くの人命が失われました。現場で捜索活動を見守るご家族の姿をテレビで拝見するたびに、自分があの立場だったらと想像し、涙ぐんでしまいます。

 

 バイト先のお寺では、この夏も、お盆の時期に多くのお墓参りの方々をお迎えしました。時々、お墓やお位牌や仏壇の作法について聞かれるのですが、とんと答えられず、和尚さんから「こうするものだ」と言われても、どういう意味があるのか理解できず、意味がわからないことを日本人は「そういうものだ」と刷り込んで、ずーっと続けてきたんだ・・・と不思議な気持ちになったりします。

 

 その、わけのわからないことにお金を遣うことに違和感を感じ始め、「自分の葬式は自分でナットクの行くよう、事前に決めておきたい」と、“終活”に励む人が増えてきたり、いっそのこと、「葬式なんていらない」「お墓もいらない」という声があるのも事実。

 

 いずれにせよ、お盆があって終戦記念日があって、今年のように自然災害で多くの人命が失われたりするこの季節は、『死』というものを身近に感じます。伴侶も子どももいない私自身は、死んだ後のことは知ったこっちゃないと諦めているクチで、せいぜい生きているうちに好きな仏像やお寺めぐりをしたり、お寺の仕事を手伝うなりして功徳を積んでおいて、死んだ後はどこぞのお寺に無縁仏として拾ってもらえればいい・・・な~んて考えています。これも長~い目でみた“終活”かもしれません(苦笑)。

 

 

 

 

 先日、図書館の新刊コーナーで五来重氏(大谷大学名誉教授)の『葬と供養』という本に出合いました。日本古来の葬墓儀礼(民俗学)と仏教(宗教学)を統括した1000ページを超える大著です。なんとなく読むべき本だと直感し、借りてきたのはいいのですが、返却期限が近いのにまだ400ページちょいしか読めず、最後まで読み通すことは難しそう・・・。とりあえず、今まで読んだ中で、自分の本だったらマーキングしておきたいと思った箇所を書き留めておこうと思います。

 

 

Imgp0626  葬は日本人の民俗であるとともに、宗教であり文化であり、そして歴史である。現在はもっぱら日本民俗学が日本人の葬制資料をあつめているが、民俗学だけで推論が出せるものではない。

(中略)過去の文献や遺物をあつかう歴史学や考古学、そして日本宗教史や日本文化史が関与しなければならない。そして葬を通して日本人の宗教の根源、日本文化の本質、そして究極的には「日本人とは何か」という問いに答えなければならないのである

 

 

 

 

 

 大部分の日本人の葬をあつかう宗教者は日本仏教の僧侶である。その僧侶のなかには、ちかごろは葬式をおこなうのは「仏教」ではないといってこれを嫌うばかりか、みずからを「葬式仏教」といって自嘲する。これは仏教といえばインド仏教か中国仏教だけで、仏典やその論疏、語録と教理書のなかにしかないとかんがえたからであろう。

 しかし日本仏教は日本人の精神生活をささえる日本宗教として、日本人、日本社会のなかに定着したものである。したがって日本人の「死」にともなう宗教感情と、それを表現する宗教儀礼に日本仏教が関与するのは当然のことであった。「死」こそ宗教のもっとも大きな課題であり、それを「成仏」や「往生」のような仏教的理念であつかうのが日本仏教であったが、僧侶が死者を成仏させたり、往生させたりする自信を失ったとき、日本仏教は葬式仏教になったのである

 

 

 

 その自信回復の道は一つにはそれぞれの宗派に固有の宗教的実践を通して「成仏」や「往生」を可能にする宗教的力量を獲得することである。それは民衆の信頼と心服がえられる人格を完成することにほかならない。

 またもう一つの道は、日本人の「葬」の宗教的意味を理解することにある。日本人には日本人固有の死生観や霊魂感があり、その儀礼的表現として「葬」があるのだから、まず根源を理解すれば儀礼の意味がわかる。僧侶が儀礼を執行するのに、意味のわからないことをするほどつらいことはないだろう。 

 神道の大学には儀礼の意味や実習を教える学科があるのに、仏教の大学には葬制の講義も実習もない。お前たち卒業したら適当にやれ、というわけである。若い僧侶が自信を喪失するのは当然のことである<【葬と供養】5~6ページより抜粋>

 

 

 

 

 序文のこの一説に出合ったとき、なるほど、と思いました。以前、親族の法事で、後を継いだばかりの若い住職がいい話をしようと一生懸命になっても、教科書をなぞったような話しかできず、年配の参列者にまるで響いてこなかった・・・なんて場面を思い出したのです。

 

 

 

 

 本書を読むまで意識したことはありませんでしたが、8世紀に仏教が伝来し、火葬が広まる以前、日本では、土葬はもとより、風葬・水葬という自然葬が中心だったんですね。死者を室内または庭に“モガリ”をつくって2~3年安置し、風化させ、それから本当のお墓に埋葬したようです。

 

 モガリの最中には、遊部と呼ばれる人々が魂を鎮めるために祈りや踊りを捧げました。五来氏によると、日本人は、人間の霊魂は肉体を持っているときは現世だけに接続し、死をきっかけに前世と来世をふくめた3つの世代に接続できると考えていました。「葬」は死霊になったときの儀礼、「供養」は祖霊の中に帰入したときの儀礼、祖霊として一定期間を経たら神に昇華する、その儀礼が「祭祀」。

 

 死霊になったばかりの霊魂は、現世に思いを遺し、災いや祟りをおこす“荒ぶる”“すさぶ”存在であるから、遊部の鎮魂が必要だったのです。五来氏は、天岩戸開きの天鈿女命の神楽も、天皇家の始祖がお隠れになったときのモガリの鎮魂歌舞であり、お神楽とは鎮魂を目的としたものとして、葬制と日本芸能史を関連付けて研究すべしと述べておられます。

 

 

 ちなみに遊部の人々はモガリの風習が無くなった後、行基の聖集団に加わったそうです。モガリで使われていた棺台、花籠、天蓋などは今も葬具として残っています。

 

 仏教の中で唯一、禅宗の葬具にはなぜか「鍬」があり、葬儀のクライマックスで導師が一喝して木製の鍬を投げつけるという摩訶不思議な儀式を行なうんですね。

 なんで農耕具の鍬を?と思いますが、五来氏によると、古墳時代は鉤(かぎ)形の小枝を「お鍬様」と呼んで使っていた。古墳の副葬品に鍬のかたちをした腕輪が出土しているので、鍬は鎮魂の葬具だったと想像できる。鍬のかたちをした鉤状の枝は、民俗学的にみると、山の神を手向(=鎮魂)する目的で峠に祀ったそうです。そもそも、峠(たうげ)とは手向け(たむけ)の所、という意味があったそう。祟りをおこしやすい荒々しい霊に対し、鍬形の枝を向けて鎮魂する。この原始的な風習が、禅宗の中に残った、と五来氏は考えます。

 

 

 

 お坊さんが法事の席でこんなふうに一つ一つの葬具の由来を解説するだけでも、参列者は「おおーっ」となるかも・・・と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 要するに禅宗のおこなう葬送儀礼の鍬投げは、日本民族がもちつづけた霊魂観念に基づいた呪術と呪物を、仏教化して継承したのである。これに大円相の意味づけをして作法することは、民衆の心を尊重しながら、そこに禅の精神を表現するという、現実と理想の両面充足である。

 (中略)私は日本仏教の葬送儀礼には、もっと民族宗教の要素がつよかったとおもうが、明治・大正以降、そしてとくに戦後、宗教にも合理化、近代化の波がおしよせて失われたものが多いことを知っている。それだけ死者の霊魂が軽んじられているわけで、それは逆に宗教が民衆から軽んじられていることに通ずるものとおもう。すべて葬祭業者に委託して霊魂の救済を怠る仏教は、やがて民衆から見限られるだろうとおもう。<【葬と供養】333ページより抜粋>

 

 

 

 

 この本、買えたらいいんですが、2万円ちょいする高額本ゆえ、図書館で貸し出し継続できたら、先を読み進んで、またご報告します。すみません。